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【資産公開】38歳、資産4000万円。僕が“金の亡者”にならずに、人生が楽しくなってきた理由

2025年7月27日

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1000万円あれば、世界が変わると思っていた

かつての僕は、本気で信じていた。「資産が1000万円あれば、人生は劇的に変わり、何でも手に入り、豪遊できる」と。1000万円という数字は、僕にとって、圧倒的な富と自由の象徴だった。

あれから十数年。 僕は今、38歳になった。目の前の証券口座の残高と、僕の人生を見つめながら、静かに思う。 あの頃の自分は、何もわかっていなかったな、と。

この記事は、特別な才能も、親の資産もない、ごく普通のサラリーマンだった僕が、給与所得だけで資産4000万円の背中が見える場所までたどり着いた、一つの記録だ。

そして、それ以上に僕が伝えたいのは、資産を築く過程で僕が何を感じ、何に苦しみ、そして、お金という存在とどう向き合うことで、ようやく「人生が楽しくなってきた」と感じられるようになったか、その内面の物語である。


第一章:金の亡者か、賢者か。38歳時点での、僕の全資産

まず、現在の僕の立ち位置を、包み隠さず公開したい。

  • 米国株式(高配当ETF中心): 約2,020万円
  • 投資信託(S&P500中心): 約450万円
  • 確定拠出年金(オルカン): 約780万円
  • 現預金(SBIハイブリッド預金など): 約700万円

金融資産の合計は、約4,000万円。 これに加えて、自宅である都内のマンション(評価額約6,000万円)がある。

この数字を、僕は誰の助力も得ることなく、ただ毎月の給与から、地道な入金力と、規律ある投資を続けることで築き上げてきた。だから、断言できる。ごく普通のサラリーマンでも、正しい知識と強い意志があれば、この領域に到達することは十分に可能だ、と。

しかし、この道のりは、決して輝かしいものばかりではなかった。 気づけば僕は、数字を積み上げること自体を目的とする「金の亡者」になりかけていた。資産が増えれば増えるほど、それを失う恐怖もまた増大し、「もっと、もっと金があれば安心できる」という、新しい呪縛に囚われ始めていたのだ。


第二章:僕がゲームをアンインストールし、カレンダーを埋め始めた理由

「金の亡者」としての僕の生態は、休日の過ごし方に、最も顕著に表れていた。

若い頃の僕の休日は、ただひたすらに、自宅の部屋でゲームをすることに費やされた。なぜか? 理由は単純だ。「外出すると、お金を使ってしまうから」

節約のため、という大義名分のもと、僕は人との交流を避け、新しい経験の扉を閉ざし、ただひたすらに仮想の世界に没頭した。その結果、どうなったか。

正直に言って、僕の人生は、本当につまらなかった。 休日に心躍る予定はなく、ただ時間が過ぎ去るのを待つだけ。そんな自分が、僕は嫌いだった。

しかし、転機が訪れる。 資産が一定の額を超え、「何があっても、とりあえずは生きていける」という、確かな“精神的な安心感”が、僕の中に育ち始めたのだ。お金では買えない、しかし、お金があったからこそ手に入った、最高の資産。

この安心感を土台にして、僕は初めて「守り」の人生から、「攻め」の人生へと舵を切ることができた。

ゲームをアンインストールし、僕は、意図的にカレンダーに予定を入れ始めた。 美味しいと評判のレストランを予約する。 気になっていた美術館に足を運ぶ。 サウナとマッサージで、自分の身体を徹底的に労わる。

これらは全て、かつての僕なら「無駄遣い」と切り捨てていた行為だ。しかし、今の僕にはわかる。これらは、僕の人生を豊かにするための、極めて合理的な「目的を持った支出」なのだと。


第三章:「中年の幸福論」への、ささやかな反論

世間ではよく、「中年の幸福度は、人生で最も低い」と言われる。有名な「幸福度のU字カーブ」によれば、人の幸福感は40代から50代にかけて底を打ち、その後、再び上昇していくらしい。

しかし、僕は今、38歳。その「底」に近づいているはずの僕の幸福度は、不思議なことに、人生で最も高い状態にある。なぜだろうか?

僕は、ここに一つの仮説を持っている。「多くの人は、若いうちに、楽しみを“前借り”しすぎているのではないか?」と。

20代で流行りの服を買い、飲み会に明け暮れ、刹那的な快楽に身を委ねる。それは、それで一つの生き方だ。しかし、その生き方は、年を重ねるごとに体力的にも、経済的にも、持続が難しくなる。そして、かつての輝きを失った時、人は幸福度の「下り坂」を感じるのかもしれない。

僕の場合は、逆だった。 若い頃は、我慢が多かった。未来のために、僕は現在の楽しみの多くを、自らの意思で「投資」に回した。その結果、今がある。

僕が今感じている幸福感は、決して刹那的なものではない。 「自分は、自らの手で、これだけのものを築き上げてきた」という、確かな実績に裏打ちされた、静かで、揺るぎない自信この感覚こそが、中年の心を襲う、漠然とした不安に対する、最強の防波堤になっているのだ。


無心で積み立てた、その先に

今、この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら、僕と同じように、毎月、給料の一部を無心で積立投資に回している一人かもしれない。

そして、時に不安になることもあるだろう。 「こんなことを続けて、本当に意味があるのだろうか?」 「暴落が来たら、すべてが無駄になるのではないか?」

その気持ちは、痛いほどわかる。しかし、そんな時は、僕のことを思い出してほしい。

無心で積み上げた、その先には、確かに景色が変わる瞬間が待っている。 それは、お金そのものがもたらす高揚感ではない。 それは、お金の不安から解放されたことで初めて手に入る、「心の自由」と「人生の選択肢」なのだ。

その自由を手に入れた時、あなたは初めて、他人と自分を比べることなく、心から他者に感謝し、自分だけの「人生の幸福」を、自分の物差しで追求できるようになる。

道は、決して平坦ではない。しかし、その先には、あなたが想像する以上の、穏やかで、豊かな世界が広がっている。 僕は、それを証明する、一人の生きたサンプルだ。

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