人生論

なぜ、今「価値観」なのか

自分の価値観について

自分は、時々ふと思うことがある。

このまま、世の中の流れに身を任せて生きていていいのだろうか、と。

大人になるにつれて、仕事、家庭、社会的な役割…背負うものは増える。

そのぶん、選択肢は狭まるように感じるし、「自分で決める」余白はどんどん削られていく。

気づけば、多くの人が「仕方ない」と口にしながら、生きている。

けれど、本当にそれでいいのだろうか。

自分はどうしても、その「仕方ない」に違和感を覚えてしまう。

この違和感の正体を探っていくと、結局、行きつくのは「自分の価値観」だ。

価値観とは、目に見えないが確実に存在する、自分の人生の土台のようなものだと思っている。

自分は、まだ模索中の部分も多い。

でも少なくとも、次のような価値観を大切にして生きてきた。

「自由」と「自律」

どちらか片方では成り立たない。自由に生きたいと願うなら、そのぶん自分を律しなければならない。

人や社会のせいにせず、自分の選択と責任を引き受けることが前提だと思っている。

「構造を疑う視点」

表面的な善悪や正義には、簡単に飲み込まれたくない。

なぜその問題が起きているのか、背景や仕組みまで深掘りして見つめることを意識している。

それは面倒な作業かもしれないが、そこを飛ばすと本質は見えてこない。

「内省と思考の時間」

情報があふれ、誰もが瞬時に意見を発信できるこの時代だからこそ、

あえて立ち止まり、自分の考えを深掘りする時間を持つことが大切だと感じている。

すぐに答えが出なくてもいい。問い続けることで、少しずつ輪郭が見えてくるから。

「静かな貢献」

目立つことよりも、誰かの役に立つこと。

直接感謝されなくても、自分が果たせる役割を、静かに、粛々と続けていく。

そんな在り方に、強さと美しさを感じる。

なぜ、今この時代に「価値観」なのか。

理由はシンプルだ。社会が、あまりにも流動的だからだ。

テクノロジーの進化、働き方の変化、国際情勢の不安定さ、SNSを通じた情報の洪水…

常識やルールは、これまで以上のスピードで塗り替えられていく。

昨日まで「正しい」とされていたことが、今日はもう通用しなくなる。

そんな時代に、「外側の基準」だけで生きていたら、あっという間に振り回されてしまう。

だからこそ、自分の内側に「これが自分だ」と思える価値観を持つことが、以前にも増して重要になっている。

もちろん、価値観は絶対ではない。

経験や環境によって、少しずつ形を変えるものだ。

だからこそ、定期的に立ち止まって、自分の価値観を見つめ直す作業が必要になる。

今の社会は「答えのない時代」

最近、自分はその作業を意識的に始めている。

忙しい日常の中では、つい後回しにしてしまいがちだが、

自分の内側を見つめる時間を取ることで、選択に迷ったとき、ブレずにいられる実感がある。

誤解を恐れずに言えば、今の社会は「答えのない時代」だ。

正解は用意されていない。だからこそ、自分なりの問いを持ち、自分なりの価値観を言語化しておくことが、

不確実な世界を生き抜くための、一つの武器になると僕は思っている。

このブログも、その一環だ。

自分が今、考えていること、感じていることを言葉にすることで、誰かが「自分の価値観」を見つめるきっかけになれば嬉しい。

そして、これからの時代を生きる中で、互いの価値観を尊重しながら、少しでも納得感のある選択を重ねていけたら、と願っている。

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