グラスを置いた日、僕の本当の人生が始まった
5年前、僕はきっぱりと酒を飲むのをやめた。
それは、何か大きな失敗をしたり、医者に止められたりしたからではない。ただ、ふと気づいてしまったのだ。「これ、本当に楽しいんだろうか?」と。
金曜の夜、条件反射のように参加する飲み会。当たり障りのない会話と、翌朝に残る気だるさ。週末の貴重な午前中を、鈍い頭痛と共に無駄にする虚しさ。僕たちは、それを「ストレス発散」や「付き合い」という便利な言葉で正当化していないか。
あれから5年。僕の人生は、静かに、しかし劇的に変わった。結論から言おう。僕の人生には、「良いこと」しか起きなくなった。
この記事は、禁酒を声高に叫ぶためのものではない。お酒が心から好きな人の楽しみを、否定するつもりも毛頭ない。これは、かつての僕のように「なんとなく飲み続けている」あなたへ送る、僕個人のリアルな体験記だ。
もし、あなたの人生に少しでも停滞感や違和感があるのなら、僕の話が、その重たい扉を開ける鍵になるかもしれない。
第一章:「とりあえずビール」の呪縛。僕たちはなぜ飲んでいたのか
思い返せば、僕がお酒を飲んでいたのは、それが好きだったからではなかったように思う。
新入社員の頃は、飲み会が「仕事を円滑に進めるための潤滑油」だと教えられた。中堅になれば、「部下とのコミュニケーションの場」としての役割を期待された。プライベートでさえ、「大人の嗜み」や「手っF4っ取り早いリラックス手段」として、常に酒はそこにあった。
僕たちは、自分の意思で飲んでいるつもりで、実は「飲むべき」という社会の空気や、「飲むのが当たり前」という巨大な同調圧力に、ただ流されていただけなのかもしれない。
その結果、僕たちが失っていたものの大きさに、僕はグラスを置いて初めて気づいたのだ。
第二章:失ったものはゼロ。手に入れた「5つの確かな資産」
酒をやめることは、何かを「我慢」したり「失ったり」することだと考えている人が多い。しかし、現実は真逆だ。それは、これまで無意識に奪われ続けてきた、人生で最も貴重な資産を取り戻す行為だった。
資産①:圧倒的な「時間」の自由
二日酔いの朝を、思い出してみてほしい。鳴り響くアラーム、重たい頭、胃の不快感。午前中は使い物にならず、自己嫌悪と共に昼過ぎにようやく活動を開始する。
酒をやめた僕の朝は、静かで、清々しい。誰にも邪魔されず、自分のためだけに使える時間が、そこにはある。
早朝に起きて、まだ誰もいない街を散歩する。コーヒーを淹れ、じっくりと本を読む。ジムで汗を流し、最高のコンディションで一日をスタートさせる。これまで失っていた週末の午前中が、まるごと自分の手に戻ってくる。この感覚は、何にも代えがたい「人生を取り戻した」という実感に満ちている。
言うまでもなく、運動のパフォーマンスは劇的に向上した。アルコールという毒素の分解に、身体が余計なエネルギーを使わなくなったからだろう。筋肉はつきやすくなり、持久力も上がった。身体が、正直に喜びの声を上げているのがわかる。
資産②:驚くほど貯まる「お金」
飲み会に一度参加すれば、一次会で5,000円、二次会まで行けば1万円近くが消えていく。週に一度だとしても、月に2〜4万円。年間では数十万円にもなる。
5年間で、僕は一体いくらのお金を失わずに済んだだろうか。計算するだけで眩暈がするほどの金額だ。そのお金で、僕は新しい趣味の道具を買い、旅行に行き、自分自身に投資することができた。
今でも、僕は飲み会に参加する。しかし、僕が頼むのは決まってウーロン茶だ。周りが数千円を払う中、僕の会計は数百円で済む。お金がかからないだけでなく、シラフだからこそ、人の話を真剣に聞くことができるし、場の空気を冷静に読むこともできる。そして何より、自分の意思で、最高のタイミングで「じゃあ、お先に」と切り上げることができるのだ。
資産③:揺るぎない「心身の健康」
「酒は百薬の長」という言葉は、人類史上、最も成功した偽りのマーケティングコピーの一つだと僕は思う。
僕たちの身体は、アルコールをたとえ一滴でも摂取した瞬間から、それを「毒」と認識し、分解・排出するために、肝臓をはじめとする全臓器が必死で働き始める。身体に多大な負荷をかけてまで摂取する液体が、健康に良いわけがない。
酒をやめてから、僕の身体は明らかに変わった。まず、睡眠の質が劇的に改善された。寝つきが良くなり、朝までぐっすり眠れる。肌の調子も良くなり、日中の集中力も格段に上がった。常に頭にかかっていた薄い霧が晴れ、思考がクリアになった感覚だ。
身体が軽い。心が穏やか。この「揺るぎない健康」という土台の上に、充実した毎日が築かれていく。
資産④:新しい「楽しみ」を発見する力
酒を飲んでいた頃、僕の「楽しみ」の選択肢は、驚くほど貧困だった。仕事で疲れたら飲む。嬉しいことがあったら飲む。ストレスが溜まったら飲む。あらゆる感情の行き着く先が、アルコールだった。
その唯一の選択肢を断った時、僕は初めて、本気で「他の楽しみ」を探し始めた。
夜、シラフのクリアな頭で読む、難解な哲学書。 週末の朝、澄んだ空気の中で楽しむ、一人カラオケ。 これまで知らなかった、美味しいノンアルコールドリンクの世界。 深夜まで没頭できる、新しい楽器の練習。
世界には、僕が知らなかった面白いことが、無限に広がっていた。アルコールは、僕からそうした発見の機会を奪い、安易で画一的な「楽しみ」という名の檻に、僕を閉じ込めていただけだったのだ。
資産⑤:強固な「自己肯定感」と「自己決定権」
「付き合いが悪い」と思われるのではないか。 「場をしらけさせてしまう」のではないか。
酒をやめる時に、誰もが抱く不安だろう。しかし、実際にやめてみると、ほとんどの人は、僕が何を飲んでいるかなんて気にしていないことに気づく。「ごめん、今飲んでないんだ」と言えば、「そうなんだ」で終わる。
他人の目を気にして、自分の身体と心を犠牲にする必要など、どこにもなかったのだ。
「飲まない」という選択を貫くことは、「自分の人生のハンドルは、自分で握る」という、強烈な自己決定のトレーニングになる。周りに流されず、自分の価値観で行動を選択できたという小さな成功体験が、揺るぎない自己肯定感を育ててくれる。
第三章:それでも僕たちがグラスを置いてみて、確かめるべきこと
僕が手に入れたものは、突き詰めれば「本来の自分」を取り戻した、という感覚だ。
アルコールという強力な干渉波がなくなったことで、僕の身体と心は、本来持っていたはずのパフォーマンスを、ようやく発揮できるようになった。
この記事を読んでいるあなたに、僕は「酒をやめるべきだ」と強制するつもりはない。もし、あなたが心からお酒を愛し、その香りや味わい、それによって生まれるコミュニケーションに、人生の喜びを見出しているのなら、それは素晴らしいことだ。
しかし、もし。 ほんの少しでも、かつての僕のように、惰性でグラスを傾け、失われた週末に後悔しているのなら、一度だけ、試してみてほしい。
たった一週間でいい。グラスを置き、あなたの身体と心に、静かな休息を与えてみてほしい。
そこに広がる、クリアな思考。 身体の軽さ。 そして、自由に使える、圧倒的な時間。
それは、失うものより、得るものの方が、比較にならないほど大きいことに気づく、人生の重要な転機になるはずだ。
僕にとって、酒をやめたことは、何かを犠牲にした禁欲的な行為ではない。それは、偽りの快楽と決別し、本物の人生の豊かさを手に入れるための、最も賢明で、最も効果的な自己投資だったのだ。