
1. 昔の時間の使い方(惰性・無目的)
20代の頃、僕は時間をドブに捨てていた。 今、振り返ればそう断言できる。
平日は、仕事の疲労を言い訳に、帰宅後はソファに沈み込む。テレビをつけ、スマートフォンを片手に、目的もなくSNSのタイムラインを永遠にスクロールする。面白いと感じているわけでも、何かを得ているわけでもない。ただ、思考を停止させ、外部からの刺激に身を委ねることで、一日の終わりをやり過ごしていた。
週末は、金曜の夜に立てたはずの計画を忘却し、昼過ぎに起き出す。そしてまた、「何となく」テレビの前に座り、「何となく」ネットサーフィンをし、「何となく」時間が過ぎていくのを待つ。気づけば日曜の夕方。「また、何もせずに週末が終わってしまった」という、鈍い自己嫌悪だけが残る。
当時の僕にとって、時間は「消費」するものであり、「潰す」ものであった。そこには、主体的な「意思」や「設計」という概念は存在しない。惰性の波に身を任せ、気づけば岸辺に打ち上げられている。そんな、輪郭のぼやけた、解像度の低い毎日。
その結果、手元に残ったのは、充実感ではなく、むしろ「時間貧乏」という感覚だった。時間はあるはずなのに、常に何かに追われ、満たされない。その正体は、時間の無目的で、無意識な「浪費」に他ならなかった。
2. 今どう時間を設計しているか
僕の時間の使い方が劇的に変わったのは、ある一つのシンプルな事実に気づいたからだ。 それは、「時間こそが、人生における最も希少で、決して取り戻すことのできない資産である」という、あまりにも当たり前の真実である。
お金は、失ってもまた稼ぐことができる。しかし、失われた1時間は、世界のどんな富豪であろうと、買い戻すことはできない。
この認識が、僕の中で確固たるものになった時、僕は時間を「消費」するのをやめた。 そして、時間を「投資」するという発想に切り替えたのだ。
僕が実践した「習慣の再設計」のプロセスは、3つのステップからなる。
- 時間の可視化(現状把握) まずは、自分が何に時間を使っているのかを、一週間、ただ記録してみた。その結果は衝撃的だった。SNSや動画サイトといった、何の価値も生まない時間に、1日のうち数時間も費やしていたのだ。この「客観的な事実」と向き合うことが、全ての始まりである。
- 価値観の明確化(目的地の設定) 次に、「自分は、人生において何を大切にしたいのか」を書き出した。「健康」「家族との関係」「知的成長」「精神的な平穏」。これが、僕の時間の使い道を判断するための「羅針盤」となった。
- 意図的な配分(タイムブロッキング) そして、この羅針盤に基づき、未来の一週間のスケジュールを、あらかじめ設計する。「月曜21時:読書」「水曜7時:ランニング」「土曜午後:家族と外出」。重要な予定を、仕事の会議と同じように、カレンダーにブロックしてしまうのだ。こうすることで、「何となく」入り込む時間を物理的に排除し、自分の価値観に沿った行動を、半ば強制的に習慣化することができる。
これは、自分の人生の経営者として、最も重要な資産である「時間」を、どこに投資するかという、極めて戦略的なポートフォリオを組む行為なのである。
3. 自由な時間に何をするべきか
時間を主体的に設計し始めると、質の高い「自由な時間」が生まれる。 では、その貴重な時間を、僕たちは何に使うべきなのか。
僕は、時間の使い方を4つの領域に分類して考えている。
- 「投資」の時間: 読書、学習、運動、副業、人脈構築など、未来の自分を豊かにするための活動。
- 「消費」の時間: 映画鑑賞、美味しい食事、友人との会話など、現在の自分を楽しませ、活力を与える活動。
- 「浪費」の時間: 目的のないSNS、愚痴、ゴシップなど、何の価値も生まない、避けるべき活動。
- 「空白」の時間: 何もせず、ただぼーっとする時間。
多くの人が、「投資」と「消費」の時間を増やし、「浪費」の時間を減らすべきだと考えるだろう。それは正しい。しかし、僕がここで特に強調したいのは、4つ目の「空白の時間」の重要性だ。
これは、「浪費」とは全く違う。 「浪費」が無意識的で、後から罪悪感を伴うのに対し、「空白」は、意図的に確保された、創造のための“余白”である。
常に情報に追われ、スケジュールに追われる現代において、「何もしない」という選択を、意識的に行う。公園のベンチで空を眺める。目的もなく散歩する。そうした時間の中で、僕たちの脳は情報を整理し、新しいアイデアの種が生まれる。
この「意図的に“浪費”する時間」こそが、効率化だけを追い求める人生に、深みと潤いを与えてくれる、最高の贅沢なのだ。
4. 若い人へのアドバイス
もし、20代の自分にアドバイスできるなら、僕はこう言うだろう。
まず、「時間の天引き」を始めろ、と。 給料から貯蓄分を天引きするように、1日の時間から、未来の自分のための時間を天引きするのだ。毎日30分でいい。読書でも、筋トレでも、プログラミングの学習でもいい。その30分の「時間の複利」が、10年後、20年後、他人とは比較にならないほどの、圧倒的な差を生むことになる。
そして、お金を惜しまず、「経験」に投資しろ、と。 20代の失敗は、失敗ではない。それは、未来の成功確率を上げるための、貴重なデータ収集だ。一人旅、無謀な挑戦、打ち込める趣味。それらの経験が、あなたの人間としての器を広げ、40代、50代になった時の、人生の選択肢を豊かにしてくれる。
君の時間は、君が思っているよりも、ずっと価値がある。その価値に気づき、主体的に投資する側に回ること。それが、何よりも重要な人生の戦略だ。
5. 自分の一日 or 週末の時間配分紹介
最後に、僕のとある理想的な週末の過ごし方を紹介したい。これはあくまで一例だが、僕の「時間設計」の思想が詰まっている。
【土曜日:インプットと交流の日】
- 午前(7:00-12:00): 起床後、1時間のランニング(健康への投資)。その後、2時間の読書とブログ執筆(知的成長への投資)。
- 午後(12:00-18:00): 家族と少し遠くの公園へ出かけ、昼食を共にする(関係性への投資)。
- 夜(18:00-22:00): 家族で映画を観るか、友人と食事(消費・リフレッシュ)。
【日曜日:内省と空白の日】
- 午前(8:00-12:00): 一週間の振り返りと、翌週の計画を立てる(戦略立案への投資)。
- 午後(12:00-17:00): 【空白】。あえて、何も計画を入れない。散歩したくなればするし、眠たければ昼寝をする。心が赴くままに過ごす。
- 夜(17:00-22:00): 好きな音楽を聴きながら、ゆっくりと入浴。静かに読書をし、心穏やかに週明けに備える。
「何となく」を人生から排除し、全ての時間に「意図」を込める。 そうすることで、僕たちの毎日は、驚くほど静かで、深い充実感に満たされ始める。
時間は、命そのものだ。 その使い方こそが、あなたの人生の物語を、豊かにも、貧しくもするのである。