人生論

幼少期から思春期にかけての「足りない経験」が、その後の人生を決定する

2025年8月8日

すべての始まりは、中学時代の「決意」だった

僕は今、38歳。 自らの意思でキャリアを選択し、経済的な自立を果たし、自分が「納得」できる人生を、自分の足で歩んでいるという、確かな実感がある。

その絶え間ない原動力は、どこから来るのか? 最近、ふと自分の半生を振り返った時、僕は、そのすべての始まりが、遠い昔、まだ何者でもなかった中学生の僕が、心に固く誓った、一つの静かな「決意」にあったことに気づいた。

それは、前向きな希望に満ちた、輝かしい決意などではなかった。 むしろ、それは、どうしようもない「欠落」と、魂からの「渇望」が生み出した、やむにやまれぬ、生存のための“産声”のようなものだった。

この記事は、僕という人間が、いかにして作られたのか。そして、僕たちが生涯をかけて追い求めるものの正体が、実は、思春期に満たされなかった「空白」を埋めるための、長く、そして愛おしい旅路なのかもしれない、という話である。


第一章:なぜ、僕は“あの決意”に至ったのか - 欠乏の風景

僕の思春期の記憶は、常に「足りない」という、漠然とした感覚に包まれている。

正直に言って、良い家庭環境ではなかった。

  • 承認が、足りない。 親から、褒められた記憶がない。むしろ、常にけなされ、人格を否定され続けていた。僕の心には、「自分は価値のない人間なのではないか」という、静かな疑念が、澱のように溜まっていった。
  • 安心が、足りない。 家庭は、僕にとって心安らぐ港ではなかった。親は頼りにならず、自分の身は、自分で守るしかないのだと、幼心に悟っていた。
  • 自由と、お金が、足りない。 周囲の友人たちが享受しているような、当たり前の自由や、経済的な余裕。それらと自分を比較するたびに、「なぜ、自分はこれを持っていないのか」という、静かな怒りにも似た感情が、胸の中で渦巻いていた。

この、言葉にならない「空っぽ」な感覚。 「このままでは、自分はいつか、この家で、この環境の中で、潰されてしまう」 その、本能的な恐怖が、僕の中で、一つの強烈な意思へと変わった。

他人の評価に、自分の価値を委ねるのは、もうやめよう。 誰も僕を認めてくれないのなら、僕が、僕自身を、誰よりも認めてやろう。

女子マラソンの有森裕子さんが、ゴール後に語った「自分で自分をほめたい」という、あの有名な言葉。中学生だった僕は、その言葉を、自分自身の人生のテーマに据えることを、固く、固く誓ったのだ。


第二章:“足りなさ”が、僕の人生の「設計図」になった

あの日の決意は、僕のその後の人生の、すべての選択を方向づける「設計図」となった。皮肉なことに、僕が渇望した「足りなかったもの」こそが、僕が人生で「手に入れるべきもの」の、明確なリストになったのだ。

  • 親からの十分な経済的支援がなかった → だから、自分の力で、経済的自立を達成することを誓った。 僕のFIREへの執着と、計画的な資産形成は、すべて、二度と誰にも金銭的に依存しない、という、あの日の渇望から始まっている。
  • 家族や大人からの知的刺激がなかった → だから、誰よりも学ぶことに、執着した。 僕がMBAの門を叩き、今もなお、本を読み、思考し、書き続けるのは、知性へのリスペクトに飢えていた、あの頃の自分を満たすためなのかもしれない。
  • 誰にも「認められた」経験がなかった → だから、他人の評価ではなく、自分だけの「納得感」を、何よりも追い求めるようになった。 しかし、その裏側では、心のどこかで、今もなお「誰かに認められたい」という、満たされなかった承認欲求が、僕を突き動かしていることも、否定できない。

僕という人間は、僕が「欠落」だと感じていたもの、そのもので、作られていたのだ。


第三章:そして人は、“最初の飢え”を、一生追い続ける

僕たちが、思春期に抱いた、あの強烈な「飢え」。 それは、大人になり、社会的成功や、経済的な安定を手に入れたとしても、決して完全に消え去ることはない。それは、僕たちの人格の、最も深い部分に刻み込まれ、生涯にわたって、僕たちの行動や選択に、静かな影響を及ぼし続ける。

  • 愛情の欠如を経験した者は、 大人になっても、他人との距離感の取り方に、不器用さを抱えるかもしれない。
  • 経済的な不足を経験した者は、 たとえ資産を築いたとしても、「お金がなくなるかもしれない」という、根深い不安から、完全には自由になれないかもしれない(僕がそうだ)。
  • 認められなかった過去を持つ者は、 僕のように、言葉で自分を表現し、世界に自分の存在を問い続けようとする、尽きることのないアウトプット欲を、抱えることになるのかもしれない。

僕の決意は、未来への希望であると同時に、過去の傷から自分を守るための“思春期の鎧”だったのだ。そして、僕は今も、その少し窮屈になった鎧を、脱ぐことができずにいる。


人は、何を追い求めて生きるのか

この記事を書きながら、僕は、中学生だった、あの頃の自分と、静かに対話している。 不器用で、孤独で、しかし、必死に自分を守ろうとしていた、あの小さな自分と。

そして、今なら、少しだけ、彼を抱きしめてやれるような気がするのだ。

「君が感じていた“足りなさ”は、決して呪いではなかったよ」と。 「その渇きこそが、君に、自分の足で立つ強さと、自分の頭で考える知恵を、与えてくれたのだから」と。

過去の傷が、人生のコンパスになることもある。

僕たちの人生は、もしかしたら、この、思春期に心に空いた「空白」を、様々な経験や、学びや、人との出会いを通じて、少しずつ、少しずつ、自分なりの形で埋めていく、長い旅路なのかもしれない。

そして、その空白が、完全に埋まる日は、来ないのかもしれない。 それで、いいのだ。 その「足りなさ」こそが、僕たちを、昨日より今日、今日より明日へと、歩ませ続ける、唯一にして、最も愛おしい原動力なのだから。

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