歴史

【歴史散策シリーズ】東京建築祭2025探訪記 - 時を巡る週末、行列の先に見たもの

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開かれた扉の先に、東京の“本当の顔”があった

毎年、この季節が来ると心が躍る。普段は固く閉ざされ、ガラスの向こうから眺めることしか許されない、東京という街が秘めてきた数々の宝物。その扉が、一斉に開かれる祭典——「東京建築祭」 。  

2024年の初開催時には6万5000人以上が参加し、大好評を博したこの祭りは、建築というレンズを通して、僕たちが住む街の魅力を再発見させてくれる、他に類を見ないイベントだ 。つくる人、使う人、そして守り継ぐ人々の思いに触れることで、いつも通り過ぎるだけの風景が、豊かな物語を帯びて立ち上がってくる 。  

2025年は、開催エリアも上野や港区まで拡大され、プログラムも大幅に拡充された 。僕もまた、この知的な冒険に参加すべく、いくつかの目的地に狙いを定め、街へと繰り出した。  

そこにあったのは、静謐な建築美だけではない。同じように目を輝かせ、歴史の息吹を感じようと集まった人々の熱気、そして時には1時間以上にも及ぶ、長い長い行列だった。

これは、そんな僕が巡った4つの近代建築と、その行列の先に見た、東京の“本当の顔”についての記録である。


第一章:明治生命館 - 昭和モダニズムの最高傑作、その静かなる威厳

まず向かったのは、皇居のお濠端に、圧倒的な存在感を放って佇む明治生命館だ。昭和9年(1934年)に竣工したこの建物は、古典主義様式の最高傑作と名高く、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定された歴史を持つ 。  

建物名明治生命館  
竣工年1934年(昭和9年)  
設計者岡田信一郎  
様式古典主義様式
主な特徴5層分を貫く壮大なコリント式の列柱。戦後GHQに接収され、対日理事会の舞台となった歴史を持つ。

一歩足を踏み入れると、そこはもう別世界だ。天窓から柔らかな光が降り注ぐ、2階までの吹き抜け。イタリア産大理石が惜しげもなく使われた回廊。そのすべてが、戦前の日本が到達した、一つの美の極致であることを物語っている。

僕が特に心を奪われたのは、その細部に宿る精神性だ。アカンサスの葉をモチーフにしたブロンズ製の扉の装飾、寄木細工が美しい執務室の床。これらは単なる飾りではない。満州事変が勃発し、世界が不穏な空気に包まれる中で、それでも揺るぎない美と秩序をこの地に打ち立てようとした、当時の人々の強い意志の表れのように感じられた。

東京建築祭の特別公開として、普段は非公開の7階講堂も見ることができた。壮麗なレリーフに囲まれたその空間で、僕はしばし、この建物が生き抜いてきた激動の昭和史に思いを馳せていた。


第二章:旧近衛師団司令部庁舎 - 1時間の行列の先にあった、歴史の“転生”

次に僕が向かったのは、北の丸公園に佇む、赤煉瓦が印象的な旧近衛師団司令部庁舎だ。現在は東京国立近代美術館の施設となっているこの建物も、普段は内部非公開 。その扉が開かれるとあって、そこにはこの日一番の光景が広がっていた。  

建物をぐるりと取り囲む、長蛇の列。最後尾のプラカードを持つスタッフに聞けば、「1時間待ち」とのこと。 5月の陽射しが照りつける中、人々は汗を拭いながらも、辛抱強くその時を待っている。その光景自体が、この建築祭というイベントの熱量を物語っていた。

建物名旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館施設)  
竣工年1910年(明治43年)  
設計者田村鎮(陸軍技師)  
様式ゴシック様式を基調とした煉瓦造建築  
主な特徴八角形の塔屋を持つ、明治期の官公庁建築の貴重な遺構 。関東大震災や東京大空襲を免れ、外観はほぼ創建当時の姿を保つ 。  

1時間後、ようやく足を踏み入れた内部。そこには、威厳に満ちた正面ホールと、2階へと伸びる優雅な両袖階段があった 。かつて、日本の近代化を象徴する陸軍エリートたちが闊歩したであろうその場所は、静寂に包まれ、訪れる人々を厳かに迎え入れていた。  

僕が感じたのは、歴史の「転生」とも言うべき不思議な感覚だった。かつて国家の武力を象徴したこの建物は、戦後、その役目を終え、今度は日本の工芸美を伝える美術館として再生された 。そして今、工芸館が移転し、再び静かな眠りについている 。  

一つの建物が、時代の変遷の中でその役割を変え、全く異なる意味をまとっていく。それは、変化し続けなければ生き残れないという、僕たち自身の人生や、現代社会のあり方そのものを象徴しているようにも思えた。行列の疲れも忘れ、僕はただ、その歴史の重層性に圧倒されていた。


第三章:三井本館と日証館 - 日本資本主義の“精神”を体感する

丸の内から日本橋へ。最後に僕が訪れたのは、日本の資本主義が生まれた場所、兜町とその周辺にそびえ立つ二つの建築だ。

三井本館 - 財閥の圧倒的なパワーの結晶

まず度肝を抜かれたのが、三井本館のスケールだ。1929年(昭和4年)、世界恐慌の年に竣工したこの建物は、三井財閥の総本山として、その圧倒的な力を誇示するかのように、重厚な新古典主義様式で建てられている 。  

建物名三井本館  
竣工年1929年(昭和4年)  
設計者トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所(米国)  
様式新古典主義様式  
主な特徴三井グループの本拠地。ドラマ『半沢直樹』のロケ地としても有名 。重要文化財でありながら、隣接する超高層ビル「日本橋三井タワー」との融合で動態保存を実現 。  

内部の吹き抜け大空間は、まさに圧巻の一言。大理石の柱が林立する様は、古代ローマの神殿を思わせる。この空間に立つと、個人の力などあまりにも矮小なものに感じられる。これは、単なるオフィスビルではない。三井という巨大な組織の「意志」と「永続性」を、石と鉄で表現した、一つのモニュメントなのだ。

日証館 - 渋沢栄一の精神が宿る、復興のシンボル

三井本館の圧倒的なパワーとは対照的に、日証館は、より人間的なスケールと、品格を感じさせる建物だ。1928年(昭和3年)、関東大震災からの復興を象徴するように、この地に建てられた 。  

建物名日証館  
竣工年1928年(昭和3年)  
設計者横河工務所(横河民輔)  
様式近世式(ネオ・ルネサンス様式)  
主な特徴「日本の資本主義の父」渋沢栄一の邸宅跡地に建設 。証券会社向けの賃貸オフィスビルとして、震災後の兜町の復興を支えた 。  

この建物の背景にある物語が、僕の心を強く打った。この場所が、かつて新一万円札の顔ともなる渋沢栄一の邸宅だったという事実だ 。彼の「合本主義」という、利益追求だけでなく、社会全体の利益を考えるという思想。その精神が、この兜町という場所には今も息づいているように感じられる。  

普段は業務日にしか入れないエントランスホールが、この日は特別に公開されていた 。大理石の壁と、優雅な意匠が施された天井。その空間に身を置くと、震災にも戦争にも屈せず、日本の経済を再建しようとした先人たちの、静かだが、燃えるような情熱が伝わってくるようだった。  


最高の“コスパ”趣味は、すぐそばにある

東京建築祭。それは、単に美しい建物を見て回るだけのイベントではなかった。 それは、僕たちが普段、意識することのない「時間」というものを、肌で感じる旅だった。建物の石の一つひとつに刻まれた歴史と対話し、その場所で生きた人々の苦悩や希望に、思いを馳せる。

この知的興奮は、遠くの観光地へ行くよりも、遥かに深く、そして安価に手に入れることができる。必要なのは、ほんの少しの好奇心と、自分の足で歩いてみるという、ささやかな行動だけだ。

行列は、確かに大変だった。しかし、それもまた、この祭りの一部。同じものに価値を見出し、心をときめかせる人々との、無言の連帯感。それもまた、悪くない体験だった。

あなたの街にもきっと、まだあなたが知らない物語を秘めた建物が、静かに佇んでいるはずだ。 次の休日、少しだけ視点を変えて、近所を散歩してみてはどうだろうか。 最高の冒険は、いつだって、すぐそばから始まるのだから。ソースと関連コンテンツ

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