
乃木坂に眠る、静かなる覚悟
僕の歴史散策は、時に、教科書では決して感じることのできない、生々しい感情の痕跡を求めて、時空を超える旅となる。今回の目的地は、東京・乃木坂。その名の由来となった、明治の軍人・乃木希典が、その妻・静子夫人と共に自らの生涯を閉じた場所、「旧乃木邸」だ。
ここは、年に数日しかその内部を公開されない、特別な空間。きらびやかな観光地とは対極にある、質実剛健で、静謐な空気に満ちた場所だ。多くの人が押し寄せることもなく、訪れる者は皆、どこか神妙な面持ちで、歴史の重みに静かに耳を傾けている。
そして、この場所を維持・公開しているのが、他ならぬ行政(港区)であるという事実に、僕は、ある種の感動と、納税者としての静かな誇りを覚えるのだ。
これは、単なる建物見学の記録ではない。100年以上前の壮絶な死の舞台と、現代の僕たちの生活が、思いがけない形で繋がっていることを実感した、ある秋の日の物語である。

第一章:質実剛健 - 軍人・乃木希典を体現する「家」

乃木神社の隣にひっそりと佇む旧乃木邸。それは、僕がこれまで見てきた華族の邸宅とは、全く趣を異にする建物だった。
建物名 | 旧乃木邸(国指定史跡) |
所在地 | 東京都港区赤坂 |
竣工年 | 1902年(明治35年) |
設計者 | 乃木希典 自身 |
様式 | フランスの兵舎を参考にした木造レンガ造 |
主な特徴 | 乃木将軍がドイツ留学中に見たフランス軍兵舎を模して自ら設計。華美な装飾を排した質実剛健な造りが特徴。1912年(明治45年)9月13日、明治天皇の大喪の日に、この邸宅の二階で乃木夫妻が殉死した。 |
華美な装飾は一切なく、どこまでも実用的。しかし、その簡素さの中に、軍人としての乃木希典の哲学と、揺るぎない美学が貫かれている。彼は、この家で何を思い、どんな日常を送っていたのか。建物そのものが、主の人物像を雄弁に物語っていた。

第二章:時が止まった部屋 - 生々しすぎる「歴史の証人」との対面
順路に従い、邸内を進む。そして、僕たちはその部屋の前に立った。乃木将軍と静子夫人が、自らの命を絶った二階の一室だ。
息を呑むほどの、静寂。 部屋の中央には、二人が殉死した際に着用していた軍服と着物が、静かに置かれている。それは、レプリカではない。100年以上前の、本物だ。
僕の視線は、静子夫人の着物に釘付けになった。胸元に、小さく、しかしはっきりと開いた穴。それは、彼女が自らの胸を突いた、短刀の跡だという。
声が出なかった。 教科書で読んだ「乃木大将の殉死」という、どこか遠い世界の出来事が、この生々しい「穴」を見た瞬間、圧倒的なリアリティを持って、僕の目の前に突きつけられた。
歴史とは、年号や事件の暗記ではない。それは、僕たちと同じように、血の通った人間が生きて、悩み、決断し、そして死んでいった、無数の物語の集積なのだ。その当たり前の事実を、この小さな穴が、何よりも雄弁に物語っていた。
建物内は、写真撮影が一切禁止されている。だからこそ、僕たちは五感を研ぎ澄ませ、この空間の空気、光、そして沈黙を、自分の記憶に深く刻み込もうとする。その体験は、何枚の写真を撮るよりも、遥かに深く、そしてパーソナルなものになる。
これほど貴重な歴史の証人を、今日まで守り続けてくれたこと。その事実に、僕はただただ「すごい」という言葉しか思い浮かばなかった。

第三章:税金の使い道と、僕たちの「納得感」
この旧乃木邸を管理し、年に数回の無料公開を続けてくれているのは、港区だ。 僕たちは、日々、税金の使い道について、様々な意見を言う。「無駄遣いだ」「もっと他に使うべきことがあるだろう」と。その批判の目は、もちろん健全な民主主義のために不可欠だ。
しかし、この日、僕は、自分が納めた税金が、こういう形で使われていることに、一種の「納得感」を覚えた。
100年後の未来を生きる人々のために、過去の記憶を、たとえそれが痛みを伴うものであっても、誠実に保存し、語り継いでいく。それは、効率や費用対効果だけでは測れない、文化的な豊かさの根幹をなす、極めて重要な行政の役割だ。
この静かな邸宅で、歴史と対話するという、プライスレスな体験。それを可能にしてくれているのが、僕たちが納めた税金なのだと知った時、納税という行為が、未来への投資として、少しだけ誇らしく感じられたのだ。

第四章:散策後のご褒美 - 茅乃舎の出汁が染みる、優しいおでん
歴史との重い対話を終えた後は、優しい味で心をほぐしたい。乃木坂からほど近い、東京ミッドタウンへ足を運び、「茅乃舎 だしおでん」で昼食をとることにした。
正直、良いお値段はする。東京ミッドタウンという土地柄を考えれば、仕方ないのかもしれない。 しかし、カウンター席に座り、目の前で湯気を立てるおでん鍋を眺めていると、その価格にも納得がいく。
運ばれてきたおでんの椀から立ち上る、茅乃舎ならではの、深く、澄んだ出汁の香り。大根を一口含むと、じゅわっと、優しい旨味が口いっぱいに広がる。これは、家庭では決して真似のできない、プロの仕事だ。
自由に取れる柚子胡椒や生七味といった薬味が、さらにその味わいを引き立てる。ああ、美味い。
乃木邸で感じた、明治という時代の、厳しく、しかし凛とした空気。 そして、茅乃舎の出汁がもたらす、令和という時代の、洗練された優しい味わい。
この二つの体験が、僕の中で見事に調和し、忘れられない休日の記憶として完成した。
歴史は、すぐそばで僕たちを待っている
旧乃木邸の訪問は、僕に多くのことを教えてくれた。 歴史とは、遠い過去の物語ではなく、今、ここに繋がる、生々しい記憶の連続であること。 そして、その記憶と対話する機会は、行政の地道な努力によって、僕たちのすぐそばに用意されているということ。
税金の使い道を、ただ批判的に眺めるだけでなく、時には、その恩恵を享受し、感謝する。そんな視点を持つことも、成熟した社会の一員として、大切なことなのかもしれない。
歴史散策と、美味しい食事。 これ以上の、豊かで、コストパフォーマンスに優れた休日の過ごし方を、僕は知らない。