高配当株投資

【「VYM」が最強だ】高配当株投資を中核に据える「投資哲学」。単なるリターンの数字だけでは測れない、深い魅力と「納得感」

投資の“正解”は、本当に一つだけなのか?

「全世界株式(オルカン)か、S&P500に、ただひたすら積立投資を続けること」

現代の資産形成において、これは、もはや揺るぎない「最適解」として語られる。低コストで、手間いらず。資本主義の成長という、最も確かな追い風に乗る。その合理性は、疑いようがない。僕も、その正しさを、頭では理解している。

しかし、僕の資産ポートフォリオの中核を成し、僕が最も信頼し、これからも人生を懸けて買い増していくと決めているのは、それらのインデックスファンドではない。

僕の旗艦は、いつだって「VYM(バンガード・米国高配当株式ETF)」だ。

この記事は、なぜ僕が、多くの人が「非効率だ」と指摘する高配当株投資という、少しだけ古風な道を、あえて選び続けるのか。そして、数ある高配-当株ETFの中で、なぜ「VYM」こそが最強だと信じて疑わないのか。

その、単なるリターンやチャートだけでは決して語ることのできない、僕の「投資哲学」と「人生観」についての、正直な告白である。

なぜ、「数字が増えるだけ」では、心が満たされないのか

僕も、もちろん投資信託を保有している。毎月、自動で積み立てられ、証券口座の数字は、緩やかに、しかし確実に、増えていく。それは、喜ばしいことだ。

しかし、僕の心は、その数字の増加に対して、ほとんど何も感じていないことに、ある日気づいてしまった。なぜなら、その画面上の数字は、僕の“今の”生活を、1ミリも楽にしてはくれないからだ。

それは、将来のための「仕送り」であり、遠い未来に開封されることを待つ「タイムカプセル」のようなものだ。その存在は、僕に将来への安心感を与えてくれる。しかし、それは同時に、あまりにも無機質で、手触りのない、ただの“概念”でしかない。

この、実感の伴わない資産形成は、時に、僕たちの心を折る。 暴落が来た時、僕たちを支えてくれるのは、「20年後には、きっと回復しているはずだ」という、遠い未来への、か細い希望だけだ。多くの人が、その希望を維持できずに、航海の途中で船を降りてしまう。

高配-当株投資という名の“福音” - なぜ、僕たちはこの魅力に抗えないのか

しかし、高配当株投資は、全く違う。 それは、僕たちの“今”この瞬間に、確かな「恵み」をもたらしてくれる。

① 「配当金」という、触れることのできる“実感”

3ヶ月に一度、僕の証券口座に、チャリン、と現金が振り込まれる。 それは、画面上の評価額のように、市場の気まぐれで増えたり減ったりする、幻のような数字ではない。僕が、今すぐにでも引き出し、使うことのできる、生々しい「現金(キャッシュ)」だ。

この、定期的に、そして強制的に、利益の一部を現金として受け取るという体験。 これが、「自分は、確かに資産を保有しており、その資産が、自分のために働いてくれている」という、圧倒的な**“実感”**を、僕に与えてくれる。

② 過去の自分からの“お小遣い”という、最高のフィードバック

僕にとって、配当金は、過去に汗水流して働き、規律を守って投資を続けてきた「過去の自分」から、今の自分への「仕送り」であり、「お小遣い」だ。

「よくやったな。これで、少し美味いものでも食えよ」

そう、過去の自分が、今の自分を労ってくれているかのような、温かい感覚。この、ポジティブなフィードバックのサイクルが、僕に「もっと、未来の自分のために、種を蒔こう」という、尽きることのないモチベーションを与えてくれるのだ。

「再投資した方が、複利が効いてお得」。 そんな合理的な正論は、百も承知だ。 しかし、人間は、それほど合理的な生き物ではない。この、ささやかで、しかし確かな「ご褒-美」があるからこそ、僕たちは、この長く、退屈な投資というマラソンを、笑顔で走り続けることができる。

③ 暴落局面における、“精神的な砦”

そして、この戦略が最も輝くのが、市場が恐怖に包まれる「暴落局面」だ。 インデックス投資家が、ただひたすらに資産の目減りに耐えなければならない時、高配当株投資家は、全く違う景色を見ている。

「株価は下がった。しかし、配当金は、変わらず振り込まれた」 「むしろ、株価が下がった今こそ、同じ投資額で、より多くの“配当金を生む機械”を、安く買うことができる」

暴落時でも途切れないキャッシュフローは、僕たちの心を、パニックから守る、最強の“精神的な砦”となる。恐怖の中で、冷静に、そして淡々と、買い増しを続けられる。この精神的な優位性こそが、高配-当株投資の、隠れた、しかし最大の強みなのだ。

なぜ、数ある中で「VYM」なのか - 僕の鉄壁ポートフォリオ

そんな高配当株投資の中で、僕が中核(コア)として、絶対的な信頼を置いているのが「VYM」だ。脇を固める「SPYD」や「HDV」にも、もちろん魅力はある。しかし、僕のポートフォリオの王は、いつだってVYMだ。

新NISAの成長投資枠も、僕は、すべてVYMで埋めることを決めている。

その理由は、VYMが持つ、「圧倒的な“退屈さ”」にある。

VYMは、約460もの銘柄に、広く分散されている。そして、その構成銘柄は、エクソンモービル、ジョンソン・エンド・ジョンソン、P&Gといった、巨大で、成熟しきった、良くも悪くも**「退屈な」**大企業が中心だ。

彼らの株価が、来年10倍になることはないだろう。しかし、10年後、20年後に、彼らがこの世界から消えている姿もまた、想像できない。

この、退屈なほどの安定感と、圧倒的な分散こそが、僕を「個別企業の分析」や「四半期ごとの決算チェック」といった、煩わしい雑務から、完全に解放してくれる。僕は、ただ、アメリカ経済という、巨大な船の、最も頑丈で、最も太い“背骨”の部分に、どっしりと乗っていればいい。

何も考えず、ただ、買い増し、保有し続けることができる。 この「思考停止できる」という仕組みこそが、VYMが、僕にとって最強である、最大の理由なのだ。

育てていく、ということ - “お小遣い”から“生活の柱”へ

もちろん、今の僕にとって、配当金は、まだ「お小遣い」程度の金額だ。 しかし、僕はこの配当金という名の「金のなる木」を、これからも、辛抱強く、育てていく。

今は、3ヶ月に一度の、ささやかな楽しみ。 しかし、10年後、20年後には、それは、僕の生活費の大部分を賄う、人生の、揺るぎない“柱”になっているはずだ。

会社からの給与という、一本の柱だけに依存する、脆弱な人生ではない。 自らが育て上げた、無数の優良企業たちが、僕が寝ている間も、世界中で稼ぎ続け、僕に富をもたらしてくれる。その「キャッシュフローのサイクル」が、僕を、本当の意味での「経済的自由」へと、導いてくれるのだ。

結論:投資とは、自分だけの“納得感”を探す旅である

投資の世界に、唯一絶対の「正解」はない。 あるのは、無数の「最適解」の、候補だけだ。

そして、僕たちが選ぶべきは、他人が「最も合理的だ」と称賛する道ではない。 僕たちが選ぶべきは、自分自身が、心の底から「これだ」と納得し、何十年にもわたって、どんな嵐の中でも、共に歩み続けられると信じられる、自分だけの道だ。

僕にとって、その道が「VYM」だった。ただ、それだけのことだ。

他人は、自分の信じるインデックスの道を、行けばいい。 僕は、僕の信じる、高配当株という、少しだけ遠回りで、しかし、確かな実りに満ちた道を、これからも、歩いていく。

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