働き方

「若手が育たないって?」それは間違いなくお前のせい

① 導入:違和感の提示

「最近の若手は、ハングリー精神が足りない」 「我々の若い頃に比べて、打たれ弱い」 「チャレンジをしないし、すぐに会社を辞めてしまう」

最近、驚くほど多くの場所で、こうした「“若手が育たない”」という嘆きの声を聞く。まるで、それが全ての組織が抱える、共通の課題であるかのように。経営層や管理職が集まれば、決まってこの話題がテーブルに上り、若者の意識の問題として、溜息と共に語られる。

だが、本当にそうだろうか。 本当に、全ての責任は、若手の努力や意識の低さだけにあるのだろうか。

僕は、この風潮に、かねてから強い違和感を抱いてきた。 「チャレンジしろ」と声高に叫びながら、その実、若者からチャレンジの機会を奪い、挑戦の芽を摘み取っている、目に見えない“構造”が、我々の組織の奥深くに、根を張っているのではないだろうか。

これは、単なる世代間のギャップ論ではない。日本の多くの企業が、知らず知らずのうちに陥っている、深刻な構造的欠陥についての話である。

② 体験:自分のケース

数年前、僕はキャリアの中で大きな転機となる経験をした。親会社からの出向という形で、全く異なる事業領域の、高難度なプロジェクトを任されたのだ。

そこは、年次や役職に関係なく、成果こそが全ての世界だった。僕は、他部門の専門家たちと膝を突き合わせて議論し、時には役員クラスに直接プレゼンし、厳しいフィードバックを受けながらも、必死で食らいついた。それは、これまで経験したことのない、濃密で、刺激的な時間だった。

自分の提案が通り、プロジェクトが目に見えて前進していく。部門の垣根を越えて、信頼できる人脈が広がっていく。厳しい環境の中で、自分でも驚くほど、視座が高まり、スキルが磨かれていく実感があった。そして、最終的には、周囲の協力も得ながら、プロジェクトを成功裏に完遂させることができた。

大きな達成感と、確かな成長の手応えを胸に、僕は元の部署へと帰任した。 さあ、この経験を活かして、自部署に新しい風を吹き込むぞ――。そんな意気込みに燃えていた僕を待っていたのは、信じがたい現実だった。

帰任後に僕に与えられたのは、出向前と何ら変わらない、むしろ、誰でもできるような単純作業の数々だったのだ。派遣社員の方でも十分にこなせるような、定型的な業務の繰り返し。そこには、出向先で培った高度な交渉術も、部門横断的な調整能力も、築き上げた人脈も、活かす場面はどこにもなかった。

正直、戸惑った。 「これが、成長して帰ってきた人間に与えられる“次のステージ”なのか?」 「あの壮絶な日々で得たものは、この部署では、宝の持ち腐れでしかないのか?」

この、成長と機会の“断絶”。 それは、単に僕個人の不運な出来事だったのだろうか。いや、そうではない。この経験こそが、多くの日本企業が抱える、根深い問題の縮図なのだと、僕は確信するに至った。

③ 社会的な構造問題への考察

なぜ、このようなことが起きるのか。 それは、多くの日本企業が、未だに「年功序列」「固定化されたポスト」という、古いOS(オペレーティングシステム)で動き続けているからに他ならない。

そこでは、能力や意欲ではなく、年齢と勤続年数が、役職と権限を決定づける。一度その椅子に座った人間は、定年までその地位に安住し、自ら席を立つことは滅多にない。

結果として、組織の上層部は、常に同じ顔ぶれで「満席」状態となる。 これは、次の世代の視点から見れば、出口のない渋滞の最後尾に並ばされているようなものだ。前が詰まっているのだから、どれだけアクセルを踏み込もうとしても、前に進むことはできない。組織全体の「流動性」が失われ、新しい才能が挑戦するための、空席(ポスト)が生まれないのだ。

会社は「全員活躍社会」をスローガンに掲げ、「リスキリング(学び直し)」を声高に推奨する。 しかし、その実態はどうか。 意欲ある若手が自ら手を挙げて学び直し、新しいスキルを身につけても、そのスキルを活かせる部署への異動は叶わない。なぜなら、異動先のポストが、既に埋まっているからだ。

これは、極めて残酷な矛盾である。 会社は、若者に「泳ぎ方を学べ」と奨励しながら、肝心の「泳ぐためのプール」を用意していないのだ。 学びを活かす土壌そのものがなければ、どんなに素晴らしい種を蒔いても、芽吹くことはない。

④ 提起:本当に若手が育たないのか?

この構造的な欠陥を無視して、「若手が育たない」と嘆くのは、あまりに簡単で、怠惰な責任転嫁ではないだろうか。

問題の本質は、若手にあるのではない。若手が挑戦し、成長するための「機会」と「道筋」を、組織が用意できていないことにある。

実際に、僕の周りにも、高い志と能力を持ちながら、キャリアに閉塞感を抱いている若手は数多く存在する。彼らは自ら異動希望を出し、新しい領域への挑戦を望む。しかし、組織からの返答は、いつも同じだ。「今はポストがない」「君の今の仕事も重要だから」と。

彼らは、決してチャレンジしたくないわけではない。むしろ、その機会に飢えているのだ。 しかし、上が詰まっていることで、そのエネルギーをぶつける場所がない。やがて、その熱意は諦観に変わり、静かに「腐っていく」か、あるいは、より良い機会を求めて、組織を去っていく。

だとすれば、我々が口にすべき言葉は、こうではないか。

「若手は“育たない”のではない。“育てさせてもらえない”のだ」と。

そして、本当に問われるべきは、若者の意識ではなく、「自分たちが“上が詰まっている”元凶である」という事実を自覚していない、一部の年長者や管理職の存在そのものなのである。彼らこそが、組織の新陳代謝を妨げ、若者の未来を塞いでいる、最大の構造的問題なのだ。

⑤ 提言:解決の糸口を読者に投げる

この根深い問題を、どうすれば解決できるのか。 特効薬はない。しかし、組織に属する我々一人ひとりが、当事者として、自らに問いを立てることからしか、変化は始まらない。

もし、あなたが組織の中で、ある程度の裁量権を持つ立場にいるのなら、ぜひ一度、胸に手を当てて考えてみてほしい。

  • あなたは、次の世代に、自分の「椅子」を譲る覚悟ができているか?
  • あなたは、部下から異動希望が出た時、それを応援し、後押しできる環境を作っているか?
  • あなたは、部下が新しく学んだスキルを、活かせるプロジェクトや役割を、意図的に与えているか?

僕自身の経験から、一つだけ確信を持って言えることがある。 それは、「若手が腐る前に、機会を与えるべきだ」ということだ

たとえ失敗のリスクがあったとしても、少し背伸びをした、ストレッチな環境に身を置くことこそが、人を最も成長させる。その機会を意図的に設計し、提供すること。それこそが、未来への最も確実な投資であり、上に立つ者の、最大の責務なのである。

⑥ 結びの一文

我々は、あまりにも安易に、「若手が育たない」という言葉を口にしすぎてはいないだろうか。

その言葉を嘆きのBGMとして流す前に、まず我々自身が、その若者の成長を阻む「仕組み」の一部になっていないか、あるいは、その仕組みをただ見て見ぬふりをしていないか。

もう一度、静かに、深く、問い直すべきである。

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