働き方

「管理職」という名の人参を追いかける、僕たちの“終わらない”マラソン

2025年8月14日

僕たちは、なぜ走り続けることをやめられないのか

日本の会社で正社員として働くということ。 それは、ゴールテープの存在しない、終わりのないマラソンに参加する権利を得ることに、どこか似ている。

入社したその日から、僕たちの目の前には、「出世」という名の、一本の道しか示されない。そして、はるか前方には、「課長」「部長」といった名の、きらびやかな“ニンジン”が、常にぶら下げられている。

「頑張れ。走り続ければ、いつかあのニンジンに手が届くぞ」

上司も、社会も、そして僕たち自身も、そう信じて、ただひたすらに走り続ける。周りのランナーより、少しでも前に出るために。コースから脱落する恐怖に、背中を押されるように。

しかし、30代も後半に差し掛かり、息が切れ始めた僕の頭の中には、ある根源的な問いが、繰り返し響くようになった。

「このニンジンは、本当に僕が欲しいものなのだろうか?」 「そもそも、このマラソンは、誰のための、一体何のためのレースなのだ?」と。

この記事は、そんな僕が、この国独自の「全員参加の出世レース」という、巧妙で、しかし残酷なゲームの正体を解き明かし、その不毛なレースから、自分自身の人生を取り戻すための、静かなる“革命”の物語である。


第一章:「全員が幹部候補」という名の、美しい“呪い”

なぜ、僕たちは、これほどまでに画一的な出世レースに参加させられてしまうのか。 その根源は、日本企業が長年採用してきた「メンバーシップ型雇用」という、独特のシステムにある。

新卒を一括で採用し、明確な職務を定めず、様々な部署を経験させながら、将来の会社を担うゼネラリスト、すなわち「幹部候補」として、全員を平等に育てていく。 このシステムは、高度経済成長期には、極めて合理的に機能した。会社という村の未来を担う、忠誠心の高い若者を、効率的に育成することができたのだから。

しかし、経済の成長が止まり、会社のポスト(ニンジン)の総数が、もはや増えなくなった現代において、このシステムは、美しい理想から、僕たちを縛り付ける“呪い”へと、その姿を変えた。

レースのルールは変わらないのに、ゴールできる人数だけが、激減してしまったのだ。


第二章:ニンジンがもたらす“渇き” - このレースの、あまりにも大きな代償

この「全員参加の出世レース」は、僕たちの人生に、いくつかの深刻な“渇き”をもたらす。

① 選択肢の渇き:「専門家」という道の、不在

このレースには、「脇道」や「休憩所」が、ほとんど用意されていない。「管理職を目指す」という一本道のコースを外れることは、「ドロップアウト」や「負け」を意味する。 「僕は、管理職になるより、現場のスペシャリストとして、自分の技術を極めたい」 そう願ったとしても、その生き方を肯定し、正当に評価してくれる制度は、多くの日本企業には、まだ存在しない。僕たちは、走りたくもないマラソンを、ただ、走り続けるしかない。

② 時間の渇き:あまりにも長い、拘束時間

このレースで評価されるのは、今もなお、「長時間労働を厭わない、会社への献身」だ。20代、30代という、人生で最もエネルギーに満ちた、かけがえのない時間を、僕たちはこのレースに捧げることを、半ば強制される。 その結果、家族と過ごす時間、自分を磨く時間、ただ心を休める時間、そのすべてが犠牲になっていく。

③ 報われることのない、心の渇き

そして、これが最も残酷な現実だ。 このレースは、その構造上、参加者の大多数が「ニンジンに手が届かないまま終わる」ように、設計されている。 企業のポストには、限りがあるのだから、当然だ。

しかし、システムは、最後の最後まで「君も頑張れば、手が届くかもしれない」という、甘い希望を見せ続ける。その希望にすがり、人生の貴重な時間を捧げた結果、40代、50代になって、梯子を外される。 「頑張ったけれど、報われなかった」 このシステムは、そんな、静かな絶望を抱えた中年を、構造的に、大量に生み出し続けるのだ。


第三章:他人のニンジンを追いかけるな。自分の“畑”を耕せ

では、この不毛なレースから、僕たちはどうやって自由になればいいのか。 社会が変わるのを待っていても、僕たちの人生は終わってしまう。

僕がたどり着いた答えは、シンプルだ。 他人がぶら下げたニンジンを追いかけるのを、やめることだ。 そして、そのエネルギーを、自分だけの「ニンジン」を育てるための、自分だけの“畑”を耕すことに、振り向けるのだ。

① 「会社のレース」を、「自分のトレーニング」と再定義する

まず、会社での仕事に対する、意識を根本から変える。 僕はもはや、会社のために走っているのではない。会社の給料という名の“水”と、業務経験という名の“肥料”を使い、僕自身の「市場価値」という名の作物を育てるために、このレースを利用しているのだ。 視点を変えるだけで、日々の仕事は、会社への奉仕から、自分自身の未来への「戦略的投資」へと、その意味を反転させる。

② 自分だけの「ニンジン」を、明確に定義する

会社が提示するニンジンは、「役職」と「高い給与」だ。 しかし、僕が本当に欲しいニンジンは、それだけだろうか?

  • 「時間の自由」というニンジン
  • 「経済的自立」というニンジン
  • 「新しいスキルを習得する」というニンジン
  • 「家族と笑って過ごす」というニンジン

僕たちは、自分自身の心と対話し、自分が心の底から「欲しい」と願う、自分だけのニンジンを、明確に定義する必要がある。

③ “畑”を耕す、具体的な行動

そして、その自分だけのニンジンを育てるために、具体的な行動を起こす。 会社のレースを走りながらも、その傍らで、着実に、自分の畑を耕し続けるのだ。

  • 給与の一部を、天引きで投資に回し、「経済的自立」の種を蒔く。
  • 退勤後や週末の時間を、新しいスキルや資格の学習に充て、「市場価値」の土壌を肥やす。

あなたは、誰のレースを走っているのか?

この「終わらないマラソン」は、従業員を、会社という名のコースに縛り付けておくための、実に巧妙なシステムだ。

しかし、ひとたび視点を変え、自分だけのニンジンを心に描いた瞬間、僕たちは、その呪縛から自由になる。 周りのランナーたちは、相変わらず、遥か前方の、おぼろげなニンジンに向かって、必死の形相で走っているかもしれない。

しかし、僕たちは、違う。 僕たちは、彼らと同じコースを走っているようでいて、全く別のレースを戦っている。 それは、他人との比較ではなく、昨日の自分との対話を重ね、自分だけの畑に、確かな実りを育てるという、静かで、しかし、何よりも尊いレースだ。

さあ、顔を上げて、一度、立ち止まってみよう。 そして、自問してみよう。

あなたが今、必死で追いかけているそのニンジンは、本当に、あなたの魂が渇望しているものですか?

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