その痛みは、ある日突然やってきた
僕の日常は、多くのデスクワーカーがそうであるように、モニターの光と、静かに固まっていく肩こりと共にある。集中してキーボードを叩けば叩くほど、首から肩にかけて、まるで鉄板が埋め込まれていくような感覚。まあ、これも現代人の宿命だろうと、僕はそれを半ば諦めていた。
健康のため、そして精神的な安定のために、僕は筋トレを習慣にしている。重いバーベルを持ち上げ、筋肉が成長していく感覚は、確かに僕に自信と活力を与えてくれた。しかし、僕は一つの重要なことを見落としていたのだ。
「鍛える」ことと、「解す」ことは、全く別の行為であるという、シンプルな真実を。
その代償は、ある夜、突然やってきた。眠りについて数時間後、脇腹から背中にかけて、筋肉が内側からねじ切られるような激痛で目が覚めたのだ。身体が「つる」という、あの現象。あまりの痛みに声も出せず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない、地獄のような時間。
その日から、僕の身体は、頻繁にこの反乱を起こすようになった。筋トレばかりで、身体を解すことを怠った結果、僕の筋肉は悲鳴を上げていたのだ。このままではいけない。僕は、この痛みと向き合うことを決意した。
第一章:デスクという名の戦場と、筋トレという名の“追い打ち”
僕たちが抱える身体の不調は、二つの異なる、しかし密接に関連した原因から生まれている。
① デスクワークという、静かなる拷問
僕たちデスクワーカーの身体は、一日中、見えない重力と戦っている。重い頭と腕を支えるため、首や肩、背中の筋肉は常に緊張状態にあり、血管を圧迫し、血流を悪化させる 。血行不良に陥った筋肉には酸素や栄養が届かず、疲労物質が溜まっていく。これが、慢性的な凝りの正体だ。
日本人は世界でもトップクラスの座位時間を誇る「座りすぎ大国」だという。この「座りすぎ」は、単なる凝りだけでなく、より深刻な健康リスクと関連していることも指摘されている。僕たちが感じる肩の痛みは、氷山の一角に過ぎないのだ。
② ケアなき筋トレの、予期せぬ代償
健康のために始めた筋トレも、ケアを怠れば諸刃の剣となる。トレーニング後の筋肉は微細な損傷を受け、緊張した状態にある。ここで適切なケアをしないと、筋肉は硬直し、柔軟性を失い、血流も低下する。その結果、回復が遅れ、筋肉痛が長引くだけでなく、怪我のリスクも高まるのだ 。
そして、僕を苦しめた「つる」という現象、すなわち運動関連筋痙攣(EAMC)は、この筋肉の極度の疲労や、神経伝達のエラーが引き起こす、身体からの悲痛なSOSサインなのである。
第二章:僕の週次リセット - 1時間の「積極的休養」
この負のスパイラルを断ち切るために、僕は様々な方法を試した。そして最終的にたどり着いたのが、週に一度、1時間だけ行う、極めてシンプルなセルフケアの習慣だ。
それは、ただゴロゴロするだけの「消極的休養(パッシブレスト)」ではない。あえて軽く身体を動かすことで、血流を促進し、疲労回復を早める「積極的休養(アクティブレスト)」というアプローチだ。
① 30分間の筋膜リリース:DAZNを見ながら、無心で転がす
まず僕が手に取ったのは、トリガーポイント社の「グリッドフォームローラー」だ。 筋膜とは、筋肉を包む薄い膜のこと。長時間同じ姿勢でいたり、筋肉を酷使したりすると、この筋膜が癒着し、筋肉の動きを妨げ、凝りや痛みの原因となる 。フォームローラーは、この筋膜の癒着を、自らの体重をかけて解放(リリース)するためのツールだ 。
僕はこの30分間を、動画を垂れ流しながら続けている。 床にフォームローラーを置き、スマホでDAZNのスポーツ中継を流す。そして、試合観戦に夢中になりながら、背中、肩甲骨、お尻、太ももと、凝り固まった部分をゆっくりと、無心で転がしていく。エンターテイメントとセルフケアの融合。これなら、面倒くさがりの僕でも、無理なく続けることができる。
② 30分間の全身ストレッチ:最高の“指南役”と共に
筋膜がほぐれ、身体がリラックスした状態で、次に行うのがストレッチだ。 ここで僕が絶大な信頼を置いているのが、YouTubeチャンネル「前田のまいにちセルフケア」である 。トータルスポーツブランド「GronG」の専属トレーナーである前田さんが、専門知識に基づき、非常に分かりやすく全身のストレッチをガイドしてくれる。
僕は、その中の「30分全身ストレッチ」の動画を再生し、ただ、その声に従って身体を伸ばしていく。呼吸を止めず、じっくりと。専門家のガイドがあることで、自己流では決して得られない、安全で、効果的なストレッチが可能になるのだ 。
第三章:最高の成果は、「何も起きない」という奇跡
正直に告白しよう。 この週一回の習慣を始めた当初、僕は何度も「これ、やってて意味あるのか?」と疑問に思った。
筋肉がムキムキになるわけでも、体重が減るわけでもない。柔軟性が劇的に向上して、開脚で胸が床につくようになるわけでもない。そこには、SNSで自慢できるような、目に見える成果は何一つなかった。
しかし、数ヶ月が経った頃、僕は、ある重大な変化に気づいた。 それは、「何も起きなくなった」という、静かな、しかし何物にも代えがたい奇跡だった。
あれほど僕を苦しめた、脇腹や背中が突然つるという、あの激痛。それが、いつの間にか、すっかり姿を消していたのだ。火曜の夕方には必ず訪れていた、肩の重苦しさも、感じなくなっている。
僕が得た最大の成果は、「プラスα」を手に入れたことではなかった。それは、僕の日常から「マイナス」が消え去り、痛みも、凝りも、不調もない、「ゼロ」という名の、最高の状態を取り戻したことだったのだ。
これは、問題が起きてから対処する「治療」ではない。問題が起きる前に防ぐ「予防メンテナンス」だ。この地味な習慣こそが、僕の生活の質(QOL)を、静かに、しかし確実に支えてくれている。
あなたの身体からの“小さな悲鳴”に、耳を澄ませて
もちろん、この方法が、すべての人に効果があるとは限らない。 しかし、もしあなたが僕と同じように、デスクワークで身体を固め、トレーニングで身体を酷使し、そして、時折訪れる原因不明の身体の不調に、見て見ぬふりをしているのなら。
一度、試してみてほしい。 週に一度、たった1時間だけ、自分の身体を「解す」ためだけの時間を、自分にプレゼントしてみてほしい。
目に見える劇的な変化はないかもしれない。 しかし、ある日ふと、あなたは気づくはずだ。 「そういえば最近、身体のあの不快感を、感じていないな」と。
その「何も起きない」という静かな勝利こそが、この習慣がもたらしてくれる、最高の報酬なのだから。