「危うく、一生懸命“生きる”ところだった」
「一生懸命に働くことは、美しい」 「仕事に打ち込む姿は、尊い」
僕たちは、物心ついた頃から、そう教え込まれてきた。まるでそれが、人間として唯一の正しいあり方であるかのように。
しかし、僕は今、あえてあなたに問いたい。 「あなたは、何に“一生懸命”になっていますか?」と。
もし、その答えが「仕事です」という一言で終わってしまうなら、それは少し、危険なサインかもしれない。なぜなら、あなたは人生で最も重要なプロジェクトを、知らず知らずのうちに放棄している可能性があるからだ。
とある経営者の言葉として「危うく一生懸念命“生きる”ところだった」という、示唆に富んだフレーズを紹介している。これは、仕事に没頭するあまり、自分自身の人生を生きることを忘れかけていた、という深い自戒の念が込められた言葉だ。
この記事は、仕事をサボることを推奨する「不真面目のすすめ」ではない。 むしろ、あなたの、そして僕の、たった一度しかない人生に対して、誰よりも真剣に、誰よりも誠実になるための、「人生の焦点を、正しく合わせ直す」ための提案である。
第一章:なぜ僕たちは「仕事」に人生を乗っ取られてしまうのか
冷静に考えれば、仕事は人生の一部に過ぎない。にもかかわらず、なぜ僕たちの多くは、仕事に感情を、時間とエネルギーの大部分を、そして時には人生そのものを乗っ取られてしまうのだろうか。
その背景には、僕たちを無意識のうちに縛り付ける、いくつかの強力な「外部の物語」が存在する。
一つは、「学校教育が育んだ“勤勉”という美徳」だ。僕たちは幼い頃から、決められたルールの中で、良い成績を取り、言われたことを真面目にこなすことが「良いこと」だと学んできた。そこでは、個人の「好き嫌い」や「これは本当に意味があるのか?」という根源的な問いは、二の次にされがちだった。
二つ目は、「会社組織が語る“やりがい”という名の巧妙な論理」。企業は、従業員が自社のビジョンやミッションに共感し、「やりがい」を感じ、自発的に貢献してくれることを望んでいる。その物語に乗っかり、仕事に没頭することは、確かに一時的な高揚感や所属欲求を満たしてくれる。しかし、その「やりがい」は、本当にあなた自身の内側から湧き出たものだろうか。
そして三つ目は、「社会全体が作り上げた“仕事の成功=幸せ”という単純な方程式」だ。高い地位、高い年収。そうした分かりやすい指標が、メディアやSNSを通じて、あたかも人生の成功そのものであるかのように喧伝される。
僕たちは、これらの「外部の物語」にあまりにも無防備だ。そして、それに無自覚に乗っかることで、自分の人生の主導権を、知らず知らずのうちに他人に明け渡してしまっているのだ。
第二章:仕事は「OS」ではない。人生というPCの、いちアプリケーションに過ぎない
ここで、僕の考えを一つの比喩で説明したい。
あなたの人生全体を、一台の高性能な「パーソナル・コンピュータ(PC)」だと考えてみてほしい。そして、そのPCを動かす根幹のシステムが、あなたの価値観や哲学、すなわち「OS(オペレーティングシステム)」だ。
では、「仕事」は何か? それは、そのOS上で動く、数ある「アプリケーション」の一つに過ぎない。
あなたのPCには、仕事以外にも、たくさんの重要なアプリケーションがインストールされているはずだ。「健康」という名のウイルス対策ソフト、「家族」や「友人」という名のコミュニケーションツール、「趣味」や「学び」という名のエンターテイメント・教育ソフト、「資産形成」という名の家計簿ソフト、そして「内省」という名のデフラグツール…。
しかし、多くの人は、この「仕事」という一つのアプリケーションに、PCのCPUとメモリのほぼ全てを占有させてしまっている。その結果、他のアプリケーションはフリーズ寸前。PC全体は熱暴走を起こし、OSそのものが不安定になっている。これが、「仕事に人生を乗っ取られた」状態の正体だ。
本当に重要なことは何か? それは、PCの管理者である「あなた」が、OS全体の安定稼働に責任を持つことだ。そして、どのアプリケーションを、いつ、どれくらいの熱量で動かすのかを、あなた自身の「自律」的な意思で決定することなのだ。
仕事が面白い時期なら、そのアプリをメインで動かせばいい。しかし、家族との時間が何より大切だと感じるなら、そちらにリソースを割くべきだ。健康が優れないなら、何よりもまずウイルス対策ソフトを起動させるのが、賢明な管理者だろう。
仕事は、あなたの人生そのものではない。あなたのOS上で動く、代替可能な、数ある選択肢の一つに過ぎないのである。
第三章:人生の主語を「自分」に戻すための、具体的な3つのステップ
では、どうすれば仕事という強力なアプリケーションを適切にコントロールし、人生の主導権を自分に取り戻せるのか。僕が実践している3つのステップを紹介したい。
ステップ①:自分の「好き嫌い」と「納得感」に、誰よりも誠実になる
楠木建氏が喝破したように、人間のパフォーマンスを最も持続的に、そして最も高く引き出す燃料は、「好き」という感情だ。義務感や、「やるべき」という他人の物差しで動いているうちは、決して最高のパフォーマンスは発揮できない。
まずは、自分の心に正直になることだ。今の仕事の、どの部分が好きで、どの部分が嫌いか。どの業務に「意味」と「納得感」を感じ、どの業務がただの「消耗」でしかないのか。それを徹底的に棚卸しする。
そして、自分の時間とエネルギーという、最も貴重な資源を、「好き」で「納得できる」領域に、意図的に再配分していく。他人に認められることよりも、自分が心の底から「これをやっていて良かった」と思える瞬間のために、リソースを集中させるのだ。
ステップ②:いつでも降りられる「構造」を、意図的に構築する
仕事が「所詮仕事程度」だと心から思えるようになるためには、決定的に重要なことがある。それは、「この仕事に、自分の人生は依存していない」という状態を、精神論ではなく「構造」として作り上げることだ。
僕がこれを「構造的倫理観」と呼んでいるのは、この構造こそが、僕たちを精神的に自由にさせ、結果として倫理的で、自分らしい判断を可能にすると信じているからだ。
具体的には、
- 経済的な逃げ道: 資産形成を進め、給与収入が途絶えても、数ヶ月〜数年は生きていけるだけの基盤を築く。
- 知的な逃げ道: 現在の仕事とは別の分野のスキルを学ぶ(MBA、プログラミング、語学など)。自分の市場価値を高め、転職や独立の選択肢を持つ。
- 社会的な逃げ道: 会社以外のコミュニティに所属し、多様な人間関係を築く。
これらの「逃げ道」は、僕たちに「いざとなれば、いつでもこの船から降りられる」という、圧倒的な精神的余裕を与えてくれる。その余裕があるからこそ、僕たちは会社に対して過度に媚びることなく、自分らしく、堂々と仕事に向き合うことができるのだ。
ステップ③:「会社の自分」というペルソナから、自分を解放する
僕たちは、あまりにも長い時間、「会社の自分」という仮面(ペルソナ)を被って生きている。しかし、それはあなたの数ある顔の一つに過ぎない。
意識して、多様な「顔」を持つことが重要だ。 「趣味のカラオケで高得点を狙う、挑戦者の自分」 「ただ黙々と自然の中を歩き、思索にふける自分」 「家族や友人と、くだらない話で笑い合う自分」 「何もせず、ただ空を眺めているだけの自分」
会社という舞台で何かが起きても、それは「俳優としての一つの役柄」に起きたことに過ぎない、と思えるようになる。一つのアイデンティティに依存しない生き方は、人生のレジリエンス(精神的な回復力)を飛躍的に高めてくれるだろう。
あなたは、何に「一生懸命」になりますか?
もう一度、あの言葉に立ち返ろう。 「仕事ごときに、一生懸命になるな」
この言葉の真意は、決して「手を抜け」「努力するな」ということではない。 それは、「仕事という、人生のいちパーツの最適化に汲々とするのではなく、あなたの人生全体という、この世で最も尊く、やり直しのきかないプロジェクトに対して、誰よりも真剣に、一生懸念命になれ」という、強烈で、愛に満ちたメッセージなのだ。
仕事は、その「最高の人生」という目的を達成するための、あくまでツールであり、手段であり、一つの風景に過ぎない。
あなたの人生という、たった一度きりの、あなただけが監督・脚本・主演を務める映画。 そのフィルムを、会社の会議室のシーンだけで埋め尽くすのは、あまりにもったいない。
さあ、思い出そう。 この人生の主役は、あなただ。 あなたは、これからどんな物語を紡いでいきたいですか? あなたは、何に、その限りある情熱を注ぎ込みますか?