
その“常識”は、いつの時代のものですか?
「いい大学に入りなさい。そうすれば、いい会社に入れて、幸せな人生が送れるから」
僕たちの親世代、そして、社会そのものが、長年、僕たちに繰り返し聞かせてくれた、甘美な子守唄。 僕自身もまた、その子守唄を信じ、大学の門をくぐり、会社員となり、そして今、ビジネススクール(MBA)で、学び続けている。
しかし、もし、今の僕が、すべての知識と経験を持ったまま、18歳のあの日に戻れるとしたら。 僕は、迷うことなく、全く別の選択をするだろう。 僕は、絶対に、日本の四年制「大学」には、行かない。
これは、決して、学びそのものを否定する話ではない。 むしろ、その逆だ。これは、人生100年時代、そしてAIが人間の知性を代替し始めたこの新しい時代において、僕たちが、本当に価値のある「学び」に、いかにして、自らの貴重な時間と資産を投資すべきかという、極めて真剣で、戦略的な提案である。
あなたは「大学4年間」の、本当のコストを計算したことがあるか?
なぜ、僕は、あれほど神聖視されてきた「大学」という選択肢を、こうもきっぱりと否定するのか。 それは、現代において、大学4年間という投資が、あまりにもコストパフォーマンスの悪い「不良債権」と化してしまったからだ。
① 1000万円という、あまりにも重い「金銭的コスト」
まず、直接的な費用を計算してみよう。 私立大学の4年間の学費は、平均で約400万円。地方から上京すれば、家賃や生活費で、さらに年間150万円、4年で600万円が上乗せされる。 合計、1000万円。 この、あまりにも巨大な初期投資の元を、僕たちは、その後の40年間の労働で、本当に回収できるのだろうか。
② 4年間という、二度と戻らない「機会損失」
そして、お金以上に、僕が問題視しているのが、この「機会損失」だ。 18歳から22歳という、人生で最も感受性が豊かで、吸収力が高く、そして、失敗のコストが限りなくゼロに近い、この黄金の4年間。 その時間を、僕たちは、本当に「大学」という、閉ざされたキャンパスの中で過ごしてしまって、いいのだろうか。
その4年間があれば、
- 世界中を、バックパック一つで旅することもできた。
- 一円でも多く稼ぎ、積立投資を始めることもできた。
- 小さなビジネスを立ち上げ、盛大に失敗することもできた。
これらの、現実世界での生々しい「一次情報」に満ちた経験と、教授が語る、教科書の中の理論。どちらが、これからの不確実な時代を生き抜く上で、より価値のある「学び」であるかは、もはや、議論の余地すらないと、僕は思う。
③ 時代遅れの「知識」と、劣化する“ブランド”
かつて、大学は、知の最前線だった。しかし、インターネットが普及した今、大学で教えられる知識の多くは、オンラインの学習プラットフォームで、遥かに安価に、そして効率的に学ぶことができる。 「大学卒業」という学歴(ブランド)もまた、かつての輝きを失った。それが、思考停止で、主体性のない4年間を過ごしたことの証明にしかならないのであれば、むしろ、マイナスの烙印にさえなりかねない。
僕が提案する、21世紀の「学び」の新しいモデル
では、大学に行かないのなら、どうすればいいのか。 僕が提案したいのは、旧来の「学び→仕事→引退」という直線的なモデルではない。「実践と、学習の、往復運動」を繰り返す、より動的で、モジュール型の新しい学びのモデルだ。
フェーズ①(18歳〜):まず、世界という名の“荒野”に出よ
高校を卒業したら、まず、大学という「安全なシェルター」に逃げ込むのではない。 自らの足で、現実社会という名の“荒野”に、立つのだ。
アルバイトでも、契約社員でも、あるいは、1年間の海外放浪でもいい。 目的は、立派なキャリアを築くことではない。 目的は、「この世界が、一体、どんな理不尽なルールで動いているのか」を、その肌で知ることだ。そして、その中で、「自分は何に怒りを感じ、何に喜びを見出し、どんな“問い”を持つのか」という、自分自身の輪郭を、確かめることだ。
フェーズ②(20代前半〜):生まれた“問い”を、学びの“武器”に変えよ
現実の荒野を歩く中で、君の中には、必ず、いくつかの切実な「問い」が生まれるはずだ。 「なぜ、この業界は、こんなに非効率なんだ?」 「どうすれば、もっと多くの人に、この価値を届けられるんだ?」
その、自分だけの「問い」が生まれた瞬間こそが、本当の学びを始める、最高のタイミングだ。 その問いに答えるための「武器」を、世界中から、最も効率的な方法で、集めればいい。
- プログラミングが必要なら、 4年も大学に通う必要はない。半年のコーディングブートキャンプで、集中的に学べばいい。
- マーケティングの知識が必要なら、 オンラインで、世界トップクラスのビジネススクールの講義を、数万円で受ければいい。
- そして、いつか、僕のように、経営という、より大きな問いと向き合う時が来たら。 その時こそ、MBAのような、高度な学びの場に、投資すればいいのだ。
この「ジャスト・イン・タイム」の学びは、常に目的が明確であるため、吸収率は比較にならないほど高く、無駄がない。
「大学での経験」という、最後の“幻想”
「しかし、大学は、勉強だけではない。サークル活動や、友人との出会いといった、かけがえのない経験があるじゃないか」 そう反論する人もいるだろう。
もちろん、その価値は、否定しない。 しかし、その経験は、本当に「大学」という、1000万円もの高額なパッケージツアーに参加しなければ、手に入らないものなのだろうか。
- 友人は、 シェアハウスや、共通の趣味のコミュニティでも、見つけられる。
- 知的な刺激は、 オンラインのフォーラムや、地域の勉強会でも、得られる。
- 人生を変えるような出会いは、むしろ、海外の安宿や、見知らぬ土地の酒場にこそ、転がっているかもしれない。
「大学での経験」という、曖昧で、感傷的な言葉に、思考停止で、安住してはいけない。 僕たちは、もっと、主体的に、そして戦略的に、自らの「学び」と「経験」を、デザインすべきなのだ。
結論:自分の“教育”の、建築家になれ
かつての時代は、良かった。 「大学」という名の、国が敷いた、一本の、安全なレールに乗ってさえいれば、僕たちは、どこかのゴールにたどり着くことができた。
しかし、そのレールは、もはや、どこにも繋がってなどいない。 これからの時代を生きる僕たちに求められるのは、他人が作ったレールの上を、ただ走ることではない。 自らの手で、自分だけの「学びのカリキュラム」を設計し、構築していく、「教育の“建築家”」になることだ。
それは、険しく、そして、孤独な道かもしれない。 しかし、その道の先にこそ、AIには決して代替されない、あなただけの、揺るぎない価値と、本当の意味での「納得感」に満ちた人生が、待っているのだから。