支出の最適化

資産を築いたからこそ直面する「お金を使えない」という新しい呪縛。なぜ「DIE WITH ZERO」は、これほどまでに難しいのか

スポンサーリンク

資産は数千万円。でも、自販機で水が買えない。

ビル・パーキンスの著書『DIE WITH ZERO』。 そのコンセプトは、あまりにも明快で、合理的で、そして美しい。「人生で最も大切なのは、思い出と経験だ。お金は、その経験を最大化するためのツールに過ぎない。だから、死ぬときに資産を遺すのではなく、生きているうちにすべて使い切り、人生を最大限に味わい尽くせ」——。

僕は、この哲学に心の底から賛同した。これこそ、僕が目指すべき人生の姿だと。

しかし、現実はどうだ。 僕は今、30代後半。長年の節制と計画的な投資の末、数千万円という、世間一般で見れば十分な資産を築き上げた。経済的な自由は、もう手の届くところにある。

それなのに、僕は、真夏の炎天下で喉がカラカラに乾いていても、目の前の自動販売機で、120円の水一本を買うことに、いまだに躊躇する。リュックの中の水筒が空になっていないかを確認し、「まだ大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、その場を通り過ぎる。たった百数十円の出費が、僕の心に、チクリと小さなダメージを与えるのだ。

資産は、僕を自由にしてくれなかった。むしろ、資産を築き上げた「節約マインド」そのものが、僕を新しい檻に閉じ込めている

これは、そんな僕が、お金という名の「呪縛」とどう向き合い、そして「DIE WITH ZERO」というあまりにも高い理想と、どう格闘しているのかについての、正直な告白である。


第一章:「節約OS」の誕生 - 僕の富を築いた、最強の思考様式

僕が、若くしてある程度の資産を築けたのは、才能があったからではない。それは、僕の脳内にインストールされた、極めて強力な「節約OS」のおかげだ。

このOSの基本プログラムは、至ってシンプル。

  • すべての支出に、ROI(投資対効果)を問う。
  • 衝動を排し、合理性と納得感で判断する。
  • 未来の安心のために、現在のキャッシュフローを最大化する。

何かを買うとき、僕の脳内では瞬時にいくつもの問いが自動実行される。「それは本当に欲しいのか?」「いつ、どれくらいの頻度で使うのか?」「その値段以上の価値を、僕にもたらしてくれるのか?」

このOSは、僕を浪費から守り、着実にお金を貯めさせ、満足度の高い支出だけを厳選する、完璧な資産形成ツールとして機能した。このOSがなければ、今の僕の安心感は、決して手に入らなかっただろう。


第二章:OSの呪縛 - 最強の武器が、僕を閉じ込める檻になった

問題は、このOSには「オフにする」というスイッチが存在しないことだった。資産形成という目的を達成したいま、このOSは、僕の人生のあらゆる局面で、過剰に作動し続けている。

かつて僕を豊かにしてくれたはずの思考は、今、僕を貧しくしている。 友人と食事に行けば、メニューの値段と満足度を天秤にかけ、心から楽しむことを忘れる。新しい趣味を始めようとしても、「その初期投資は、何年で回収できるのか?」という不毛な計算が、胸のときめきを上回ってしまう。

そして、このOSは、さらに厄介なバグを生み出した。

かつての僕は、こう信じていた。「金さえあれば、人生のあらゆる悩みは消え去る」と。 しかし、いざ一定の資産を得た僕を待っていたのは、無敵の幸福感ではなかった。それは、「もっと金が欲しい。もっと金があれば、もっと安心できる」という、新しい呪縛だったのだ。

資産が増えれば増えるほど、それを失うことへの恐怖もまた、増大していく。節約OSは、僕を豊かにするどころか、僕を「お金の奴隷」という、新しい牢獄へと閉じ込めてしまったのだ。

このままでは、僕は「DIE WITH ZERO」どころか、「LIVE WITH NOTHING(何もないまま生きる)」、つまり、お金はあるのに、何の経験も思い出もないまま、人生を終えてしまうのではないか。その恐怖が、僕を「生き方を変える」という、新しい挑戦へと駆り立てた。


第三章:「脱・プログラミング」の実践 - 僕が“お金を使う訓練”を始めた理由

染み付いた思考様式を、意志の力だけで変えるのは不可能だ。だから僕は、自分自身をハッキングするための、いくつかの「ルール」と「訓練」を課すことにした。

① システムの強制変更:「40歳になったら、配当金は再投資しない」

まず、僕を縛り付ける「節約OS」の根幹である、資産の自動増加ループを、強制的に断ち切ることにした。40歳以降に得られる配拓当金は、すべて再投資せず、その年のうちに使い切る。このルールは、僕に「どうやって資産を増やすか?」ではなく、「どうやって、この“天から降ってきたお金”を、意味のある経験に変えるか?」という、全く新しい問いを突きつける。

② 「使う訓練」としての、戦略的支出

しかし、いきなり「使え」と言われても、使い道が思いつかない。これもまた、節約OSの深刻な副作用だ。 だから僕は、自分が心から「満足できる」と納得できる支出の領域を定め、そこに意識的にお金を使う「訓練」を始めた

  • 食事: 価格ではなく、満足度で選ぶ。本当に美味しいものを、大切な人と味わう時間。
  • リラクゼーション: サウナや整体。心身のメンテナンスは、最高のパフォーマンスを生むための投資だ。
  • 健康: ジムやサプリメント。未来の医療費を抑制し、何より「動ける身体」を維持するための、最優先事項。
  • 経験: 旅行、学び、ライブ。モノは古びるが、経験は記憶となり、僕の人生を豊かにし続ける。

これらは、浪費ではない。僕が僕の人生を、より深く、より豊かに味わうための、極めて合理的な「体験への投資」なのだ。

③ 究極の哲学:「自分を守れるのは、自分だけ」

そして、このすべての行動の根底にあるのが、この哲学だ。 「自分を守る」とは、もはや経済的な困窮から身を守ることだけを意味しない。それは、「何もしないまま、時間だけが過ぎ去っていく後悔」から、自分を守ることだ。

仕事に身を捧げすぎない。節約という自己満足に酔いしれない。年を取れば取るほど、お金から得られる満足感は、確実に減っていく。若く、感受性が豊かな「今」この瞬間にしか得られない体験価値があることを、僕は自分に言い聞かせ続けている。


本当の自由とは、何か

『DIE WITH ZERO』の実践は、僕にとって、まだ始まったばかりの、長く、そして困難な旅だ。 資産を築くことよりも、それを賢く使うことの方が、何倍も難しいということを、僕は今、痛感している。

しかし、この葛藤を通じて、僕は「本当の自由」の意味を、少しだけ理解し始めたのかもしれない。

本当の自由とは、無限の資産を持つことではない。 それは、自分を縛る、過去の成功体験や、染み付いた思考様式から、自らを解き放つ勇気を持つことだ。

そして、お金という強力なツールを、不安を増大させるためではなく、人生の喜びを最大化するために、自らの意思で使いこなす知恵を持つことだ。

僕たちの人生は、銀行口座の残高を増やすためにあるのではない。心震える経験の記憶で、魂の口座を満たすためにあるのだから。

スポンサーリンク

-支出の最適化