終わりの始まり、あるいは始まりの終わり
先日の参議院選挙。その結果を報じるニュースを眺めながら、僕は、長年日本の政治を覆っていた分厚い雲に、確かな亀裂が入ったのを感じていた。
かつて僕たちの間では、半ば諦めにも似た常識として語られていた言葉がある。「シルバー民主主義」。人口構成比で圧倒的多数を占め、かつ高い投票率を誇る高齢者層が、事実上、この国の舵取りを決めているという現実だ。彼らの支持を固める既存政党の前に、僕たち若年・中年層の声は、かき消される運命にある。そう、信じられてきた。
しかし、今回の選挙で、その潮目が明らかに変わった。積極財政を掲げる、これまでとは毛色の違う勢力が躍進したのだ。これは、単なる一過性の現象ではない。日本の政治構造が、不可逆的な地殻変動を起こし始めた、その最初の大きな揺れなのかもしれない。
だが、僕は手放しでこの変化を喜ぶことができなかった。 旧体制の黄昏の先に待っていたのは、理知的な対話の夜明けではなかったからだ。それは、より直感的で、より熱狂的で、そして、より危うい「ポピュリズム」という、新しい時代の夜明けのように、僕の目には映った。
この記事は、僕たちがこれから直面するであろう、政治と社会の大きな変化の正体を解き明かし、その果てに訪れるかもしれない「大混乱の時代」を、僕たち個人はどう生き抜くべきかを考えるための、思索の記録である。
第一章:静かに沈みゆく巨船 - シルバー民主主義の構造的限界
なぜ、あれほど盤石に見えたシルバー民主主義に、陰りが見え始めたのか。それは、誰かの努力や革命によるものではなく、極めて静かで、しかし誰にも止められない「時間の経過」という、自然の摂理によるものだ。
① 人口動態という、抗えない重力
シルバー民主主義を支えてきた最大の要因は、高齢者層の「数の力」と「高い投票率」だった。しかし、その構図は、永遠ではなかった。
統計を見れば明らかだが、人間の投票率は、ある年齢をピークに、80代以降は再び低下していく傾向にある。健康上の理由や、施設への入所など、物理的に投票所へ足を運ぶことが困難になる人々が増えるからだ 。
つまり、最も強固な支持層であったはずの世代が、毎年、静かに、しかし確実に投票行動から退場していく。これは、どんな政治戦略をもってしても覆すことのできない。少子高齢化という大きな構造は変わらないが、特定の政党を支えてきた「アクティブな高齢者層」は、確実に減少し始めているのだ。
② 「世代」ではなく「時代」が、人を規定する
もう一つ、僕たちが見過ごしてはならない重要な視点がある。それは、「人は、歳を取ったからといって、かつての高齢者と同じ思考になるわけではない」という事実だ。
僕たちは、無意識のうちに「今の若者も、60代になれば自民党を支持するようになるだろう」と考えてしまいがちだ。しかし、政治的態度は、その人が生きた「時代」の経験によって、深く刻印される。これを「世代効果」と呼ぶ 。
バブル経済と冷戦崩壊、就職氷河期、インターネットの普及、そしてSNS時代。僕たち世代が経験してきた社会と、高度経済成長と55年体制の中で生きてきた世代とでは、世界の見え方が根本的に違う。僕たちが60代、70代になった時、僕たちの価値観は、今の高齢者世代のそれとは全く異なるものになっているだろう。
つまり、かつて自分が支持した考え方に、僕たちは支配される。この二つの大きな潮流——人口動態による物理的な減少と、世代効果による価値観の変化——によって、かつて無敵を誇った巨船「シルバー民主主義」は、今、静かに、しかし確実に、その浮力を失いつつあるのだ。
第二章:空いた玉座に座る、新しい王 - TikTokポピュリズムの正体
では、シルバー民主主義が退いた後、その権力の空白を埋めるのは誰か。 今回の選挙が示したのは、「ポピュリズム」という、新しい王の姿だった 。
ポピュリズム自体が、絶対的な悪だと言うつもりはない。既存の体制に風穴を開け、これまで政治に関心のなかった人々の声を拾い上げる力も持っている 。しかし、僕が懸念するのは、現代のポピュリズムが、その主戦場を、かつての街頭演説やテレビ討論から、「SNSの短尺動画*へと移しているという事実だ。
① 15秒で、政治が「わかる」という幻想
TikTokをはじめとするショート動画プラットフォームは、今や若者世代にとって主要な情報源の一つ 。政治家たちも、その影響力に気づき、こぞって参入している 。
しかし、考えてみてほしい。 複雑な背景を持つ社会保障問題、何十年にもわたる外交関係、そして緻密な計算が求められる財政政策。これらの本質が、果たして15秒や30秒の動画で、本当に伝わるのだろうか?
答えは、断じて「ノー」。 短尺動画で伝えられるのは、複雑な現実を極端に単純化した「分かりやすい対立構造」(我々 vs 敵)と、感情に直接訴えかける「キャッチーなスローガン」だけだ 。そこには、政策の理念や哲学、そしてその裏にあるトレードオフ(何かを得れば、何かを失うという現実)を、じっくりと吟味する時間も、空間も存在しない。
② 「納得感」なき熱狂の危うさ
かつて橋下徹氏は、「車を選ぶときにエンジンの仕組みなんか知る必要ない」と語った 。これは、ポピュリズムの本質を的確に表している。有権者は、複雑な政策のメカニズムなど知らなくていい。ただ、その車がもたらす「スピード、安全性、快適性」という、分かりやすいベネフィットだけを信じてくれればいい、と。
しかし、僕はこの考え方に、強い違和感を覚える。 なぜなら、それは僕が最も大切にする「納得感」——物事の本質を自分なりに理解し、深く頷いてから行動を選択する——という価値観と、真っ向から対立するからだ。
TikTokで流れてくる、耳触りの良い公約。その背景にある理念や財源、そして長期的なビジョンを、僕たちは本当に理解し、納得して一票を投じているのだろうか。それとも、ただ、その瞬間の「面白さ」や「共感」という、刹那的な感情に流されているだけではないのか。
民主主義は、本来、面倒で、時間のかかるプロセスだ。しかし、その「面倒くささ」をショートカットした先に待っているのは、熟慮なき熱狂と、その熱狂が冷めた後の、深刻な分断と幻滅だけなのかもしれない 。
第三章:大混乱の時代へ - 僕たちが備えるべきこと
シルバー民主主義という、良くも悪くも「安定」した重石が外れ、TikTokポピュリズムという、予測不能で、感情的な波が政治を動かす時代。そして、その先には、積極財政の行き着く先にあるかもしれない、経済的な混乱の可能性も否定できない。
僕たちは、間違いなく「大混乱の時代」の入り口に立っている。 この時代を生きる僕たちにとって、最も重要なことは何か。それは、特定の政党を支持することでも、政治の未来を嘆くことでもない。
それは、「どんな世界になっても、自分自身の足で立ち、生き残れるだけの、個人としての力を持つこと」だ。
社会という巨大な船が、どの航路を選び、嵐に見舞われるかを、僕たち一人の力でコントロールすることは難しい。しかし、その船の上で、自分だけの「救命ボート」を準備し、航海術を磨いておくことはできる。
① 知的武装:学び続けるという、最強の防御
世界がどう変化しようとも、決して価値を失わないもの。それは、あなた自身の頭の中にある「知識」と「思考力」だ。 政治、経済、テクノロジー、歴史、哲学。一見、日々の生活とは無関係に見えるこれらの教養が、複雑な世界の動きを読み解き、プロパガンダやフェイクニュースに惑わされず、本質を見抜くための「目」を養ってくれる。学び続ける意欲こそが、この混乱の時代における、最強の盾となる。
② 経済的自律:安定的な収益源という、命綱
国家の財政がどうなろうと、社会保障がどう変わろうと、あなたとあなたの家族の生活を守れるのは、あなた自身しかいない。 会社からの給与という、一本の命綱に依存する生き方は、あまりにもリスクが高い。複数の収入源を持つこと、そして、資産を適切に管理・運用し、自分だけの「経済的な砦」を築いておくこと。これは、もはや一部の富裕層のためのものではなく、すべての個人が取り組むべき、必須のサバイバル戦略だ。
変化の波の、優れたサーファーになるために
民主主義に、完璧な答えはない。 僕たちは、常に不完全な情報の中で、不完全な選択を繰り返していくしかない。
かつて僕たちは、シルバー民主主義という、動きの遅い、しかし予測可能な大きな波に乗っていた。しかし、これからは、TikTokやSNSが生み出す、短く、速く、そして予測不能な無数の波が押し寄せる海を、航海していかなければならない。
この新しい海で必要なのは、特定の波を信奉することではない。 どんな波が来ても、その本質を見抜き、乗りこなし、自分が行きたい方向へと進んでいく「サーファー」としての技術だ。
その技術とは、すなわち、学び続ける知性であり、経済的な自律性であり、そして何よりも、他人の熱狂に流されず、自分自身の「納得感」を信じ抜く、静かな強さのことだ。
世界は、変わる。そして、これからも変わり続ける。 その変化を、ただ恐れるのではなく、自分自身をアップデートし続けることで、しなやかに乗りこなしていく。
それこそが、僕たちにできる、唯一にして、最も希望に満ちた、未来への賭けなのだから。