その日、日本は熱狂に包まれた
先日の参議院議員選挙。その結果を、多くの国民は歓迎した。「失われた30年」の停滞感を打ち破るかのように、「積極財政」を掲げる勢力が、地滑り的な勝利を収めたのだ。
テレビのコメンテーターたちは口々に語った。「これで日本も変わる」「財源の心配はもう古い」。その背景には、「現代貨幣理論(MMT)」という、甘美な響きを持つ“魔法の杖”があった。
「自国通貨建てで国債を発行する限り、国家は破綻しない。インフレさえ起きなければ、政府は無限にお金を刷って、国民のために使うことができる」。
財政規律という名の、耳の痛い小言は消え去り、減税と給付金、そして大規模な公共事業への期待が、日本中を覆い尽くした。まるで、打ち出の小槌を手に入れたかのように。
しかし、僕はこの熱狂を、どこか冷めた目で見ていた。歴史上、無限に続く宴など存在しない。
この記事は、その宴が、どのような形で終わりを迎えるのかを想像した、一つの思考実験である。これは、特定の政治思想を批判するためのものではない。僕たちが立つこの地面が、いかに脆く、危ういものであるかを直視し、その上で「個人として、どう生きるべきか」を考えるための、未来からの警告だ。
第一章:静かなる異変 - 国債金利という名の“炭鉱のカナリア”
宴の始まりは、華やかだった。消費税は減税され、国民には定期的に給付金が配られた。政府は次々と大型プロジェクトを打ち出し、株価は上昇し、街には活気が戻ったように見えた。
異変は、ごく静かに始まった。 それは、経済ニュースの片隅に表示される、小さな数字の変化だった。「長期国債金利、上昇」。
MMTの信奉者たちは笑った。「問題ない。インフレ率はまだコントロールできている」。しかし、その数字は、市場という巨大な生き物が発する、最初の警戒音だった。それは、炭鉱のカナリアの、か細い鳴き声だった。
なぜ、金利が上がり始めたのか。 それは、日本円と日本国債に対する、国内外の投資家たちの「信認」が、少しずつ、しかし確実に揺らぎ始めたからだ。彼らは、こう考え始めたのだ。
「この国は、本当にこの借金をコントロールできるのだろうか?」 「いつか、この紙幣の価値は、ただの紙切れになるのではないか?」
政府と日本銀行は、金利の上昇を抑えるために、さらに国債を買い支えた。それは、火を消すために、ガソリンを注ぐような行為だった。市場に流れる円の量は、指数関数的に増大していく。
そして、運命の日。 ある海外の大手格付け会社が、日本国債の格付けを、数段階引き下げた。それは、引き金に過ぎなかった。世界中の投資家たちが、一斉に日本国債を売り浴びせたのだ。
国債価格は、暴落した。 それは、日本という国家の「信用」が、崩壊した瞬間だった。
第二章:ある朝、世界が変わっていた - ハイパーインフレの日常
国債の暴落が意味するものを、当初、多くの国民は理解していなかった。しかし、その影響は、翌日から僕たちの日常を、悪夢のように侵食し始めた。
▼ 1日目:ATMの前の絶望 朝、テレビをつけると、アナウンサーが蒼白な顔で「円、急落」を伝えていた。為替レートは、1ドル300円、400円と、見たこともない数字で点滅している。
不安に駆られた人々が、銀行のATMに殺到した。しかし、多くのATMは「調整中」の札を下げ、沈黙している。開いているATMの前には、絶望的なほど長い行列ができていた。
▼ 1週間後:スーパーから、モノが消える 円の価値が、時間単位で下落していく。昨日150円だった食パンが、今日は300円、明日は500円になるかもしれない。人々は、価値を失っていく紙幣を、少しでも価値のある「モノ」に換えようと、スーパーや商店に押し寄せた。
棚からは、米、パン、トイレットペーパー、缶詰…生活必需品が、あっという間に姿を消した。店側も、明日には値段が倍になるかもしれない商品を、今日の値段で売るわけにはいかない。多くの店が、シャッターを閉ざした。
▼ 1ヶ月後:ラーメン一杯、10万円の世界 ジンバブエや、かつてのワイマール共和国で起きたことが、この日本で現実になった。ハイパーインフレーションの到来だ。
給料日に振り込まれた数十万円の給与は、その日の夕方には、価値が半分になっているかもしれない。人々は給料を受け取ると、文字通り走って店に向かい、まだ値段が変わらないうちに、何かを買おうとした。ラーメン一杯が10万円。タクシーの初乗りが50万円。数字は、もはや意味をなさなかった。
僕たちの預金は、事実上、その価値を失った。何十年もかけてコツコツと貯めてきた老後のための2000万円は、今や、家族が一週間生きるための食料を買うことさえできない、ただの数字の羅列と化した。
第三章:静かなる破綻 - 僕たちの生活を襲った“金利”という名の津波
ハイパーインフレと同時に、もう一つの静かなる津波が、僕たちの生活を飲み込んでいった。金利の急騰だ。
国債の信用が失われたことで、金利は5%、10%と、ありえない水準まで跳ね上がった。この影響は、特に二つの領域で、僕たちの首を真綿で締めるように、しかし確実に絞め上げていった。
① 住宅ローン破綻の連鎖
変動金利で住宅ローンを組んでいた家庭は、一夜にして地獄に突き落とされた。 昨日まで月々10万円だった返済額が、20万円、30万円と膨れ上がっていく。インフレで収入の価値が目減りする中、返済額だけが天文学的に増えていく。
返済不能に陥る家庭が続出し、ローン破綻が社会問題化した。銀行は担保である住宅を差し押さえるが、不動産市場も暴落しており、買い手はいない。街には、主を失った家が、ゴーストのように立ち並んだ。
② 企業の連鎖倒産と、失業者の群れ
企業もまた、金利という津波に飲み込まれた。 特に、多額の借り入れで事業を回していた中小企業は、ひとたまりもなかった。金利が1%上がるだけで、多くの企業が赤字に転落するという試算もあったが、現実はそれを遥かに超えていた。
返済不能に陥った企業が、バタバタと倒産していく。街には、職を失った人々があふれた。政府がMMTの理想として掲げた「完全雇用」は、皮肉にも、史上最悪の失業率という形で、その終焉を迎えた。
第四章:国家の決断 - そして、僕たちの財産は奪われた
混乱が極まる中、政府はついに、最後のカードを切った。 ある週末の夜、テレビの緊急速報で流れたのは、「預金封鎖と、新円切り替え」の発表だった。
戦後の日本でも行われた、荒療治。すべての銀行預金は凍結され、一定額以上の引き出しは禁止される。そして、旧円は価値を失い、新しい通貨「新円」が発行される。タンス預金も、もはやただの紙切れだ。
さらに、政府は預金に対して高率の「財産税」を課し、国民の資産を強制的に徴収することで、国家財政の再建を図ろうとした。
それは、国家による、国民資産の合法的な強奪だった。 僕たちは、MMTという甘い夢の代償を、自らの財産を差し出すという形で、支払わされることになったのだ。
この思考実験から、僕たちが学ぶべきこと
ここまで描いてきたのは、あくまで一つの、極端な未来のシナリオだ。そうならない可能性の方が、もちろん高いだろう。
しかし、この思考実験は、僕たちに一つの重要な真理を教えてくれる。 それは、「単一のシステムに、自分の人生のすべてを依存させることの危険性」だ。
僕たちは、日本という国家、そして「円」という通貨の価値が、永遠に安泰であると、無意識のうちに信じ込んでいる。しかし、その信認は、僕たちが思うより、ずっと脆い砂上の城なのかもしれない。
では、僕たちは、この不確実な世界で、どう生きればいいのか。 それは、国家の財政政策を嘆くことでも、特定の経済理論を信奉することでもない。
自分自身の「個人経済圏」を、誰にも依存しない形で、戦略的に築き上げることだ。
- 資産の分散: 資産を日本円の預金だけで持つのではなく、外貨、国内外の株式、不動産、そして金(ゴールド)のような実物資産に、意識的に分散させる。一つの船が沈んでも、他の船で生き残れるように。
- 価値の源泉を、自分の中に持つ: 最も信頼できる資産は、あなた自身の「スキル」と「知識」だ。どんな通貨が暴落しようとも、社会が混乱しようとも、あなた自身の頭脳と身体から生み出される価値は、決してゼロにはならない。
- 小さな共同体(コミュニティ)を築く: 国家という大きなシステムが揺らいだ時、最後に僕たちを支えるのは、顔の見える人間関係だ。信頼できる仲間との繋がりこそが、最強のセーフティネットになる。
今回の選挙結果は、日本という船が、少しだけ、未知の海域へと舵を切ったことを示している。その航海が、穏やかなものになるか、嵐に見舞われるかは、誰にもわからない。
しかし、僕たちは、ただの乗客でいることをやめ、自分だけの「救命ボート」を、今から準備し始めることはできる。
あなたの人生の船長は、政治家でも、経済学者でもない。 あなた自身なのだから。