NISA

「失われた30年」は、来るべき新時代への“壮大な助走”だったのかもしれない。

2025年7月29日

スポンサーリンク

「日本の未来は暗い」という、耳にタコができるほどの“常識”

僕たちは、いつから「日本の未来は暗い」と、当たり前のように語るようになったのだろうか。

少子高齢化、増え続ける国の借金、そして、長く続いた経済の停滞——「失われた30年」。メディアを開けば、僕たちの未来に対する不安を煽る言葉が、これでもかと並んでいる。まるで、この国がゆっくりと沈みゆく船であることが、確定した未来であるかのように。

しかし、本当にそうだろうか? 僕たちは、あまりにも一つの「物差し」だけで、自分たちの現在地と未来を測りすぎてはいないだろうか。

最近、僕のその考えを根底から揺さぶり、新たな視点を与えてくれた一冊の本がある。それが『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ』だ。

この本が示唆するのは、僕たちが「常識」だと思っていた世界のゲームのルールそのものが、今、まさに劇的に変わろうとしている、という衝撃的な事実だ。そして、その新しいゲームにおいては、これまで「弱み」とされてきた日本の姿が、むしろ「強み」に転化する可能性を秘めている。

この記事は、この本から得た洞察を基に、僕が考えた「日本の未来は、そう暗くない」と思える、いくつかの理由についての考察だ。これは、根拠のない楽観論ではない。世界の構造変化を冷静に捉えた上で導き出される、一つの、しかし希望に満ちた未来のシナリオである。


第一章:巨大な潮目の変化 - 40年間続いた「新自由主義」というゲームの終わり

まず、僕たちが立っている地面そのものが、大きく揺らいでいるという事実を認識する必要がある。

1980年代以降、世界は約40年間にわたり「新自由主義(ネオリベラリズム)」という、一つの巨大なゲームのルールの上にあった。 それは、「グローバリゼーション」「市場原理主義」「自己責任」をキーワードとする、極めてシンプルなゲームだ。国境の壁は低くなり、ヒト・モノ・カネは、最も効率の良い場所を求めて世界中を駆け巡った。このゲームの勝者は、変化に素早く対応し、徹底的な効率化と競争を勝ち抜いた者たちだった。

しかし、このゲームは、いくつかの深刻な「バグ」を内包していた。 富は一部の勝者に集中し、深刻な格差を生み出した。効率を追求するあまり、国内の産業は空洞化し、人々の雇用は不安定になった。そして、国家よりもグローバル企業が力を持つようになり、社会の安定そのものが脅かされ始めたのだ。

その歪みが、今、限界に達している。 米中対立の激化、世界を分断したパンデミック、そしてウクライナ侵攻が明らかにしたエネルギー安全保障の脆さ。これらの出来事は、僕たちに「効率」や「安さ」だけを追い求めるグローバリズムの危うさを、骨の髄まで叩き込んだ。

世界は今、再び「国」や「地域」というブロックに回帰し、効率よりも「安定」や「安全保障」を重視する、新しいゲームのルールを模索し始めている。40年続いた一つの時代が、静かに、しかし確実に終わろうとしているのだ。


第二章:「失われた30年」という名の“壮大な実験”

さて、ここで日本の話をしよう。 新自由主義というゲームが席巻していたこの30〜40年間、日本は、世界の主要国の中で、ほとんど唯一と言っていいほど、このゲームに「乗り切れなかった」国だった。

バブル崩壊後、僕たちは徹底的な効率化や、大胆な規制緩和、そして熾烈な競争を、どこかためらい続けた。その結果、日本経済は長期にわたる停滞を余儀なくされ、世界からは「負け組」の烙印を押された。これが「失われた30年」の正体だ。

しかし、もし、世界のゲームのルールそのものが変わるとしたら? もし、新自由主義が「過去のOS」となり、新しいOSがインストールされるとしたら、この日本の「乗り切れなさ」は、全く違う意味を持ってくるのではないだろうか。

僕は、「失われた30年」とは、日本が、来るべき新しい時代に備えるための、壮大な“社会実験”の期間だったのではないか、とさえ考えている。僕たちは、世界が熱狂したゲームから一歩引いた場所で、期せずして、新しいゲームで必要となる「資産」を、温存し、育んできたのかもしれない。


第三章:日本の未来は暗くない。僕たちが持つ、3つの“見えざる資産”

では、新しいゲームのルールの中で、日本の何が「強み」になるというのか。僕は、大きく分けて3つの、これまで見過ごされてきた「資産」があると考えている。

資産①:圧倒的な「社会の安定性」

新自由主義がもたらした格差と分断は、世界各地で社会不安を引き起こしている。しかし、日本は、依然として世界で最も安全で、社会が安定した国の一つだ。僕たちは、水道の水を当たり前のように飲み、子どもが一人で学校に通える奇跡のような日常を、享受している。 効率や競争がもてはやされた時代には時代遅れとされた、この「安定」や「秩序」こそが、世界が不安定化するこれからの時代において、人々や企業を惹きつける、最も価値あるインフラになるだろう。

資産②:「ローカルなものづくり」の底力

グローバルなサプライチェーンの脆さが露呈した今、食料やエネルギー、そして高品質な製品を、自国やその周辺で安定的に生産できる能力が、国家の強さに直結する。 日本には、全国各地に、世界トップクラスの技術力を持つ中小企業や、質の高い農産物を作る人々がいる。効率化の波の中で、決して捨てなかったこの「ローカルなものづくりの底力」が、これからの日本の経済安全保障を支える、強力な基盤となるはずだ。

資産③:世界を魅了する「文化資本」

アニメ、漫画、ゲーム、そして食文化。日本のソフトパワーは、もはや説明不要だろう。しかし、僕が注目したいのは、それだけではない。侘び寂びに代表されるような、自然と共生する精神性、他者への配慮や調和を重んじる文化。 物質的な豊かさや、際限のない成長に、世界が疲れ始めた今、この日本の持つ独自の「文化資本」や「精神性」が、新しい豊かさを求める世界中の人々にとって、大きな魅力として再発見される時代が、すぐそこまで来ている。


大転換の時代を、個人としてどう生きるか

世界のOSが、大きく書き換わろうとしている。 もちろん、この移行期は、大きな混乱を伴うだろう。僕たちの日常が、明日、劇的に良くなるわけではない。

しかし、確かなことは、僕たちが拠って立つべき「価値の物差し」が、大きく変わるということだ。

これからの時代、僕たち個人に求められるのは、新自由主義的なゲームの中で、他人を蹴落としてでも勝利を目指すような生き方ではない。 それは、外部の評価(お金、地位)に過度に依存せず、自分自身の内なる価値観(納得感、自律)を羅針盤として、自分だけの豊かさを定義し、追求していく生き方だ。

会社の看板に頼るのではなく、自分だけのスキルと知識を磨く。 刹那的な消費に走るのではなく、心に残る「体験」に投資する。 そして、自分が属するローカルなコミュニティや、日本の持つ独自の文化に、改めて目を向け、その価値を再発見していく。

「失われた30年」という、長く、静かな助走の期間は、終わった。 世界が新しいゲームを始める今、僕たち日本人は、案外、悪くないスタートラインに立っているのかもしれない。

未来は、決して暗いだけではない。 僕たちは、僕たちだけのやり方で、この大転換の時代を、しなやかに、そして豊かに生き抜くことができるはずだ。

スポンサーリンク

-NISA