その“物語”、本当に、あなたのためのものですか?

ある著名な経営者が登壇する特別なセッション。
あるいは時代を切り拓いた成功者の自伝。
私たちはそうした「成功の物語」に触れるたび、胸を高鳴らせる。
「自分も、あの人のようになれるかもしれない」 「成功の“秘訣”を盗んでやろう」と。
かつての私もまた、そうした「他人の光」を追い求める一人だった。
しかし、ある時から私はそうした華やかな場所に足を運ぶことをきっぱりとやめた。
なぜなら、私は気づいてしまったからだ。
その感動的な“物語”を聞けば聞くほど、私の心の中には、ある種の「虚無感」だけが募っていくという不都合な真実に。
この記事は、そんな私がなぜ、他人の「成功体験」を学ぶことに価値を見出せなくなったのか。
そして、私たちが本当に時間とエネルギーを注ぐべき「学び」の本質はどこにあるのか。 その私なりの思考の全記録である。
“生存者バイアス”という名の美しい“毒”

私たちが耳にする成功譚。
その、ほとんどは「生存者バイアス」という名のフィルターによって、美しく加工された“物語”である。
「私はこうして成功した」 その一言の裏には同じ夢を追い、そして名前も知られずに消えていった、何万という「敗者」の屍が積み上がっている。
彼らが語る「成功の要因」は、彼らが後から振り返って見出した「一つの解釈」に過ぎない。
その成功が彼らのたぐいまれな「才能」によるものか、あるいは二度と、再現できない「時代の幸運」によるものか。
その本質的な検証は誰にもできない。
そして何よりも残酷な真実。 それは、あなたはその人ではないということだ。
あなたは、その人に、決して“なれない”

私たちは、彼らの言葉から何かを「吸収」しようと必死になる。
しかし、考えてみてほしい。 あなたと彼らとでは、生きている「時代」が違う。 置かれている「状況」が違う。 そして、何よりも生まれ持った「資質」が違う。
その全ての前提条件が異なる他人の「成功法則」を、あなたがなぞったところで同じ結果が出る保証などどこにもない。 どう転んでもあなたはその人にはなれないのだ。
他人の講演会に時間を使うこと。
それはSNSのきらびやかなタイムラインを、ただスクロールし続けるあの行為と本質的に何も変わらない。 そこにあるのは一瞬の高揚感と、その後に訪れる深い「虚無感」だけだ。 「あの人はすごい。それに比べて自分は…」と。
“学び”の、ベクトルを変えろ

では、どうすればいいのか。 他者から学ぶことは無意味なのか。
いやそうではない。 私たちが変えるべきは「学び」の“ベクトル”なのだ。
かつての私は彼らから何かを「吸収」し彼らに「近づこう」としていた。 しかし、今の私は違う。 私が彼らの物語に触れる唯一の目的。 それは、「彼らと自分との“違い”を知覚するため」だ。
- 「なぜ彼はその決断ができたのか?」
- 「私ならどう考えるか?」
- 「彼の強みと、私の強みは、どこがどう違うのか?」
他人の物語を「鏡」として、自分自身の「個性」と「価値観」の輪郭をあぶり出す。 学ぶべきは彼らの「答え」ではない。 学ぶべきは彼らが、いかにして彼ら自身の「個性」を武器として磨き上げていったか、その「思考の、プロセス」そのものなのだ。
結論:君の“成功”は、君の“内側”にしかない
僕たちが人生で本当に積み上げるべきもの。
それは他人からの借り物の「成功体験」ではない。 それは、自分自身の小さな、しかし確かな「成功体験」だ。
昨日できなかった腕立て伏せが、今日一回多くできた。 先月理解できなかった専門書の内容が、今月理解できた。
その地味で誰にも褒められることのない小さな「勝利」の積み重ね。
それこそが君の自信の揺るぎない土台となる。
もう、他人の華やかな物語に時間を使うのはやめにしよう。
君が本当に読むべき最高の教科書。 それは君自身の内側にしか存在しないのだから。