FIRE

「仕事は暇つぶし」と考える僕が、完全なリタイア(FIRE)を目指さない理由

自由の果てに広がる“地獄”

会社の理不尽な人間関係。満員電車の、息の詰まるような閉塞感。そして、自分の貴重な時間を、他人のために切り売りし続ける、終わりのない日々。 そこから、完全に解放された「自由」な人生。

「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」 この言葉は、現代を生きる私たちにとって、そんな輝かしい理想郷への、片道切符のように思える。

私もまた、その切符を手に入れるために、人生の多くの時間を、資産形成という、ただ一つの目的に捧げてきた一人だ。 しかし、その目的地が、いよいよ、現実のものとして、射程圏内に入ってきた今。私は、かつて思い描いていたような、純粋な高揚感とは、少し違う場所に立っている。

なぜなら、FIREを達成した、先人たちの声に耳を傾けると、そこには、必ずしも、楽園の物語だけが、広がっているわけではないからだ。

「やることがなくて、虚無感に襲われる」 「社会との繋がりが絶たれて、深い孤独を感じる」

この記事は、そんな私が、なぜ、多くの人が夢見る「完全なリタイア」を、あえて目指さないのか。そして、私が考える、本当の意味で「豊かなFIRE」とは、一体、どんな姿なのか。その、私の哲学の、告白である。

「引退」という名の、新しい“牢獄”

まず、私たちが直視しなければならないのは、FIREがもたらす「自由」が、時に、私たちを、新しい「牢獄」へと、閉じ込める、という不都合な真実だ。

①「構造」を失った、時間の“漂流”

これまで、私たちの人生は「仕事」という、強力なフレームによって、構造化されていた。 朝、起きる理由。行くべき場所。達成すべき目標。そして、同僚との、他愛もない会話。 良くも悪くも、その「構造」が、私たちの日常を、意味のあるものとして、支えていた。

しかし、完全なリタイアとは、その、すべての構造を、自らの手で、破壊する行為だ。 残されるのは、一日24時間、一年365日という、あまりにも、広大で、そして、何の指針もない「自由という名の、砂漠」。 その、無限の自由の中で、多くの人が、目的を見失い、ただ、時間を、漂流するだけの、存在になってしまう。

②「役割」を失った、存在の“無価値感”

そして、より深刻なのが、これだ。 「〇〇会社の、××です」 私たちが、何気なく、口にしていた、その自己紹介。 仕事とは、単に、お金を稼ぐための手段ではない。それは、この社会における、私たちの「役割」であり、「存在証明」そのものだったのだ。

その、唯一のアイデンティティを、失った時。 私たちは、「自分は、もはや、誰からも、必要とされていないのではないか」という、根源的な、無価値感に、苛まれることになる。

私の哲学:「仕事は、壮大な暇つぶし」

では、どうすればいいのか。 その答えは、私が、このブログで、一貫して主張し続けている、仕事に対する、一つの考え方に、集約される。 それは、「仕事とは、壮大な暇つぶしである」という、視点だ。

この言葉の、本当の意味。 それは、仕事が、つまらない、という意味ではない。 それは、人生という、長く、そして、時に、退屈な時間を、豊かに、そして、面白く、過ごすための、最高の“ゲーム”の一つが、仕事なのだ、ということだ。

問題は、仕事そのものではない。 問題は、生活のために、嫌な仕事を、強制的に、やらされている「不自由」な状態なのだ。

だから、私が、FIREによって、手に入れたいのは「労働からの、完全な解放」ではない。 私が、本当に、手に入れたいのは、「どのゲーム(仕事)を、いつ、どんなルールで、プレイするかを、100%、自分自身で、決められる“権利”」なのである。

FIRE後の、私の“暇つぶし”計画

その、権利を手に入れた後、私が、どんな「暇つぶし」に、興じようと、考えているか。 その、具体的な計画を、共有したい。

①“ボス”のいない、仕事

私は、FIRE後も、おそらく、このブログのように、文章を書き、思考を、発信し続けるだろう。 しかし、そこには、もはや、会社の都合も、上司の顔色も、存在しない。 ただ、私自身の、純粋な、知的好奇心と、貢献意欲だけが、その活動を、駆動させる。 それは、もはや「労働」ではなく、「創造」という名の、遊びだ。

②“土”に触れる、仕事

そして、私は、小さな畑を借りて「農業」を、始めたいと、考えている。 これは、デジタル化し、抽象化していく、現代社会の中で、私が、「生命」の、根源的な手触りを、失わないための、重要な、プロジェクトだ。 自らの手で、食べ物を、育てる。 その、営みは、お金では、決して、買うことのできない、深い「納得感」を、私に、与えてくれるだろう。

結論:君が、本当に、目指すべき場所

もし、君が今、FIREという、遠い頂を、目指しているのなら。 どうか、忘れないでほしい。

君が、本当に、登るべき山の頂にあるのは、「何もしない、自由」という名の、何もない、殺風景な、山頂ではない。 その、頂の先には、君が、心の底から「面白い」と思える、新しいゲームで、満たされた、広大な、次の“世界”が、広がっているべきなのだ。

FIREとは、人生の「ゴール」ではない。 それは、会社という、一つのゲームを、クリアし、自分自身が、ゲームマスターとなる、新しい、ステージへの「始まり」なのである。

さあ、君も、考えてみてほしい。 君が、その、長い、長い、旅の果てに、本当に、プレイしたい「最高の、暇つぶし」とは、一体、何なのか。 その、答えを見つけ出すことこそが、君を、FIRE後の、静かなる絶望から、救い出す、唯一の、そして、最強の羅針盤なのだから。

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