
AIが、“賢者”になった世界で
僕たちの世界は、今、静かに、しかし、劇的に、変わり始めている。 かつて、僕たちが「知識」と呼んでいたものの、そのほとんどは、もはや、人間の脳内に、保存しておく必要がなくなった。 AIという名の、全知全能に近い“賢者”が、僕たちの、あらゆる問いに対して、一瞬で、そして、的確に、「答え」を、与えてくれるようになったからだ。
「知っていること」 その価値は、暴落した。
では、誰もが、平等に、賢者へとアクセスできる、この新しい世界で。 これから先、成長し続ける人間と、緩やかに、停滞していく人間の“格差”は、一体、何によって、決まるのだろうか。
学歴か? IQか? いや、違う。
僕が、長年の、人間観察と、自分自身の探求の果てに、たどり着いた答え。 それは、もっと、原始的で、もっと、根源的な、たった一つの「非認知能力」だ。
その名は、「好奇心」。
この記事は、なぜ、この「好奇心」という、一見すると、子供じみた衝動こそが、AI時代を生き抜く、最強の“武器”となるのか。その、少しだけ、残酷な現実と、僕たちが、その失われた武器を、どうすれば、再び、その手に取り戻せるかについての、僕なりの考察である。
二人の“旅行者” -「好奇心格差」という、残酷な風景
この「好奇心格差」が、いかに、人生の質を、決定的に左右するか。 それを、僕が、旅先で、よく目にする、二人の、対照的な“旅行者”の姿を例に、語ってみたい。
旅行者A:ただ「休息」を、消費する人
彼らは、日常の仕事から、逃れるために、旅に出る。 彼らの目的は、新しい「発見」ではない。ただ、ひたすらに「休息」することだ。
だから、彼らは、せっかく、風光明媚な温泉旅館に、たどり着いても、その周辺を、散策しようとはしない。部屋で、ただ、ゴロゴロと、テレビを見て、時間が来れば、豪華な食事に、舌鼓を打ち、そして、眠る。 彼らは、確かに、休息したかもしれない。しかし、その旅で、彼らの内側に、何か、新しいものが、積み上がっただろうか。
旅行者B:「なぜ?」を探しに、歩き出す人
一方で、僕のような人間は、落ち着きがない。 たとえ、疲れていたとしても、せっかく、知らない土地に来たのだから、と、カメラ片手に、ふらりと、外へ出てしまう。
路地裏の、寂れた神社。 地元の人しか、利用しないような、小さなスーパーマーケット。 マンホールの、奇妙なデザイン。
その、一つひとつに、「なぜ、こんな場所に、これが?」「ここでは、どんな人々が、どんな暮らしをしているのだろう?」という、尽きることのない「なぜ?」が、湧き上がってくる。 その「なぜ?」を、追い求めて、歩き、写真を撮り、時には、地元の人に、話しかけてみる。
この二人の旅行者が、家に持ち帰るものは、全く違う。 一人は、消えゆく「休息」の記憶。 そして、もう一人は、人生を豊かにする「経験」と「物語」だ。
好奇心は、「行動」のエンジンであり、「年収」の先行指標である
この話は、単なる、休日の過ごし方の、違いではない。 この「好奇心の差」こそが、僕たちの、仕事や、キャリア、そして、最終的には「年収」の差にまで、直結していく、と僕は、確信している。
- 好奇心がない人間は、「指示」を待つ。 与えられたタスクを、過不足なく、こなす。しかし、自ら、新しい課題を、見つけ出そうとはしない。彼らの成長は、会社が与えてくれる範囲で、完全に、頭打ちになる。
- 好奇心がある人間は、「問い」を立てる。 「なぜ、僕たちは、この、非効率なやり方を、続けているのだろう?」 「このAIという、新しいツールを使えば、何か、面白いことができるのではないか?」 この、内側から、湧き出る「問い」こそが、新しい「行動」の、唯一のエンジンなのだ。そして、その行動だけが、新しい価値を、生み出す。
僕が、MBAで出会った、優秀な仲間たち。 彼らに共通していたのは、例外なく、この、尽きることのない「知的好奇心」だった。彼らは、学ぶことを、苦役だとは、思っていない。知らないことを、知る、という行為そのものに、純粋な「快楽」を、感じているのだ。
そして、悲しいかな。 僕が、これまでの人生で、出会ってきた、いわゆる「低学歴」と呼ばれる人々の中に、この「知的好奇心」の炎を、燃やし続けている人間は、ほとんど、いなかった。 彼らは、行動しない。だから、成長しない。だから、年収も、上がらない。 この、残酷な、しかし、動かしがたい、相関関係が、そこには、存在する。
“好奇心”という名の、眠れる“筋肉”を、鍛え直す方法
では、一度、失ってしまった「好奇心」を、僕たちは、どうすれば、取り戻せるのか。 幸いなことに、好奇心は、才能ではない。それは、“筋肉”と同じだ。使わなければ、衰える。しかし、正しく、鍛えさえすれば、何歳からでも、再び、目覚めさせることができる。
僕が、実践している、具体的な「好奇心トレーニング」を、いくつか、紹介しよう。
① 1日1回、「なぜ?」と、5回、繰り返す
どんな、些細なことでもいい。 目の前の、当たり前の事象に対して、「なぜ?」と、子供のように、問いを、立ててみる。 そして、その答えに、さらに「なぜ?」を、重ねていく。 この「なぜなぜ分析」は、君の思考を、表層的な理解から、物事の、本質的な構造へと、強制的に、深く、潜らせてくれる。
② “知的越境”を、恐れない
ビジネスパーソンが、ビジネス書だけを読む。 それは、思考の「偏食」であり、魂の「栄養失調」だ。 あえて、自分の専門分野とは、全く関係のない、歴史や、哲学、アートといった、“役に立たない”知識に、触れてみろ。 その、異質な知性との、予期せぬ出会いこそが、君の、凝り固まった脳を、破壊し、新しい「問い」を、生み出す、最高の起爆剤となる。
③ AIを、「答えの奴隷」ではなく、「問いの相棒」にせよ
AIに、安易に「答え」を、求めるな。 それは、君の、好奇心の炎を、消し去る、最も、愚かな行為だ。
そうではなく、AIを、君の、知的な冒険の「相棒(バディ)」として、使うのだ。 「〇〇について、教えて」ではない。 「〇〇について、現在、議論されている、最も、対立する、三つの視点を、教えて」 「その歴史的な背景と、未来への、最も、楽観的なシナリオと、悲観的なシナリオを、提示して」 AIを、君の好奇心を、さらに、増幅させるための「壁打ち相手」として、使いこなせ。
結論:AIは、君の“脳”には、なれない
AIが、どれだけ、進化しようとも。 AIが、僕たちの、すべての「知識」を、代替することは、できても。 AIが、僕たちの「知りたい」という、その、根源的な“渇き”を、代替することは、決して、できない。
これからの時代。 本当の“格差”を生み出すのは、持っている「知識の量」ではない。 それは、「知りたい」と、渇望する、その「好奇心の、質と、量」だ。
君の、心の中の、その、小さな「なぜ?」という、ささやき。 それを、無視するな。 それこそが、君を、退屈な日常から、救い出し、まだ誰も見たことのない、新しい世界へと、連れて行ってくれる、唯一の、そして、最強の“エンジン”なのだから。