
その“健康的な選択”、本当に信じていいですか?
僕たちは、学んだ。 精製された砂糖や小麦粉、加工肉、安価な植物油、そして、清涼飲料水。これらが、僕たちの身体を静かに蝕む「白い悪魔」であることを。
そして、その知識を武器に、僕たちは、より賢明な選択をしようと試みる。スーパーマーケットでは、一般の棚を通り過ぎ、意識的に「健康食品」のコーナーへと、足を運ぶ。
そこは、まるで“聖域”のようだ。 「カロリーオフ」「糖質ゼロ」「脂肪分カット」「ビタミン配合」「オーガニック」。 僕たちの罪悪感を、優しく洗い流してくれるような、魔法の言葉たちが、パッケージの上で、微笑んでいる。
しかし、もし、その聖域こそが、僕たちを騙すための、最も巧妙に設計された「罠」だとしたら? もし、僕たちが、良かれと思って手に取っているその商品が、善の仮面を被った、最も狡猾な「最後の白い悪魔」だとしたら?
この記事は、現代の「健康ブーム」の裏側に潜む、不都合な真実を暴き出すものである。そして、僕が、なぜ、ほとんどの「健康食品」や「サプリメント」を信用せず、それらと距離を置くことに決めたのか。その、極めて合理的で、本質的な理由についての、全記録である。
“健康”という名の、三つの巨大な“幻想”
僕たちが、「健康食品」を選ぶ時、その判断基準は、多くの場合、企業が仕掛けた、三つの巧みな「幻想」の上に成り立っている。
① 「引き算」の幻想 - “〇〇オフ”の、裏側にあるもの
「脂肪分オフ」「糖質オフ」「グルテンフリー」。 僕たちは、何かを「取り除いた」という、その一点だけで、その食品が健康的であると、錯覚してしまう。
しかし、ここで、僕たちは、最も重要な問いを、忘れている。 「では、取り除かれた“何か”の代わりに、一体、何が“加えられて”いるのか?」と。
- 「脂肪分オフ」のヨーグルト: 脂肪分を取り除くと、製品は、コクを失い、水っぽくなる。その「味気なさ」を補うために、何が加えられるか。そう、大量の「砂糖」や「人工甘味料」、そして、「増粘剤」といった、化学的な添加物だ。
- 「グルテンフリー」のパン: 小麦粉の代わりに使われるのは、米粉や、タピオカ粉といった、やはり精製された、高GIの炭水化物だ。そして、グルテンが持つ、パンをふっくらさせる性質を、補うために、やはり、多くの添加物が、投入される。
僕たちは、一つの悪魔を避けるために、別の、もっと厄介な悪魔を、知らず知らずのうちに、その身体に招き入れているのかもしれない。
② 「足し算」の幻想 - “栄養強化”という名の、気休め
「食物繊維たっぷり」「ビタミンC配合」「タンパク質20g」。 今度は、何かが「加えられた」という、分かりやすいメリット。これもまた、僕たちの理性を、巧みに麻痺させる。
しかし、考えてみてほしい。 チョコレート味の、甘ったるいシリアルに、後からスプレーされた、“合成ビタミン”。 大量の砂糖と、添加物で固められた、プロテインバーの中の、“粉末状のタンパク質”。
それらは、僕たちの祖先が、何万年にもわたって食べてきた、「本物の食べ物(ホールフード)」が持つ、生命力と、全く同じものだろうか。
本物の食べ物には、僕たちが、まだ名前すら知らない、何千、何万という、微量栄養素(ファイトケミカルなど)が、複雑なシナジーを奏でながら、存在している。 その、生命のオーケストラそのものを、無視して、特定の栄養素だけを、工業的に「足し算」した食品が、本当に、僕たちの身体を、健康にしてくれるのだろうか。
それは、まるで、一枚の、美しい風景画から、「赤色」の絵の具だけを抽出し、「これが、芸術です」と、言っているような、あまりにも傲慢で、乱暴な論理なのである。
③ 「自然」の幻想 - “オーガニック”という、思考停止の免罪符
「オーガニック」「無添加」「自然派」。 これらの言葉は、現代において、最強の“ブランド”となった。僕たちは、このラベルが貼ってあるだけで、その中身を、吟味することなく、「安全で、身体に良いものだ」と、思考停止で、信じてしまう。
しかし、
- 「オーガニックの、サトウキビから作られた砂糖」も、砂糖であることに、変わりはない。
- 「自然塩と、無添加の醤油で味付けされた、ポテトチップス」も、高カロリーな、スナック菓子であることに、変わりはない。
「自然」という、心地よい響きの仮面は、時に、食品そのものが持つ、本質的な問題を、巧みに覆い隠してしまう。
結論:僕たちは、“製品”ではなく、「食べ物」を、食べるべきだ
では、この、嘘と幻想に満ちた、食の世界で、僕たちは、何を信じ、何を選べばいいのか。 僕が、長年の探求の末にたどり着いた答えは、驚くほど、シンプルだった。
企業の“マーケティング”を、信じるな。 自分自身の“身体の声”と、“知性”を、信じろ。
そして、僕が実践している、食生活の、たった一つの、大原則。
「パッケージの裏側にある、原材料表示を、読め」
そこに、君の知らない、カタカナの名前が、5つも、10個も、並んでいるのなら。 それは、もはや「食べ物」ではない。 それは、企業の利益のために、科学的に設計された「工業製品」だ。
僕たちが、本当に食べるべきは、そういうものではない。 僕たちが、本当に食べるべきは、原材料表示など、必要のないものだ。
畑で採れた、泥付きの野菜。 海で獲れた、一匹の魚。 平飼いで育った、鶏の卵。
僕たちの身体は、そうした、生命力に満ちた「本物の食べ物」を、求めている。 健康とは、何か、特別なサプリメントを「足し算」することではない。 それは、僕たちの食生活から、これらの、不自然な「偽物」を、一つひとつ、丁寧に「引き算」していく、極めて、静かで、地味な作業なのだ。
さあ、あなたも、その「健康食品」という名の、甘い幻想から、目を覚まそうではないか。 本当の健康は、スーパーの、特別な棚には、置かれていない。 それは、いつだって、僕たち自身の、賢明な「選択」の中にこそ、あるのだから。