働き方

「男も、女も、しんどい。」- “都合のいい男女平等”が、僕たちの人生を蝕んでいく

2025年8月2日

僕たちは、壊れたルールの“ゲーム”を戦わされている

「男女平等」 この言葉の正しさを、疑う者はいないだろう。それは、僕たちの社会が目指すべき、尊い理想であるはずだ。

しかし、僕の目には、今の日本社会が、その理想とは似ても似つかぬ、奇妙で、いびつな風景に映る。 男は男の役割を求められながら、かつての特権を失い、 女は女の生物学的な制約と向き合いながら、男と同じ競争を強いられる。

その結果、生まれているのは、「男も、女も、等しくしんどい」という、誰も幸せにならない世界ではないだろうか。

これは、「男vs女」という、不毛な対立を煽るための記事ではない。 僕たちが今、プレイさせられているこの社会という“ゲーム”の、ルールそのものが、いかに壊れてしまっているか。そして、その壊れたゲーム盤の上で、僕たち一人ひとりが、いかにして自分だけの「納得感」ある人生を築いていくべきかを考える、極めて真剣な、思考の記録である。


第一章:新しい“ゲーム”に適応できない、男たちの悲劇

まず、男たちが直面している、静かなる受難について語りたい。

女性の社会進出は、正しい。そして、喜ばしいことだ。しかし、その結果、僕たち男を取り巻く環境は、構造的に激変した。

かつての日本企業には、「管理職」という名の椅子が、豊富に用意されていた。そして、その椅子の多くは、暗黙のうちに男性に割り当てられていた。しかし、企業の成長が止まった今、そもそも椅子の総数が減っている。その上で、当然のことながら、優秀な女性たちも、その限られた椅子を巡るレースに参加する。

結果、どうなるか。 これまでなら課長クラスまでは昇進できたであろう、多くの「普通の」男性が、その機会を失い、年収が上がらないまま、キャリアの停滞を余儀なくされる。これは、誰が悪いという話ではない。ただの、構造的な変化と、数学的な確率の話だ。

しかし、この経済的な変化は、男性の人生を根底から揺るがす。 年収が上がらなければ、結婚は難しくなり、家庭を持つという、かつては「当たり前」だった人生設計が、夢物語と化す。これが、少子化の、一つの紛れもない原因だ。

さらに、僕たちを苦しめるのが、「都合のいい男女平等」という名の、新しい社会規範だ。

  • おごり・おごられ論争: なぜ、選択肢は常に「男性がおごる」か「割り勘」の二択なのか。真に平等ならば、「女性がおごる」という三つ目の選択肢が、当たり前に存在すべきではないか。
  • ファッションの非対称性: 女性が、男性的な革ジャンやパンツスタイルで闊歩することは「クール」と見なされる。しかし、男性が、女性的なスカートを履くことは、いまだに「奇異」な目で見られる。

古い「男らしさ」の責任(経済力、奢る文化)は、依然として求められながら、かつての「男らしさ」の特権(昇進の優位性など)は、失われていく。このダブルスタンダードの中で、多くの男性が、静かな混乱と、理不尽さを感じているのだ。


第二章:残酷な“二者択一”を迫られる、女たちの葛藤

一方で、女性たちの人生もまた、決して楽なものではない。むしろ、その葛藤は、より根源的で、残酷なものかもしれない。

それは、「出産」という、女性にしか担うことのできない、生物学的な現実と、日本の“異常に長い”昇進レースとの、致命的なスケジュールの衝突だ。

諸外国では、MBAを取得した若者が、20代後半から30代前半で管理職に抜擢されることも珍しくない。しかし、日本の多くの企業では、いまだに年功序列的な「全員参加型のマラソン」が続く。その結果、課長に昇進する平均年齢は、40歳前後という、驚くべき遅さだ。

これが、何を意味するか。 女性にとって、キャリアで最も重要な時期(30代)と、出産・育児のタイミングが、完全にかぶってしまうのだ。 この国のシステムは、女性に「キャリアか、子どもか」という、あまりにも残酷な二者択一を、半ば強制的に迫っているに等しい。

この構造を理解すれば、なぜ多くの女性が、結婚相手に自分より高い経済力を求める「上方婚」を選択する傾向にあるのかも、合理的に説明がつく。それは、単なる欲望ではない。キャリアの中断という、あまりにも大きなリスクをヘッジするための、極めて論理的な「生存戦略」なのだ。


第三章:本当の“敵”は誰か - 時代遅れの、日本の雇用システム

こうして見てくると、問題の本質は、男と女の対立などではないことが、明らかになる。 僕たち男女を、等しく苦しめている本当の“敵”。それは、社会の変化に全く追いついていない、硬直化した「日本の雇用システム」そのものだ。

  • 単線的キャリアパス: 正社員は、誰もが管理職を目指す「総合職」として、同じレールの上を走らされる。専門性を極める「専門職」コースなど、キャリアの複線化が、あまりにも進んでいない。
  • 年功序列という名の“悪平等”: 「男女平等」という、本来正しいはずの理念が、時に「年齢や勤続年数に基づかない、能力による“えこひいき(=抜擢)”」を、困難にしている側面はないだろうか。結果として、優秀な人材の成長を阻害し、組織全体の活力を奪ってはいないか。

この、時代遅れのシステムが、男性からは経済的な安定を奪い、女性からはキャリアと家庭の両立という選択肢を奪っている。僕たちは、互いに傷つけ合うのではなく、この共通の“敵”の正体を、冷静に認識する必要がある。


壊れたゲーム盤の上で、僕たちはどう生きるか

では、この、ルールが壊れた、誰も幸せにならないゲーム盤の上で、僕たちは、どうすればいいのか。 社会が変わるのを、ただ待つのか。それでは、僕たちの人生は、あっという間に終わってしまう。

僕がたどり着いた、唯一の答え。 それは、「このゲームのルールそのものから、降りる」ということだ。

社会や、会社や、異性が「どうあるべきか」を規定する、外部の物差しを、一度、すべて手放す。 そして、自分自身の内側にある、「自分は、どう生きたいのか」という、たった一つの「納得感」を、人生の羅針盤とする。

  • 会社に昇進や給与を期待するのではなく、自らのスキルと市場価値を高め、経済的な「自律」を目指す。
  • 異性に、古い役割や経済的安定を求めるのではなく、一人の対等なパートナーとして、共に新しい関係性を築く。

この道は、孤独かもしれない。しかし、他人が決めた、壊れたルールのゲームを戦い続けるより、遥かに希望に満ちている。

男も、女も、しんどい。 だからこそ、僕たちは、互いを敵視するのではなく、この不自由なシステムの中で、それでも自分らしく生きようともがく「一個の人間」として、互いを尊重し合うべきではないだろうか。

そして、自分だけのルールで、自分だけの、小さな、しかし確かな幸福を、築き上げていこうではないか。

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