あの頃の僕たちは、なぜコントローラーを離せなかったのか
画面の向こうに広がる、どこまでも続く世界。鳴り止まない電子音と、本体が発する微かな熱。気づけば、窓の外はすっかり暗くなっている。食事もそこそこに、週末のすべてを捧げた、あの熱狂の日々。
かつて、僕にとってゲームは世界のすべてだった。しかし、今。 あれほど情熱を注いだはずのゲームを起動しても、1時間が経つ頃には、言いようのない虚しさと、「この時間で、もっと他にできることがあったのではないか?」という焦燥感に襲われる。
「歳を取ったからだろうか?」 「単に、飽きてしまっただけだろうか?」
僕は、この変化の正体をずっと探していた。そして、最近ようやく、その答えが見えてきた。これは、決してネガティブな「老い」や「飽き」などではない。むしろ、人生の資源配分が変わり、価値観が成熟したことによって起きる、極めて合理的で、ポジティブな「進化」なのだと。
これは、同じようにコントローラーを置く時間が増えた、かつての“ゲーマー”であるあなたに贈る、自己分析の記録だ。
第一章:なぜ、あの頃の僕たちはゲームに救われたのか
今になって「ゲームは時間の無駄だった」と過去を否定するのは、あまりにも簡単で、そして不誠実だ。まずは、なぜ、あの頃の僕たちが、あれほどまでにゲームに没頭していたのか。その理由を、冷静に分析してみる必要がある。
理由①:最高の「コストパフォーマンス」という合理性
若い頃の僕たちにあったもの。それは、有り余るほどの「時間」だ。一方で、なかったもの。それは、圧倒的な「お金」だった。
数千円で手に入れた一本のソフトが、平気で100時間、200時間という“暇”を、最高のエンターテイメントで埋めてくれる。時給換算すれば、他のどんな娯楽も足元にも及ばない、驚異的なコストパフォーマンス。限られたリソースの中で、最大の快楽を得るための選択として、ゲームはあまりにも合理的だった。
理由②:「努力が必ず報われる」という確かな達成感
現実世界は、理不尽に満ちている。努力が必ずしも結果に結びつくわけではなく、成功の物差しも曖昧だ。
しかし、ゲームの世界は違う。 経験値を稼げば、キャラクターは必ずレベルアップする。何度も挑戦すれば、強大なボスもいつかは倒せる。そこには、「正しい努力は、必ず報われる」という、美しく、揺るぎない秩序が存在した。現実世界で得られにくい「達成感」や「有能感」を、僕たちはゲームの中に求め、そして確かに手に入れていたのだ。
理由③:「逃避」ではなく「接続」としての仮想空間
引きこもりがちだった、と自嘲するかもしれない。しかし、オンラインゲームの向こう側には、確かに「社会」があった。
顔も知らない仲間たちと、共通の目的のために協力し、役割を分担し、コミュニケーションをとる。それは、現実の人間関係が苦手だった若者にとって、社会と繋がるための、重要なリハビリの場であり、安心できる「もう一つの居場所」ですらあった。
つまり、若い頃の僕たちがゲームに没頭していたのは、決して自堕落だったからではない。それは、当時の自分が持つ限られたリソース(時間・金・体力・コミュニケーション能力)の中で、自己を肯定し、世界と接続するための、最もクレバーで、必死な生存戦略だったのである。
第二章:価値観の地殻変動。僕たちの「資源」はどう変わったのか
では、なぜ、今になってその生存戦略が通用しなくなったのか。 答えは単純だ。僕たちが持つ**「資源」のポートフォリオが、劇的に変化した**からだ。
- お金: 若い頃にはなかった、自由になるお金を手に入れた。これにより、僕たちは「安さ」という制約から解放された。旅行、グルメ、ライブ、自己投資…ゲーム以外の高価な体験への扉が、開かれたのだ。
- 体力: 意外に思われるかもしれないが、30代、40代の僕たちの体力は、不摂生だった10代、20代の頃よりも、むしろ向上していることがある。健康への意識が高まり、トレーニングを始め、食生活を改める。その結果、僕たちの身体は、椅子に座り続けるためではなく、**「リアルな世界で活動するための資本」**へと変わった。
- 時間: そして、最も決定的な変化が、この「時間」に対する価値観だ。若い頃は無限にあるように思えた時間が、今では人生で最も希少で、貴重な資源であると、僕たちは知っている。経営学者の楠木建氏の言葉を借りるなら、**「歳を取るとは、“時間に値段がつく”こと」**なのだ。
この資源の変化が、僕たちの価値観に、地殻変動を引き起こした。 僕たちはもはや、時間を「消費」したり「潰したり」することを良しとしない。限られた貴重な時間を、いかに密度の濃い、意味のある体験に「投資」できるか。その一点に、すべての意識が集中するようになったのだ。
第三章:なぜ「リアルな体験」は、ゲームの快楽を超えたのか
有り余る時間をお金で埋めていた時代は終わった。今、僕たちは、潤沢な「お金」と「体力」を使い、希少な「時間」を、何に投資するべきか。その答えが、「リアルな体験」だった。
①「コスパ」から「意味パ(意味パフォーマンス)」へ
評価軸が変わったのだ。もはや、「1時間あたりの娯楽価値」というコストパフォーマンスは、僕たちの心を動かさない。僕たちが求めるのは、「1時間の投資が、どれだけ自分の人生に深い“意味”や“納得感”をもたらすか」という、いわば「意味パフォーマンス」だ。 2時間ゲームのレベルを上げる達成感より、2時間かけて登った山の頂から見る景色の感動の方が、僕の人生の物語を、より豊かにしてくれることを知ってしまった。
②「仮想の成功」から「現実の充実」へ
ゲームの中でのレベルアップやアイテム収集は、確かに楽しい。しかし、電源を切れば、それはただのデータに戻る。 一方で、初めての土地を旅した記憶、美味しい料理に舌鼓を打った感動、新しいスキルを身につけたという自信。これらの「リアルな体験」は、誰にも奪うことのできない、あなた自身の血肉となり、人生そのものを構築していく。 僕たちはもはや、仮想世界での代理の成功ではなく、不格好でも、ささやかでも、現実世界での確かな充実感を求めるようになったのだ。
③「逃避」から「接続」へ
かつて、僕たちは現実から「逃避」するために、仮想世界へ向かった。 しかし、今、僕たちは、世界と、そして自分自身と、より深く「接続」するために、外へ向かう。 風の匂い、土の感触、太陽の温かさ。五感で味わうリアルな体験は、僕たちがこの世界の構成員であり、生身の人間であることを、力強く思い出させてくれる。
あなたは今、人生の「編集者」になった
もし、あなたが今、かつてあれほど愛したゲームに、一抹の虚しさを感じているとしたら。 それは、あなたが何かを失ったからではない。むしろ、多くのものを手に入れた証拠だ。
若い頃にはなかった「実現する力(お金、体力、知識)」と、成熟した「目的意識(納得感、美学、人生の意味)」。
この二つが掛け合わさった時、人は、自らの人生の「編集者」になる。どの体験を、どの順番で、どれくらいの熱量で味わうか。そのすべてを、自分の意思でデザインできる、最も自由で、最も創造的なステージに、あなたは立っているのだ。
ゲームに没頭したあの頃の自分を、否定する必要はない。 彼は、彼に与えられたカードで、最善のプレイをしたのだ。 そして、今のあなたは、新しいカードで、新しいゲームを始めればいい。
人生という、たった一度きりの、最高の“リアル”なゲームを。 さあ、コントローラーを置いて、ドアを開けよう。 あなたがまだ知らない、胸躍る体験が、そこには無限に広がっているのだから。