完璧な航海で、僕は遭難しかけていた
すべては、順調だった。いや、順調すぎた、と言うべきかもしれない。
2025年4月にビジネススクール(MBA)の本科生として入学してから、3ヶ月。僕は、驚くほどのペースで単位を取得していた。このままいけば、予定より1年近く早く卒業単位を取り終える計算だ。授業でのディスカッションにも慣れ、課題の評価も悪くない。
しかし、僕の心は、その完璧な進捗とは裏腹に、奇妙な「飽き」に支配され始めていた。
「また、このフレームワークか」 「この議論のパターンは、前にも経験したな」
かつてあれほど新鮮だった学びの場が、いつしか予測可能なルーティンワークのように感じられる。最初に感じた、知的好奇心が満たされる喜びは色褪せ、今はただ、淡々と単位という名のタスクをこなしているだけ。
200万円以上の自己投資だ。続ける意志はある。しかし、このまま残りの期間を「中だるみ」のまま過ごしていいのだろうか?
この停滞感の正体は何なのか。僕は、その問いと向き合う中で、これが単なる「飽き」や「怠惰」ではなく、学びが「次のフェーズ」へと移行するための、重要なサインであることに気づいたのだ。
第一章:その“飽き”の正体は、「問いの鮮度」の劣化である
なぜ、あれほど熱望した学びの場で、僕は飽きてしまったのか。 それは、学びの深度が浅くなったからではなかった。むしろ逆だ。一定のレベルまで到達し、学びの「型」や「パターン」が見えるようになったからこそ、僕は飽きたのだ。
例えるなら、RPGゲームの序盤から中盤にかけてのようだ。 最初のうちは、新しい魔法や技を覚えること自体が楽しい。しかし、ある程度レベルが上がり、効率的な敵の倒し方や、ダンジョンの攻略法がわかってくると、戦闘は次第に「作業」へと変わっていく。
今の僕が陥っていたのは、まさにこの状態だった。 MBAというゲームの「勝ち方」が見えてしまったのだ。どうすれば良い評価がもらえるか、どうすれば議論をうまく着地させられるか。その“枠の中での最適解探し”には、もはや心が躍らなくなった。
僕に欠けていたのは、新しい知識やスキルではなかった。 それは、「心の底から、知りたいと願う、自分だけの“問い”」だったのだ。
与えられたケーススタディを解くのではなく、自分自身の人生という、唯一無二のケーススタディを解くための「問い」。その「鮮度」が、いつの間にか劣化し、失われていた。これこそが、僕を襲った“中だるみ”の正体だった。
第二章:「消費者」から「創造者」へ。学びのフェーズを切り替える3つの処方箋
「問いの鮮度が切れている」。 この診断を下した僕は、学びへのスタンスを根本から変えるための、3つの処方箋を自分に課すことにした。それは、学びの「受け手(消費者)」から、学びを自らの人生に組み込む「使い手(創造者)」へと、フェーズを強制的に切り替える試みだ。
処方箋①:「卒業後に、何をしていたいか」から逆算する
漠然と「卒業後のキャリアアップ」を考えるのをやめた。代わりに、極めて具体的な「未来の自分」を先に設定してみることにした。
「MBAを卒業した2027年、僕はどんな週末を送っていたいか?」
この具体的なビジョンを設定した瞬間、僕の学びは再定義された。 今、学んでいるファイナンスは、ただの単位ではない。「僕が未来に始める“週末農業”の事業計画を立てるための武器」になる。マーケティングの授業は、「地域の名産品を、どうやって都会の人に届けるかを考えるための思考ツール」へと変わる。
出口を先に決めることで、目の前のすべての学びが、未来の自分へと繋がる「意味」を持ち始めたのだ。
処方箋②:「問い」を持って、授業に臨む
次に、授業の受け方を180度変えた。これまでは、「何を教えてもらえるか」というインプット思考だった。それを、「この学びを、自分の問いにどう活かすか」というアウトプット前提の思考に切り替えた。
次の授業のテーマが「リーダーシップ」なら、こう自問する。 「僕が理想とする『静かな貢献』という価値観と、教科書が教えるリーダーシップ論は、どう接続し、どう矛盾するだろうか?」
この「自分だけの問い」というフィルターを通して授業を受けると、教授の言葉も、クラスメイトの発言も、すべてが自分の問いに答えるための「素材」に見えてくる。学びは、受け身の鑑賞から、主体的な対話へと変わった。
処方箋③:「出力」を前提に、新たな役割を背負う
人間は、インプットだけを続けていると、必ず飽きるようにできている。学びの鮮度を保つ最も確実な方法は、「アウトプット(出力)」を前提にすることだ。
例えば、クラスのリーダー役を、あえて引き受けてみる。あるいは、学んだことを再構成し、このブログで発信する。社内で若手向けの勉強会を開く。
「誰かに教える」「誰かをまとめる」という役割を背負った瞬間、学びの解像度は劇的に上がる。これまで理解した「つもり」になっていた知識の、浅い部分が露呈する。その穴を埋めるために、僕の脳は再び、必死で学び始める。この「出力前提」のスイッチが、中だるみの空気を一瞬で吹き飛ばしてくれた。
その「飽き」は、跳躍の合図である
もし、あなたが僕と同じように、何かを学び続ける中で「飽き」や「停滞感」を感じているとしたら。
それは、あなたの熱意が冷めたからでも、能力が足りないからでもない。 むしろ、あなたが順調に学びを深め、一つのステージをクリアし、「次のステージの入り口」に立っている、という極めてポジティブなサインなのだ。
そのステージの名は、「統合と跳躍」。 これまでに得た知識やスキルという「点」を、自分だけのビジョンという「線」で結びつけ、新たな高みへとジャンプする段階だ。
その跳躍に必要なエネルギーは、もはや外部の新しい「知識」ではない。 あなたの内側から湧き出てくる、切実な「問い」と、未来に対する鮮明な「ビジョン」が、あなたを次のステージへと押し上げてくれる。
「その学びは、卒業後の、あなたの人生に繋がっているか?」
飽きは、悪ではない。 それは、あなたの人生が、より深く、より本質的な問いを求め始めた、喜ばしい合図なのだから。