
その“一口”の水が、なぜ、これほどまでに重いのか
真夏の昼下がり。アスファルトが陽炎のように揺らめき、シャツが肌に張り付く。喉は、カラカラだ。 目の前には、文明のオアシス、自動販売機が、静かにたたずんでいる。冷えたペットボトルの水、120円。
しかし、僕は、そのコイン投入口に、手を伸ばすことができない。 僕の脳内では、もう一人の僕が、冷徹な声で、こう囁きかけてくる。 「本当に、ここで買う必要があるのか? リュックの中には、まだ、家から持ってきた水筒が、入っているじゃないか」
僕は、その声に従い、ぬるくなった水を一口飲み、再び、歩き始める。 喉の渇きは、癒えた。しかし、僕の心には、チクリとした、小さな痛みが残る。
傍から見れば、それは、賢明な「節約」という行為に見えるだろう。 しかし、僕の金融資産が、4000万円の大台に近づいているという事実を知った上で、なお、この光景を、あなたは「賢明だ」と、言えるだろうか。
これは、僕が、長年にわたる資産形成の果てに、罹患してしまった、一つの、根深い“病”の症状なのだ。 その病の名は、「お金を使えない病」。
この記事は、そんな僕が、いかにして、この、富裕層だけが罹る、奇妙な病に侵されていったのか。そして、その呪縛から、自らを解き放つために、今、実践している、困難で、しかし、希望に満ちた“治療法”についての、正直な告白である。
“節約OS”という名の、最強の武器、そして、最悪の“牢獄”
そもそも、なぜ、僕は、こんな奇妙な病に、罹ってしまったのか。 その原因は、僕が、資産を築き上げる過程で、自らの脳内にインストールした、あまりにも強力な「節約OS(オペレーティングシステム)」にある。
若い頃の僕にとって、このOSは、最強の武器だった。
- すべての支出に、ROI(投資対効果)を問え。
- 衝動を殺し、合理性と、納得感だけで、判断せよ。
- 未来の“自由”のために、現在の“快楽”を、捧げよ。
この、鉄の規律があったからこそ、僕は、その他大勢が、刹那的な消費に、その資産を溶かしていく中で、着実に、そして、確実に、富を、積み上げることができた。 このOSがなければ、今の僕の、経済的な安定は、決して、存在しなかった。
しかし、問題は、このOSには「オフにする」という、スイッチが存在しなかったことだ。 資産形成という、第一の“戦争”が、終わった後も、このOSは、僕の頭の中で、暴走を続けた。 かつて僕を、貧乏から救ってくれた最強の武器は、今、僕を「豊かさ」から、遠ざける、最悪の“牢獄”へと、その姿を変えてしまったのだ。
金が、僕から“奪った”もの - 新しい“呪縛”の正体
かつての僕は、信じていた。「金さえあれば、人生の、あらゆる悩みは、消え去る」と。 しかし、いざ、一定の資産を得た僕を待っていたのは、無敵の幸福感ではなかった。 それは、「もっと金があれば、もっと安心できる」という、新しい、そして、終わりのない“呪縛”だった。
資産が増えれば、増えるほど、それを失うことへの「恐怖」もまた、増大していく。 節約OSは、僕を、さらなる節約と、さらなる資産の積み上げへと、駆り立てる。
その結果、僕の人生から、何が失われていったか。
- ささやかな「喜び」: 自販機の水一本に、罪悪感を覚える人間が、どうして、心から、人生を、楽しむことができるだろうか。
- 「時間」という、本当の資産: あらゆる選択肢の前で、コストパフォーマンスを計算し続ける、その時間。その、精神的な消耗こそが、人生における、最大の“無駄”であることに、僕は、気づいていなかった。
- そして、何より「DIE WITH ZERO」の哲学: 人生の本当の価値は、銀行口座の残高ではない。「経験」と「思い出」の、総和であるはずだ。 このままでは、僕は、通帳に、美しい数字を刻んだまま、中身の、すっからかんの人生を、終えてしまうのではないか。
その、本質的な恐怖が、僕を、この「お金を使えない病」の、“治療”へと、向かわせたのだ。
僕が、自分に処方した、三つの“治療法”
染み付いた思考様式を、意志の力だけで、変えることは、不可能だ。 だから、僕は、自分自身を、ハッキングするための、いくつかの「ルール」と「訓練」を、自らに、処方することにした。
処方箋①:「配当金は、使い切る」という、強制ルール
まず、僕を縛り付ける、節約OSの、無限ループを、物理的に、断ち切る。 僕の資産の、中核をなす、高配当株ETF(VYMなど)。そこから、生み出される「配当金」は、今後、一切、再投資しない。そして、その年のうちに、強制的に、すべて、使い切る。
このルールは、僕に「どうやって、資産を増やすか?」という、古い問いではなく、 「どうやって、この“天から降ってきた金”を、最高の“経験”に、変換するか?」 という、全く新しい、そして、創造的な問いを、突きつける。
処方箋②:「経験価値」への、戦略的投資
次に、その、強制的に使うべきお金の「投資先」を、明確に定義する。 僕が、投資対象として、自分に許可したのは、時間と共に、その価値が、むしろ増大していく「経験価値」という名の、無形資産だけだ。
- 学び: MBAでの学びのように、僕の世界の解像度を上げ、未来の選択肢を、広げてくれるもの。
- 健康: ジムや、サウナ、整体。未来の医療費を抑制し、何より、経験を味わうための「器」である、身体を、維持するためのもの。
- 旅や、食: 僕の人生という名の“物語”を、より豊かに、より面白くしてくれる、記憶に残る、心揺さぶる体験。
これらは、浪費ではない。 僕が、僕の人生を、より深く、味わい尽くすための、極めて合理的な**「未来への、先行投資」**なのだ。
処方箋③:「120円の、反逆」
そして、最後に、最も、地味で、しかし、最も重要な、日々の訓練。 それは、あの、僕を、長年、苦しめ続けてきた「自動販売機」と、向き合うことだ。
喉が渇いた、と感じた時。 僕は、あえて、水筒ではなく、自販機を選ぶ。 そして、120円を投入し、冷たい水を買う。
その、一口は、単なる水分補給ではない。 それは、僕を縛り付ける、古いOSに対する、僕の「反逆」の、狼煙なのだ。 「僕は、もはや、お金の奴隷ではない。僕が、お金の“主人”なのだ」と、自分自身に、宣言するための、神聖な儀式なのである。
結論:本当の“富”とは、何か
資産を築く、という、第一の旅。 それは、孤独で、規律を要する、長く、険しい道だった。
しかし、今、僕が直面している、「築いた資産を、いかにして、幸福へと、変換するか」という、第二の旅。 これは、それ以上に、深く、そして、哲学的な、難路なのかもしれない。
本当の「経済的自由」とは、無限の資産を持つことではない。 それは、お金という、強力なツールを、不安を増大させるためではなく、人生の喜びを、最大化するために、自らの意思で、使いこなす“知恵”と“勇気”を持つことなのだ。
僕たちの人生は、銀行口座の残高を、増やすためにあるのではない。 心震える経験の記憶で、魂の口座を、満たすためにある。
その、あまりにも当たり前で、しかし、僕たちが、忘れがちな真実を、僕は、今、ようやく、学び始めている。