僕たちは、30年前に滅びた世界の地図を握りしめている
僕たちの親世代が、当たり前のように手に入れていた人生がある。
真面目に会社に勤め、それなりの給料をもらい、結婚して、子どもを育て、郊外にささやかなマイホームを持つ。それは、決して贅沢ではない、ごく「普通」の人生の風景だった。
そして僕たちは、その風景を、今も心のどこかで「いつかたどり着くべき場所」として、無意識のうちに追い求めてはいないだろうか。まるで、30年前に滅びた王国の、古ぼけた地図を握りしめているかのように。
最近、僕は気づいてしまった。 僕たちの親世代にとっての「普通」は、僕たちの世代にとっては、もはや「富裕層」の生き方そのものである、という残酷な事実に。
この記事は、このどうしようもない現実を直視し、絶望することなく、むしろ、そこから新しい時代の「豊かさ」を見つけ出すための、僕なりの生存戦略についての話だ。
第一章:「普通の人生」という名の、超高級ブランド品
たった30年。この短い期間で、世界は僕たちが思う以上に、劇的に変わってしまった。
かつて、年収400万円は、都心で家族を養い、ささやかな夢を描くための、十分なスタートラインだったかもしれない。しかし、今、都心で年収400万円は、ただ生きるだけで精一杯の、厳しい現実を意味する。
僕たちの給与は、この30年間、ほとんど上がっていない。 しかし、社会保険料や税金の負担は、静かに、しかし確実に増え続けている。そして、追い打ちをかけるように、あらゆるモノやサービスの値段が上がり続ける、終わりの見えないインフレ。
「これで、どうやって暮らせというのか」
この叫びは、僕たちの世代の、偽らざる本音だろう。 親世代が当たり前のように享受していた「普通の人生」——結婚、子育て、マイホーム——は、今や、選ばれた一部の人間だけが手にできる、超高級ブランド品と化してしまったのだ。
僕たちは、ルールが根本から変わってしまったゲーム盤の上で、古い攻略本を頼りに、必死でプレイを続けている。そんな幻想を抱いている限り、僕たちの望む未来は、永遠にやってこない。
第二章:嘆きは、何も生まない。僕たちが本当にコントロールできる、たった一つのこと
この現実を前にして、社会を嘆き、政治を批判し、親世代の幸運を妬むのは、簡単だ。そして、それはある意味で、当然の感情でもある。
しかし、僕は思うのだ。 その嘆きは、僕たちの人生を、1ミリでも良くしてくれるだろうか?
答えは、断じて「ノー」だ。 社会構造や経済政策といった、僕たちのコントロールが及ばない巨大なシステムに対して、不満をぶつけ続けることは、自らの精神を消耗させるだけの、不毛な行為でしかない。
では、僕たちはどうすればいいのか。 それは、僕が人生で最も大切にしている価値観——「自律」と「内省」——に立ち返ることだ。
外部の環境を変えられないのであれば、変えるべきは、僕たちの「内側」だ。 社会が押し付けてくる「幸福の基準」を、一度、きれいさっぱりと捨て去る。そして、自分自身の心と対話し、自分だけの「幸福の基準」を、再定義する。
それこそが、この過酷な時代を、主体的に、そして深く納得しながら生きていくための、唯一にして最強の武器なのだ。
第三章:幸福のデフレーション - “幸せの基準”を、意図的に下げる勇気
僕がたどり着った、この時代の生存戦略。 それは、「幸せの基準を、意図的に下げる」という、一見すると後ろ向きに聞こえるかもしれない、しかし極めて積極的な態度だ。
これは、夢や希望を諦めることではない。 むしろ、他人が決めた、もはや実現不可能な夢を追いかけるのをやめ、自分の手の届く範囲にある、確かな幸福を、一つひとつ丁寧に味わい尽くすという、高度な人生の技術である。
① 「当たり前」に、感動する力を取り戻す
僕たちは、あまりにも多くのものを「当たり前」だと思いすぎていないだろうか。
- 今日、温かい食事ができたこと。 それは、決して当たり前ではない。食材を育ててくれた人、運んでくれた人、そして、それを調理する時間とエネルギーがあったからこそ、実現した小さな奇跡だ。その一口に、深く感謝し、味わう。
- 仕事から無事に帰り、安全な寝床があること。 世界を見渡せば、それすら叶わない人々が、どれだけいることか。
- 蛇口をひねれば、きれいな水が出ること。世界的に見れば、この状況は稀有なことだ。
これらの、失われて初めてその価値に気づくであろう「当たり前」の中に、幸福の種は無数に埋まっている。その種を見つけ出し、育てる感受性を取り戻すこと。それが、第一歩だ。
② お金のかからない「快楽」の達人になる
かつて僕たちは、「幸福」と「消費」を、安易に結びつけすぎていた。しかし、本当の快楽は、必ずしもお金を必要としない。
- 近所の公園を、ただひたすら散歩する。 季節の移ろいを肌で感じ、思考を巡らせる。これは、最高の瞑想であり、知的冒険だ。
- 図書館で、まだ見ぬ世界と出会う。 数百円の交通費で、古今東西の賢人たちの知恵に触れることができる。これほどコストパフォーマンスの良い自己投資があるだろうか。
- 自分だけの趣味に、没頭する。 筋トレでも、サウナでも、一人カラオケでもいい。他人の評価など一切関係ない、自分が夢中になれる世界を創り出すこと。その時間は、何者にも代えがたい、魂の栄養となる。
③ 「所有」から「体験」へ - 価値観のシフト
僕たちは、「モノ」ではなく、「心揺さぶる体験」こそが、人生の本当の資産であることを、もう知っているはずだ。 高級車がもたらす一瞬の見栄よりも、友人と腹の底から笑い合った記憶の方が、僕たちの人生を、より永続的に豊かにしてくれる。
この「体験価値」に重きを置くようになると、人生は驚くほどシンプルで、軽やかになる。
僕たちは、僕たちのルールで、幸せになればいい
「普通」の基準が、狂ったようにインフレしていく世界。 その中で、古い地図を頼りに、親世代と同じ山頂を目指す必要など、どこにもない。
僕たちは、僕たちの世代の、僕たちだけのルールで、新しいゲームを始めればいい。 それは、他人との比較や、社会的な成功を競うゲームではない。 昨日より今日の自分が、ほんの少しでも、深く、静かに、満たされているか。 その、自分だけの感覚を信じるゲームだ。
嘆いていても、何も変わらない。 しかし、僕たちの内側にある「幸福の物差し」を変えることは、今この瞬間から、誰にでもできる。
さあ、古ぼけた地図は、もう捨ててしまおう。 そして、自分だけのコンパスを頼りに、足元に咲く、ささやかな花を愛でる旅に出ようじゃないか。 その旅路こそが、僕たちがこの時代に見つけ出した、新しい「普通の人生」の、本当の姿なのだから。