
後悔しない人生を送るための、たった二つの“覚悟”
君は、どちらの“クソみたいな人生”を選ぶのか?
僕たちの目の前には、常に二つの道が横たわっている。
一つは、「他人に従属し、飲み屋で愚痴しか言えない、クソみたいな人生」。 そして、もう一つは、「自らの信念に従い、他人から批判され続ける、クソみたいな人生」だ。
どちらも、傍から見れば「クソみたいな人生」かもしれない。 しかし、この二つの間には、天と地ほどの、決定的な“深み”の違いがある。
この記事は、僕たちが、前者という名の、安易で、しかし魂の死に至る道を避け、後者という、茨の道ではあるが、確かな「納得感」のある人生を歩むための、二つの「覚悟」についての話だ。
若い君へ:その“丸さ”は、君の価値を殺している
まず、まだ若い君に、伝えたいことがある。 「出る杭は打たれる」「和を以て貴しと為す」。そんな、君の個性を殺すための、大人たちの退屈な説教に、耳を貸してはいけない。
若いウチは、とにかく尖れ。 そして、盛大に、やらかせ。
なぜか? 君が、必死で守ろうとしている、その「丸さ」。それは、君を、その他大勢の、誰でも替えの効く、価値のない存在へと、貶めているからだ。
考えてみてほしい。 河原に転がる、無数の丸い石ころ。その中の一つを、誰が記憶しているだろうか。 しかし、もしそこに、歪で、鋭く尖った、異質な石が一つだけあったとしたら。僕たちは、否応なく、それに目を奪われるだろう。
君の価値は、その「尖り」にこそ宿る。 君だけの、譲れないこだわり。君だけの、青臭い正義感。君だけの、常識はずれの情熱。 それを、社会の空気に合わせて、自分で丸めてしまうことほど、愚かな自殺行為はない。
もちろん、尖れば、壁にぶつかるだろう。失敗もするだろう。盛大に、やらかすだろう。 それで、いいのだ。
20代の失敗など、たかが知れている。それは、君の人生を終わらせるほどの、致命傷にはならない。 むしろ、その時に流した血と、涙と、そして、どうしようもない後悔こそが、君という人間に、誰にも真似のできない「深み」を与える。
その深みを持たないまま、ただ無難に、安全に、歳を重ねた人間が、一体、どんな魅力的な大人になるというのだ。 彼らが、30年後に辿り着く場所。それこそが、僕が冒頭で述べた、「飲み屋で、過去を嘆き、会社を呪うだけの、空っぽな中年」の姿なのだ。
君は、本当に、そちら側に行きたいか?
かつて若かった人へ:その“批判”は、君が戦っている“勲章”だ
そして、ここからは、かつての僕であり、今の僕であり、そして、いつかの君である、「人の上に立つ」という、孤独な役割を担うことになった人間への、メッセージだ。
君が、自らの信念に従い、何かを成し遂げようとすれば、そこには、必ず「批判」が生まれる。 それは、この世界の、絶対的な法則だ。
- 誰もが納得する手法など、この世には存在しない。 今の日本の総理大臣を見れば、わかるだろう。誰が、どんなに素晴らしい政策を打ち出そうと、必ず、どこかから批判の声が上がる。なぜなら、全ての人の利益を、同時に満たすことなど、神でもない限り、不可能だからだ。
- 目立つこと、価値を生み出すことは、批判されることと同義だ。 もし、君が、誰からも批判されていないのだとしたら。それは、君が、誰の心にも響かない、どうでもいい、当たり障りのないことしか、していないという、何よりの証拠だ。 批判の嵐の真ん中にいるということは、君が、この世界の現状に、何らかの、しかし、絶対的な**「価値ある変化」**を生み出している証なのだ。
もちろん、ここで言う批判とは、犯罪や不倫といった、倫理にもとる行為への、正当な非難ではない。 僕が言っているのは、君が、自らの頭で考え抜き、「これが正しい」と信じた道を進む時に、必ず浴びせられる、嫉妬と、無理解と、恐怖心から生まれた、雑音のことだ。
批判という名の“雑音”を、無効化するための、心の持ち方
では、その、心を削るような、無数の批判の矢から、どうやって、自分の魂を守ればいいのか。 僕が実践しているのは、極めてシンプルな、心の防衛術だ。
耐えろ。そして、完全に、無視しろ。
君の信念を理解しようともせず、ただ、感情的に石を投げてくるだけの、その他大勢の声。 その一つひとつに、耳を傾ける必要など、どこにもない。
君は、心の中で、彼らに、こう言ってやればいい。
「黙れ。お前の発言に、価値はない」と。
これは、傲慢さではない。 これは、君が、自らの信じた道を、最後まで歩き抜くために、自分の精神を守る、聖なる“祈り”であり、“覚悟”なのだ。
結論:自分の人生の、主人公であれ
若い君は、尖れ。やらかせ。 その傷だらけの経験が、君だけの、揺るぎない信念を、鍛え上げるだろう。
そして、歳を重ね、自らの信念を、社会で実現しようとする君は、批判の嵐に、晒されるだろう。 その時、君は、若い頃に鍛え上げた、その信念だけを、羅針盤として、ただ、前へ進めばいい。
僕の人生の、そして、君の人生の、究極の目的。 それは、他人から好かれることでも、褒められることでもない。
「自分は、自分が信じた道を、ただ、まっすぐに、歩いてきた」
人生の最後の日に、そう、心の底から、一人、静かに頷けること。 ただ、それだけだ。