※はじめに:この記事は、一個人の体験に基づく記録です。医学的な正しさを保証するものではなく、特にワクチンに関する記述は、群発頭痛との因果関係を示すものでは一切ありません。ご自身の治療や判断については、必ず専門の医療機関に相談してください。この記事を読んでの自己判断は、絶対におやめください。
プロローグ 〜その痛みは、ある日突然やってくる〜
「目の奥を、焼けたアイスピックで抉られるような痛み」
もし、僕が「群発頭痛」という言葉を知らない誰かにその痛みを説明するなら、こう表現するしかない。それは、比喩でもなんでもなく、体感として最も近い言葉だ。
僕は20代後半からこの正体不明の激痛に悩まされ、10年以上、数年おきにやってくる“あの地獄”と向き合ってきた。
発作が起きるのは、決まって季節の変わり目。僕の場合は春か秋。そして、毎日ほとんど同じ時間に、片側のこめかみから目の奥にかけて、思考を停止させるほどの激痛が襲ってくる。その痛みは、僕の日常を、価値観を、そして人生そのものを根底から揺さぶり続けた。
この記事は、僕自身の群発頭痛の発症から現在までの経過、地獄としか言いようのない発作期のリアルな日常、そして、出口の見えない暗闇の中で、もがきながら手繰り寄せた「僕なりの対策」と「心構え」のすべてを記録したものである。
そして、この長い戦いの果てに、僕の身に起きた「予期せぬ転機」についても、正直に書き記したいと思う。
これは、同じ痛みに独りで耐えている、まだ見ぬあなたへ宛てた手紙だ。
第一章:発症と混乱 ─ 嵐の前の静けさと、最初の絶叫
最初の発作が訪れたのは、29歳の秋だったと思う。
当時、僕は仕事に追われ、連日終電で帰宅するような生活を送っていた。疲労はピークに達していたが、若さと気力で乗り切れると信じていた。そんなある夜、異変は起きた。
深夜2時頃。激しい頭痛で叩き起こされた。それは、これまで経験したどんな痛みとも違った。目の奥がズキズキと脈打ち、こめかみは内側から破裂しそうなほど熱く疼く。ベッドに横になっていることなど到底できず、僕は暗い部屋の中を、獣のようにただうろうろと歩き回った。
うずくまっても、頭を冷やしても、壁に頭を打ち付けても、痛みは微動だにしない。市販の鎮痛剤を流し込むが、それはまるで、焼け石に水をかけるような無力な行為だった。
その日から数週間、悪夢は続いた。毎晩、時計で計ったかのように同じ時間に、同じ激痛が僕を襲う。近所のクリニックでは「偏頭痛か緊張型頭痛でしょう」と診断され、ロキソニンやトリプタン系の薬を処方されたが、まったく改善の兆しは見えなかった。
医師にさえ理解されない孤独感と、終わりの見えない痛みへの恐怖。藁にもすがる思いでインターネットの情報を漁り、僕はついに「群発頭痛」という言葉にたどり着いた。そこに書かれていた症状のすべてが、寸分違わず自分の身に起きていることと一致した。
「これだ」
見つけた、という安堵と同時に、その先に書かれていた「原因不明」「特効薬なし」という絶望的な言葉が、僕の心を深く抉った。
第二章:発作期の生活 ‐ 毎晩訪れる地獄のルーティン
僕の場合、「群発期」は約1ヶ月から1ヶ月半ほど続く。頻度は年に1回、あるいは2年に1回。季節の変わり目に多い。この期間、僕の生活は一変する。
発作は、毎日ほとんど同じ時間帯、夜中の1時から3時頃に起きる。以下は、僕が幾度となく経験してきた、典型的な1発作の流れだ。
- 【前兆】:発作が始まる少し前、目の奥にじわりとした圧を感じる。あるいは、妙に頭が冴えわたり、神経が研ぎ澄まされるような感覚に陥る。嵐の前の、不気味な静けさだ。
- 【発作開始】:違和感は、約10分ほどで急速に激痛へと変わる。目の奥からこめかみ、側頭部にかけて、ドリルで頭蓋骨を貫かれるような、暴力的で鋭利な痛みが走り抜ける。
- 【発作中】:じっとしていられない。椅子に座って体を揺すったり、意味もなく部屋を歩き回ったり。あまりの痛みに、壁を殴ったり、床に拳を打ちつけたりすることもあった。そうでもしないと、痛みの圧力で気が狂いそうになるのだ。
- 【随伴症状】:痛みがある側の目からは涙が溢れ、鼻は詰まる。顔は汗でぐしゃぐしゃになる。体の右側と左側で、まるで別の世界が繰り広げられているような感覚だ。
- 【発作後】:痛みは、平均して45分から90分ほど続く。そして、まるでスイッチが切れたかのように、すっと痛みが引いていく。残るのは、嵐が去った後のような完全な脱力感と、思考能力が著しく低下した、空っぽの頭だ。
この「毎晩、痛みによって強制的に覚醒させられる」という経験は、肉体的にも精神的にも、人を極限まで追い詰める。慢性的な睡眠不足、いつまた痛みが来るかわからない恐怖、そして、この苦しみを誰にも理解してもらえないという深い孤独感。それは、社会生活を送る上で、あまりにも大きなハンディキャップだった。
第三章:診断と治療 ‐ 一筋の光と、変えられない現実
専門医を求めてたどり着いた、頭痛外来のある大病院。MRIで脳に異常がないことを確認された後、これまでの詳細な問診を経て、僕は正式に「群発頭痛」と診断された。
病名がついたことに安堵する一方で、医師から告げられたのは、やはり「根本的な治療法はない」という厳しい現実だった。それでも、いくつかの選択肢が提示された。
- スマトリプタン皮下注射(イミグラン皮下注)
- 酸素吸入(自宅療法)
- 予防薬(バルプロ酸、ベラパミルなど)
結局のところ、僕が頼れるのは、限られた回数しか使えない高価な注射薬だけだった。他の治療法は、僕には合わなかったり、適用にならなかったりした。10年以上にわたり、僕は「いつもの季節が来たら、痛みに耐え、注射を打ち、嵐が過ぎ去るのを待つ」というサイクルを繰り返すしかなかったのだ。
第四章:僕なりの対策 ‐ 科学的根拠なき、生存戦略
これは、僕が10年以上の歳月をかけて、自らの体で試行錯誤を繰り返してきた「僕なりの対策」だ。医学的・科学的エビデンスはない。あくまで、一個人の体験的サバイバル術である。
- 発作を「誘発しない」ための自己規律(絶対禁酒、睡眠リズムの固定、運動の制限)
- 発作が「来てしまった」ときの応急処置(局所冷却、カフェイン摂取、痛みを逃す姿勢)
- 「心」をどう守るか(迎え撃つ姿勢、SNSでの仲間探し)
これらの対策を講じることで、僕はなんとか社会生活を維持し、この理不尽な痛みと付き合ってきた。この戦い方は、僕にとっての「最適解」であり、これからもずっと続くものだと信じて疑わなかった。
あの日までは。
第五章:予期せぬ転機 ─ ワクチンと、2年間の奇妙な平穏
転機は、まったく思いがけない形で訪れた。
2年前のこと。当時、僕は36歳を目前に控え、東京女子医科大学の教授である、清水先生が報告されていますが、この群発頭痛とヘルペスウィルス族の水痘・帯状疱疹ウィルスが関わっている可能性をよく耳にするようになっていた。激しい痛みが長く続くというその症状は、群発頭痛の経験を持つ僕にとって、他人事とは思えなかった。
「これは改善するかもしれない。藁をもつかむ思いでやってみよう」。そう考えた僕は、不活化ワクチン「シングリックス」を接種することにした。
ワクチンは2回接種が必要で、僕は定められた間隔でそれを終えた。
ちなみに、5万程度かかる。かなり高い。
そして、その年の秋が来た。 僕にとって、秋は長年「戦いの季節」の始まりを意味していた。僕はいつものように身構えた。「そろそろ来るな…」と。禁酒の準備をし、イミグランの残数を確認し、心の鎧を着込む。
しかし、何も起こらなかった。
1日、また1日と、発作の気配すらない平穏な夜が過ぎていく。最初は「ただ周期がズレているだけだろう」と思っていた。しかし、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、あの悪魔のような痛みは訪れなかった。秋が終わり、冬が来た。僕は、10年以上ぶりに「何事もない秋」を過ごしたのだ。
あまりのことに、狐につままれたような気分だった。
そして、翌年。 春を何事もなくやり過ごし、再び秋が来た。「去年は偶然だったかもしれない。今年こそは…」という淡い期待と、「いや、そんなはずはない」という冷静な自己否定が、心の中でせめぎ合った。
結果は、同じだった。 あの、目の奥にじわりと広がる不気味な前兆も、夜中に叩き起こされる激痛も、一切訪れなかった。
シングリックスを打ってから、2年。つまり、2回の「群発シーズン」が、嵐のない、信じられないほど静かな季節として過ぎ去ったのだ。
第六章:これは希望か、偶然か ─ 僕の個人的な考察(※科学的根拠はありません)
【改めて、強く注意喚起します】以下の記述は、医学的・科学的根拠に一切基づかない、僕個人の完全な憶測です。この記事を読んで、シングリックスが群発頭痛に効くと判断したり、医師への相談なく接種を決めたりすることは、絶対におやめください。
2年間、群発頭痛が来ていない。この事実は、僕にとって奇跡に近い。そして、その直前にあったイレギュラーなイベントが「シングリックスの接種」だったことを考えると、どうしても「何か関係があるのではないか?」と思わずにはいられない。
素人考えでしかないが、僕はこう推測している。
群発頭痛の原因の一つとして、脳の視床下部の異常や、三叉神経の炎症、血管の拡張などが関わっていると言われている。一方、シングリックスは、免疫システムに働きかけて特定のウイルス(水痘・帯状疱疹ウイルス)への抵抗力を高めるワクチンだ。
もしかしたら、ワクチンによって僕の免疫系が大きく賦活化(アクティベート)された結果、これまで誤作動を起こしていた神経や血管の働きに、何らかの副次的な影響を与え、結果として群発頭痛のサイクルを断ち切る方向に作用したのではないだろうか…?
もちろん、これはただの偶然の一致かもしれない。僕の群発周期が、たまたま2年以上空く「寛解期」に入っただけなのかもしれない。答えは、誰にもわからない。
しかし、10年以上、ほぼ1~2年周期で正確に訪れていた地獄が、ワクチン接種を境にパタリと止まった。この事実だけは、僕の中で揺るぎようがないのだ。
第七章:群発頭痛とともに生きるということ(2025年版)
僕は、長年、群発頭痛を「人生の強制休養期間」と捉えてきた。痛みと引き換えに、健康のありがたみや、平穏な日常の尊さを学ぶ期間なのだと。
その考えは今も変わらない。しかし、この2年間の平穏は、僕に新たな視点を与えてくれた。
「この長い戦いにも、予期せぬ形で転機が訪れることがあるのかもしれない」
もちろん、僕は油断していない。今でも心のどこかでは「次の秋こそは、またあの痛みが戻ってくるかもしれない」と覚悟している。僕が群発頭痛の“卒業”を宣言できる日は、まだずっと先だろう。
それでも、僕の心は以前よりずっと軽やかだ。毎晩訪れるかもしれない恐怖に怯えるのではなく、「もしかしたら、今夜も大丈夫かもしれない」という、ささやかな希望を胸に眠りにつけるようになった。この変化は、僕にとって革命的ですらある。
嵐のあとには、希望の光が差すこともある
この長い体験記が、誰かの役に立つかどうかはわからない。 でも、もし今この瞬間も、群発の痛みに独りで耐え、出口のない暗闇にいると感じている人がいるなら、伝えたい。
「あなたは、独りじゃない」と。
痛みは、いつも孤独を連れてくる。でも、その理不尽な嵐を乗り越えた先には、それを乗り越えた自分に対する、少しだけ静かな誇りが残るはずだ。
そして、その戦いには、時に思いもよらない形で光が差すことがあるのかもしれない。
僕の身に起きたことが、あなたにも起こるとは限らない。でも、希望を捨てる必要はない。医学は進歩し、新しい治療法や、僕が経験したような予期せぬ発見が、未来には待っているかもしれない。
だから、どうか、今日の、そして今夜の痛みを、なんとか乗り越えてほしい。
▼もし、あなたが同じ痛みで悩んでいるなら
- すぐに「頭痛外来」を探してください。 専門医の診断が、あなたの戦いの第一歩です。
- 診断がついたら、スマトリプタン皮下注射をはじめ、あなたに合う治療法がないか、諦めずに医師と相談してください。
- SNSで「#群発頭痛」と検索してください。そこには、あなたの痛みを理解してくれる仲間がいます。
- そして、忘れないでください。あなたの痛みは、決してあなたのせいではありません。 あなたが弱いからでも、何か悪いことをしたからでもないのです。