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筋トレと酒、悪魔の二択。「最高のパフォーマンス」のために“断酒”を選んだ科学的かつ哲学的な理由

ジムの後のビールは、本当にうまいのか?

汗を流し、己の限界に挑んだトレーニングの後、喉に流し込む一杯の冷えたビール。あるいは、気の置けない仲間との、酒を酌み交わしながらの語らい。多くの人にとって、それは至福の瞬間であり、人生の彩りの一つだろう。

僕も、かつてはそう思っていた。 しかし、筋トレ歴が5年を超えた今、そして、断酒という選択をしてから久しい今、僕には確信を持って言えることがある。

筋トレと飲酒は、残念ながら、決して相容れない。

「少しぐらいいいじゃないか」「百薬の長とも言うだろう?」 そんな声が聞こえてくるようだ。しかし、もしあなたが、単なる健康維持ではなく、本気で自分の肉体と精神を「成長」させたいと願うなら、アルコールはその努力を静かに、しかし確実に蝕んでいく、最も身近な“毒”なのだ。

この記事は、「酒を飲むな」と声高に叫ぶ禁欲主義者の戯言ではない。僕が、科学的な事実と5年間の実体験を通じてたどり着った、「最高のパフォーマンス」を求める上での、極めて合理的で、納得感のある結論についての話である。


第一章:「百薬の長」という甘い罠 vs. 筋肉が悲鳴を上げる科学的現実

まず、大前提として、僕はお酒の文化や、それがもたらすリラックス効果を全否定するつもりはない。適量であれば、血行を促進し、ストレスを緩和するというメリットもあるだろう。

しかし、僕たちの目的が「筋肥大」と「パフォーマンスの最大化」であるならば、その天秤は、絶望的なまでにデメリットの方へと傾く。

アルコールが筋肉に与える悪影響。僕はこれを、自らの体験を通じて、3つのカテゴリーに分類して解釈している。

① ホルモン環境への“サイバー攻撃”

僕たちの身体は、ホルモンという名のOS(オペレーティングシステム)によって制御されている。そして、アルコールは、このOSに直接介入し、バグを発生させる。

  • テストステロンの減少: 筋トレによって分泌される、筋肉の合成を促す「王のホルモン」テストステロン。アルコールは、この最も重要なホルモンの分泌を抑制してしまう。アクセルを踏みながら、同時にブレーキをかけているようなものだ。
  • コルチゾールの増加: アルコールは、筋肉を分解する作用を持つ「ストレスホルモン」コルチゾールの分泌を促進する。必死で積み上げたレンガを、自らハンマーで叩き壊すに等しい愚行だ。

筋トレという「合成(アナボリック)」のスイッチを入れながら、飲酒によって「分解(カタボリック)」のスイッチも同時に押す。これほど非効率的な行為が、他にあるだろうか。

② “超回復”という名の建設作業への妨害工作

筋肉は、ジムで育つのではない。ジムでのトレーニングは、あくまで筋肉を破壊する「解体作業」だ。本当に筋肉が作られるのは、その後の休息、すなわち「超回復」の時間においてである。

アルコールは、この最も重要な建設作業を、徹底的に妨害する。

  • 栄養補給の遅延: 筋トレ後、筋肉はタンパク質や糖質を欲している。しかし、体内にアルコールが入ると、肝臓は毒物であるアルコールの分解を最優先する。その結果、筋肉へ送られるべき栄養素の処理は後回しにされ、超回復は大幅に遅延する。
  • 睡眠の質の低下: 筋肉の成長に不可欠な「成長ホルモン」は、深い睡眠中に最も多く分泌される。しかし、アルコールは、睡眠を浅くし、中途覚醒を引き起こす。眠っているつもりでも、身体は全く休まっていないのだ。
  • 脱水症状の誘発: アルコールの利尿作用は、身体を脱水状態に陥らせる。水分を失った筋肉は、栄養を効率的に取り込むことができず、疲労物質の排出も滞る。

つまり、飲酒は、最高の建設現場(トレーニング後の身体)に、材料(栄養)も、職人(成長ホルモン)も、水も届けないようにする、最悪の妨害工作なのだ。

③ 次のトレーニングへの“負債”

言うまでもなく、飲み過ぎれば翌日は二日酔いになる。頭痛、吐き気、倦怠感。そんな状態で、質の高いトレーニングなどできるはずがない。結果、その日のトレーニングの質は著しく低下するか、あるいはスキップせざるを得なくなる。

それは、未来の成長の機会を、昨夜の快楽のために「前借り」し、返済不可能な「負債」を背負うことに他ならない。


第二章:僕が下した「合理的判断」- 快楽の質と、人生の納得感

これらの科学的事実を並べると、「それでも飲みたい」という人は、もはや少数派だろう。しかし、僕が断酒を選んだ理由は、単に「非効率だから」というだけではない。それは、僕の人生における「自律」と「納得感」という、根源的な価値観に関わっている。

① 快楽の「質」を問い直す

アルコールがもたらす快楽は、確かにある。しかし、それは多くの場合、刹那的で、借り物の高揚感だ。そして、その代償として、翌日の倦怠感や、長期的な成長の停滞を支払わなければならない。

一方で、筋トレがもたらす快楽は、全く質が違う。 昨日より重い重量を挙げられた時の、内から湧き上がる達成感。 鏡に映る自分の身体が、少しずつ理想に近づいていく確かな手応え。 そして、困難な目標に向かって、自らを律し続けることで得られる、揺るぎない自信。

これらの快楽は、持続的で、誰にも奪われることのない、自分自身の「資産」となる。 刹那的な浪費か、永続的な資産か。この二つを天秤にかけた時、僕がどちらを選ぶべきかは、火を見るより明らかだった。

② 「自律」の感覚こそが、最高の報酬

「付き合いだから」「ストレス発散に」——。かつて僕も、そうした理由で酒を飲んでいた。しかし、それは結局のところ、自分の感情や行動のハンドルを、外部の環境や他人に明け渡している状態だった。

断酒し、筋トレを続けるという選択は、「自分の人生の主導権は、自分自身が握る」という、強烈な「自律」の宣言だ。

他人の誘いを断る勇気。目先の快楽に流されない意志。そして、自分が定めた目標に向かって、淡々と努力を積み重ねる規律。 筋トレを通じて僕が本当に鍛えているのは、大胸筋や上腕二頭筋ではない。それは、この不確実な人生を、自分自身の足で、堂々と歩いていくための「意志」という名の、最も重要な筋肉なのだ。


あなたが本当に“酔う”べきもの

もちろん、僕は他人の飲酒の習慣を否定しない。しかし、もしあなたが、自分の人生を少しでも良くしたい、成長させたいと願うなら、一度だけ、真剣に問い直してみてほしい。

その一杯が、あなたの未来から、何を奪っているのかを。

筋トレ後の疲労感に満ちた身体に、プロテインを流し込む。筋肉の隅々に、栄養が染み渡っていくのを感じながら、今日の達成感に浸る。僕にとって、これ以上の「快楽」も「報酬」も存在しない。

僕たちは、アルコールに酔う必要などないのだ。 自分自身の成長に、そして、自らの意志で人生を切り拓いているという、その圧倒的な「納得感」にこそ、僕たちは酔うべきなのだから。

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