FIRE

なぜ、僕は“下品”だと知りながら、自らの「資産額」を公開し続けるのか

その“数字”に、君は、何を見るか?

「資産公開ブログは、うざい」 「ただの、金持ちアピールで、むかつく」

ネットの海を、漂っていると、時折、こうした、僕の行為に対する、剥き出しの“嫌悪感”に、出くわすことがある。

無理もない。 自らの「資産額」という、あまりにも生々しい数字を、不特定多数の前に、晒す。 この国において、その行為が、一種の“下品さ”を、伴うものであることを、僕は、十分に、自覚している。それは、嫉妬を、誤解を、そして、軽蔑を、呼び起こしかねない、危険な行為だ。

「どうせ、自慢したいだけなのだろう?」 そう、思われても、仕方がない。そして、僕自身の心の中に、ちっぽけな、醜い顕示欲が、一切ない、などと、聖人君子ぶるつもりも、ない。

しかし、僕が、この、ある種のリスクを、引き受けてまで、自らの、無味乾燥な“数字”を、この場所に、晒し続けるのには、その、ちっぽけな自尊心を満たすこととは、全く、別の次元にある、明確で、そして、譲ることのできない「目的」が、あるからだ。

この記事は、そんな僕が、なぜ、この“下品”な行為を、やめないのか。 その、僕なりの、理由と、哲学についての、正直な告白である。

理由①:「幻想」ではなく、「再現性のある地図」を、提示したい

世の中には、「お金」に関する情報が、溢れている。 しかし、その、ほとんどは、僕たち、普通のサラリーマンにとっては、あまりにも、非現実的だ。

  • 億万長者の、投資家が語る、難解な、金融理論。
  • 天才的な、起業家が成し遂げた、奇跡のような、成功物語。

それらは、確かに、面白い読み物かもしれない。しかし、それは、僕たちの、明日からの人生を、1ミリでも、具体的に、変えてくれるだろうか。 多くの場合、それらは、僕たちに、「どうせ、自分には、無理だ」という、静かな絶望と、諦めを、与えるだけだ。

一方で、僕が、このブログで、提示しているもの。 僕の、3000万円、4000万円という資産額。 それは、決して、幻想ではない

それは、

  • 特別な才能も、親の資産もない、ごく普通のサラリーマンが、
  • 毎月の、給与所得の中から、
  • 規律を守り、正しい戦略(NISA、インデックス投資など)を、淡々と、実行し続けた 結果として、たどり着いた、極めて、“現実的”な、数字だ。

僕が、この数字を公開するのは、「僕という、凡人でも、ここまで、来ることができた。だから、正しい地図を手に、諦めずに、歩き続ければ、君にも、必ず、できる」という、“再現性”に満ちた、“希望”を、提示したいからだ。 遠い国の、宝の地図ではない。君が、今いる場所から、確かに繋がっている、リアルな「登山道」を、僕は、示したいのだ。

理由②:僕の“哲学”の、唯一の“証明”である

このブログは、単なる、お金の稼ぎ方を、教える場所ではない。 それは、僕が、人生を通じて、探求し続ける「生き方の哲学」を、言語化するための、実験の場だ。

  • 「仕事は、壮大な暇つぶしである」
  • 「他人の評価ではなく、自分だけの“納得感”で、生きろ」
  • 「“自律”こそが、人生の、最高の資産である」

しかし、言葉だけでは、空虚だ。 その哲学が、本当に、現実世界で、力を持つのか。その「証明」がなければ、僕の言葉は、ただの、独りよがりな“ポエム”で、終わってしまう。

僕の「資産額」という名の、無機質な数字。 それこそが、僕の哲学が、単なる理想論ではなく、この、資本主義という、冷徹なゲーム盤の上で、確かに機能する、一つの「生存戦略」であることを、示す、唯一にして、最強の“証明(Proof)”なのだ。 僕の言葉に、重みと、説得力を与えるために、僕は、この数字を、背負い続ける必要がある。

理由③:僕自身との、そして、君との“契約”である

そして、これが、最も、僕個人にとって、重要な理由かもしれない。 それは、自らの資産を、公の目に晒すことが、僕自身に、強烈な「規律」と「覚悟」を、課すということだ。

一度、この旅路を、公開してしまった以上、僕は、もう、後戻りはできない。 途中で、投げ出すことも、愚かな浪費に、身を任せることも、許されない。

この、公の場での「宣言」は、僕が、僕自身の人生の哲学から、逃げ出すことを、防いでくれる、最強の“監視カメラ”であり、未来の自分への、揺るぎない“契約”なのである。

そして、それは、この記事を読んでくれている、君との、契約でもある。 僕は、これからも、この、地味で、退屈な道を、正直に、歩き続けることを、君に、約束する。 だから、君も、君の道を、諦めずに、歩き続けてほしい。

結論:僕の“下品さ”が、誰かの“希望”になるのなら

もちろん、これからも、僕は、誰かに「下品だ」と、言われ続けるだろう。 「金持ちアピールだ」と、罵られることも、あるだろう。

それで、いい。

なぜなら、僕が、本当に、このブログを、届けたい相手は、そういう人々ではないからだ。 僕が、本当に、この言葉を、届けたいのは、

  • かつての僕のように、
  • 未来への、漠然とした不安の中で、
  • 何を信じ、どこへ向かえばいいのかも分からず、
  • ただ、立ち尽くしている、

たった一人の、まだ見ぬ“君”なのだから。

もし、僕の、この、少しだけ“下品”な、正直さが。 そんな、君の、暗闇を照らす、ほんの、小さな“灯火”になるのなら。 もし、僕の、この、無機質な“数字”が、君が、明日から、一歩を踏み出すための、ささやかな“希望”になるのなら。

僕は、喜んで、何度でも、この「下品な男」を、演じ続けようと思う。 僕の、この行為の、真の価値を、判断するのは、他人ではない。 それを、どう受け止め、どう、自らの人生の力に変えるか。 その、すべては、いつだって、君自身に、委ねられているのだから。

-FIRE