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なぜ、僕は「いつか日本一周したい」という奴を“軽蔑”するのか。- 金があっても、“死んだ身体”では旅はできない

バスツアーで見た、残酷で、静かなる“地獄”

僕は、時々、バスツアーに参加する。 その乗客の多くは、穏やかな笑顔を浮かべた、リタイア後の高齢者の方々だ。長年、勤め上げた仕事から解放され、ようやく手に入れた自由な時間。その姿は、一見すると、幸福そのものに見える。

しかし、僕は、その光景の中に、ある種の、静かで、しかし、残酷な“地獄”を見てしまうのだ。

目的地である、美しい絶景に着いた時のこと。 バスから降り立った彼らの多くは、展望台まで続く、少しばかりの坂道を登ろうとはしない。彼らは、バスのすぐそばのベンチに腰掛け、遠くから、その景色を、ただ、眺めているだけなのだ。

彼らの目には、もう、若い頃のような、好奇心の炎は灯っていない。 その足は、新しい世界へと踏み出すための、気力を、失ってしまっている。

彼らは、確かに、そこにいる。しかし、彼らの身体は、もはや、その旅を、心の底から味わうことを、拒否している。 僕は、その光景を見るたびに、背筋が凍るような、一つの真実に、気づかされる。

旅とは、金と、時間だけで、できるものではない。 旅とは、「若さ」と「体力」という、あまりにも儚く、そして、二度と取り戻すことのできない“資産”を使って、初めて、その価値を享受できる、極めて、賞味期限の短い“果実”なのだ、と。

「いつか」という名の、人生最大の“嘘”

「いつか、時間ができたら、世界一周旅行に行きたい」 「定年退職したら、夫婦で、ゆっくりと、温泉巡りでもしたい」

僕たちは、そんな、心地よい「いつか」という言葉で、自らの人生を、先延ばしにしてはいないだろうか。

しかし、その「いつか」が訪れた時、君の身体は、本当に、君の思い描く通りに、動いてくれるのだろうか。

  • 65歳の君に、 バックパック一つで、見知らぬ異国の路地を、何時間も、彷徨い歩く、体力と、気力は、残っているだろうか。
  • 70歳の君に、 イタリアの、あの、美しい、しかし、無慈悲な石畳の坂道を、笑顔で登り切り、コロッセオの頂に立つ、脚力は、備わっているだろうか。

僕たちが、若い頃に、時間と、体力を切り売りして、必死で貯め込んだ、あのお金。 そのお金を、いざ使おうとした時には、その価値を、最大限に引き出してくれるはずの「身体」が、もはや、動かなくなっている。

これほど、悲しく、そして、滑稽な、人生の“バッドエンド”が、他にあるだろうか。 「いつか」という言葉は、僕たちを慰める、優しい希望ではない。 それは、僕たちから、「今」という、最も貴重な瞬間を奪い去る、最も残酷な“嘘”なのだ。

“孤独”であれ - なぜ、本当の旅は、一人でしかできないのか

「いつか、家族を連れて、日本一周をしたい」 それもまた、美しい夢だ。 しかし、僕は、あえて言いたい。 もし、君が、本当に「旅」そのものを、味わい尽くしたいと願うなら。 その旅は、“一人”、行くべきだ、と。

なぜなら、他人と共に歩む旅は、常に「妥協」の連続だからだ。 パートナーの、行きたい場所。 子どもの、食べたいもの。 家族の、体力と、機嫌。

それらに、気を配りながら進む旅は、確かに、「家族サービス」や「関係構築」としては、価値があるかもしれない。 しかし、それは、君自身の魂が、心の底から欲する場所へと、自由に向かう「冒険」では、断じてない。

  • 予定外の脇道に、ふらりと、迷い込む自由。
  • 地元の人しか知らない、小さな食堂の、暖簾をくぐる勇気。
  • 誰にも、気を遣うことなく、ただ、夕日を、2時間、眺め続ける、贅沢。

この、予測不能で、非効率で、しかし、だからこそ、かけがえのない“発見”に満ちた、本当の旅。 それは、“孤独”という名の、翼を手に入れた者だけが、たどり着ける、聖域なのだ。

だから、僕は、強く、君に勧めたい。 誰かと、いつか行くことを、夢見る前に。 まず、君が、「一人で、旅ができる人間」に、なるべきなのだ、と。

「でも、一人旅は、ハードルが高い…」 そう思う君のために、現代には、素晴らしいソリューションが、用意されている。 阪急交通社や、クラブツーリズムといった、大手旅行会社が提供する「おひとり様限定参加ツアー」だ。

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僕も、何度か、利用したことがある。 参加者の年齢層は、確かに高い。 しかし、心配は、いらない。彼らは、馴れ合いを求めて、ここに来ているのではない。 特に男性の参加者は、僕と同じように、“孤独”を愛する、同族だ。集合時間以外は、ほとんど、言葉を交わすこともない。

ツアーという、交通と、宿泊の「安全なインフラ」だけを利用し、現地では、完全に、一人で、行動する。 これは、一人旅の、最初の一歩として、極めて、合理的で、賢明な選択肢だ。

旅のために、働き、そして、節約せよ

もちろん、旅には、金がかかる。 では、その原資を、どうやって、捻出するのか。

僕の答えは、シンプルだ。 日常を、徹底的に、切り詰める。 そして、その、地味な節約の先に、最高の「娯楽」としての、旅を、設定するのだ。

僕が、毎日、自販機で、150円のペットボトル飲料を買うのを、我慢するのは。 その、浮いたお金で、旅先の、まだ見ぬ絶景を、見るためだ。 僕が、会社の、無意味な飲み会を、断り続けるのは。 その、浮いたお金で、旅先の、まだ味わったことのない、郷土料理を、食べるためだ。

日常の、あらゆる“小さな我慢”は、非日常の、最高の“大きな快楽”へと、繋がっている。 この感覚を持つだけで、日々の節約は、苦行から、未来の冒険への、胸躍る「準備」へと、その意味を、変えるのだ。

結論:君の“身体”が、死ぬ前に、旅に出よ

もう一度、あの、バスツアーの、光景を、思い出す。 ベンチに座り、遠くを眺める、老人たちの、静かな背中。

彼らは、僕だ。 そして、いつかの、君の姿だ。

僕たちは、いつか、必ず、老いる。 僕たちの身体は、いつか、必ず、動かなくなる。

その、抗いがたい、絶対的な“締め切り”の前に。 僕たちに、残された時間は、それほど、多くはない。

だから、頼む。 「いつか」という、麻薬から、目を覚ませ。

君の足が、まだ、大地を、力強く、踏み締められるうちに。 君の心が、まだ、未知なるものに、胸を、高鳴らせることができるうちに。

地図を、広げろ。 行き先を、決めろ。 そして、切符を、買え。

金は、また、稼げばいい。 しかし、失われた「若さ」と「時間」は、二度と、君の元へは、戻ってこないのだから。

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