人生論

なぜ、僕にとって「40歳からの人生」のほうが、遥かに“面白い”と断言できるのか

その“恐怖”、僕もよく知っている

「40歳」。 この、数字の響きに、あなたは、何を思うだろうか。

社会では、それは、人生の「下り坂」の始まりを告げる、合図のように語られる。 失われていく、若さ。 衰え始める、体力。 そして、「もう、若くはない」という、諦めにも似た、静かな絶望。

かつての僕もまた、「歳をとること」に対して、漠然とした恐怖を抱いていた一人だ。人生で、最も輝かしく、自由な季節は、もう、過ぎ去ってしまったのではないか、と。

しかし、40歳という節目を、目前に控えた今。 僕の心は、不思議なことに、恐怖とは、全く無縁の、静かで、しかし、確かな「興奮」に、満たされている。

そして、僕は、今、自信を持って、断言できる。 40歳から始まる人生は、20代の頃のそれとは、比較にならないほど、遥かに「面白く」なる、と。

これは、負け惜しみでも、精神論でもない。 僕たちが、20代、30代を、いかに「戦略的」に生きてきたかによって、40代は、人生というゲームの「第二章」、すなわち、全ての能力と資産を引き継いで、より広大な世界を冒険できる「強くてニューゲーム」の、幕開けとなるのだ。

“黄金の20代”という名の、巨大な“幻想”

僕たちは、20代を、人生で、最も輝かしい季節だと、思い込んでいる。 確かに、そこには、無限の「時間」と、怖いもの知らずの「エネルギー」があった。

しかし、同時に、僕たちの20代は、決定的な「貧しさ」の中にあったことを、忘れてはならない。

①「お金」という、圧倒的な“貧しさ”

20代の僕たちには、時間が、有り余るほどあった。しかし、その時間を、豊かさに変えるための「お金」が、絶望的に、なかった。 僕たちの選択肢は、常に、値札によって、厳しく、制限されていた。「本当にやりたいこと」ではなく、「これくらいなら、払える」という、妥協の連続。あの頃の僕たちが味わっていた自由は、実は、極めて、限定的なものだったのだ。

②「知恵」という、致命的な“貧しさ”

そして、お金以上に、僕たちに欠けていたもの。 それは、「自分とは、何者か」を知る、ための、知恵だった。

僕たちは、自分が、心の底から、何を望んでいるのかを知らなかった。だから、社会の「常識」や、他人の「評価」という、外部の物差しに、自分の価値を、委ねるしかなかった。 流行りの服を着て、話題の店に行き、世間一般で「良し」とされる、成功の形を、ただ、必死で、追い求めていた。

あの頃の僕たちは、本当に、自由だったのだろうか。 いや、違う。 僕たちは、お金と、そして、何より「自分自身」からの、二重の不自由の中に、いたのだ。

40代で、僕たちが手にする、三つの“最強の資産”

では、なぜ、40代からの人生が、面白くなるのか。 それは、僕たちが、20代、30代という、長く、険しい旅路の果てに、若い頃には、決して持ち得なかった、三つの、あまりにも強力な「資産」を、その手に、しているからだ。 (もちろん、それは、君が、これまでの人生を、戦略的に、生きてきた、という前提の上での話だが)

①「経済資本」- お金の“呪縛”からの、解放

20代の頃から、規律を守り、コツコツと積み上げてきた、資産。 僕の場合、それは、4000万円という、一つの、大きな砦となった。

この、経済的な土台があることで、僕たちは、初めて、人生における、ほとんどの意思決定を、「価格」ではなく、「価値」で、下すことができるようになる。 「安いから、これにする」ではない。「高い。しかし、僕の人生にとって、それ以上の価値があるから、これを選ぶ」と。

この、お金の呪縛からの解放こそが、僕たちの人生の選択肢を、爆発的に、広げてくれる。

②「経験資本」- 無数の“失敗”が、磨き上げた“知恵”

30代までに、僕たちは、数え切れないほどの、失敗を経験してきたはずだ。 仕事での、屈辱。人間関係での、すれ違い。そして、恋愛での、痛恨の過ち。

これらの、一つひとつの傷跡は、僕たちの心に、消えない教訓を、刻み込んでいる。 もはや、僕たちは、若い頃のように、同じ過ちを、繰り返さない。僕たちの意思決定は、経験という名の、膨大な“判例データベース”に裏打ちされ、より、的確に、そして、本質的に、なっている。

③「自己資本」-“自分”という、揺るぎない“羅針盤”

そして、これが、最も、重要な資産だ。 様々な経験と、内省を通じて、僕たちは、もはや、「自分が、何者であるか」を、知っている。

  • 自分は、何を、心地よいと感じるのか。
  • 自分は、何を、許せないと感じるのか。
  • そして、自分は、どんな人生に、「納得感」を、覚えるのか。

この、「確立された、自分」という、揺るぎない羅針盤があるからこそ、僕たちは、もはや、他人の評価や、社会の常識という名の、嵐に、翻弄されることはない。 僕たちは、自分だけの航路を、自分の意思で、進むことができるのだ。

新しい“ゲーム”の始まり -「質の高い遊び」と「深い探求」

「金」と「知恵」と、「自分」。 この、三種の神器を、その手に携えた、40代の僕たちが、これから始める、新しいゲーム。 それは、20代の頃の、それとは、全く、次元の違う、豊かさに満ちている。

① 人生の“娯楽”が、変わる

若い頃の「遊び」は、刹那的で、消費的なものが、中心だったかもしれない。 しかし、40代からの「遊び」は、自らの人生の“物語”を、より豊かにするための、戦略的な「経験投資」へと、その姿を変える。

  • 若い頃は、行けなかった、憧れの土地への、質の高い「旅」。
  • 自分の知的好奇心を、深く満たすための、美術館巡りや、「歴史散策」
  • そして、健康という、最高の資産を、維持するための、「サウナ」や「筋トレ」

これらは、僕が、人生から「DIE WITH ZERO(ゼロで死ぬ)」という、後悔をなくすために、意識的に、行っている、最高の“娯楽”だ。

② 人生の“探求”が、変わる

20代の学びが、社会で生き抜くための「武器」を手に入れるための、切実なものだったとすれば。 40代からの学びは、純粋な「知的好奇心」と、「世界の、さらなる探求」のための、贅沢な、冒険となる。

僕が、MBAで、学び続けているのも、そのためだ。 もはや、誰かに、評価されるためではない。ただ、自分が、この世界の、成り立ちを、もっと、深く、知りたいからだ。

結論:加齢とは、「衰退」ではなく、「解放」である

もう一度、問おう。 「歳をとることは、怖いことだろうか?」

いや、違う。 僕にとって、歳を重ねるとは、「衰退」のプロセスではない。 それは、僕たちを、長年、縛り付けてきた、様々な制約からの、「解放」の、プロセスなのだ。

  • お金がない、という、不自由からの、解放。
  • 他人の評価を気にする、不自由からの、解放。
  • 自分が、何者か分からない、という、不自由からの、解放。

恐れることは、何もない。 君が、20代、30代という、人生の“前半戦”を、真剣に、そして、戦略的に、戦い抜いてきたのだとすれば。 40代という、後半戦の、キックオフの笛が鳴る時、君の目の前には、若い頃には、決して、見ることのできなかった、広大で、自由な、フィールドが、広がっているはずだ。

さあ、本当の冒険は、ここからだ。

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