人間関係

なぜ、僕たち夫婦は「話が合わない」ことを、むしろ“歓迎”するのか。- 結婚10年で見つけた、最高の“距離感”

その“一体感”、本当に、あなたを幸せにしていますか?

「理想の夫婦とは、どんな姿だろうか?」

この問いに対して、世間が用意する“正解”は、だいたい、決まっている。 いつも、二人で、同じ方向を向き、同じ趣味を楽しみ、言葉を交わさずとも、互いを理解し合える、「一心同体」のパートナー。

かつての僕も、心のどこかで、そんな、ロマンティックな幻想を、追い求めていたのかもしれない。 しかし、結婚して、10年以上。 山あり、谷ありの、決して平坦ではなかった道のりを、共に歩んできた今、僕がたどり着いた結論は、その幻想とは、全く、別の景色だった。

僕の妻と、僕。 僕たちの趣味は、驚くほど、違う。 僕たちの、興味の対象も、休日の過ごし方も、そして、話す話題も、必ずしも、一致しない。

しかし、僕たちは、今、心の底から、穏やかで、そして、満たされている。 なぜなら、僕たちが、この10年間で、見つけ出した、最高の夫婦円満の秘訣。 それは、「いかにして、一つに、溶け合うか」ではなく、「いかにして、互いの“違い”を、尊重し、美しい“距離感”を、保ち続けるか」という、技術だったからだ。

この記事は、そんな僕たちが、いかにして「一心同体」という名の“呪い”から、自らを解放したか。その、少しだけドライで、しかし、極めて愛情深い、僕たちだけの「ルール」についての、物語である。

“一心同体”という名の、美しい“地獄”

なぜ、僕は、「一心同体」を目指すことを、やめたのか。 それは、その、一見すると美しい理想が、長期的には、夫婦という、二人だけの小さな社会を、緩やかに、しかし、確実に、破壊していく“地獄”への入り口だと、気づいてしまったからだ。

① それは、互いの“個性”を、殺していく

「一心同体」を目指すことは、無意識のうちに、互いに、こう要求し始める。 「なぜ、私が好きなものを、あなたは、好きになってくれないの?」 「なぜ、私が正しいと思うことを、あなたは、理解してくれないの?」

僕たちは、相手を、自分と同じ色に染め上げようとし、相手の、そして、自分自身の「個性」という名の、鮮やかな色彩を、少しずつ、失っていく。 そして、最後には、どちらの色でもない、くすんだ、灰色の、退屈な関係性だけが、残る。

② それは、満たされることのない“期待”を、生み出す

「言わなくても、分かってくれるはずだ」 「察してくれるのが、愛情だろう」

この、「一心同体」が生み出す、過剰な“期待”こそが、あらゆるすれ違いと、失望の、源泉となる。 僕たちは、別の人間だ。育ってきた環境も、見てきた景色も、そして、脳の構造さえも、違う。 その、当たり前の事実から、目をそむけ、相手に、超能力者のような「読心術」を求めることは、あまりにも、傲慢で、そして、幼稚な、甘えなのだ。

③ それは、息苦しい“共依存”を、育む

そして、何よりも、恐ろしいのが、これだ。 互いに、もたれかかり、依存し合うことで、僕たちは、いつしか「一人では、幸せになれない」身体になってしまう。 相手の機嫌が、自分の機嫌を、左右する。 相手の存在なくしては、自分の価値を、感じられなくなる。 その、息苦しい「共依存」の関係は、愛ではなく、ただの“執着”だ。

僕たちだけの“独立国家共同体” - 平和を維持するための、3つのルール

では、どうすればいいのか。 僕たちが、長年の試行錯誤の末に、たどり着いたのが、夫婦という関係を、一つの、融合した「帝国」ではなく、二つの、主権を持った「独立国家」が、互いの利益のために、同盟を結ぶ、「独立国家共同体」として、捉え直す、という考え方だ。

そして、その平和な同盟関係を、維持するための、僕たちだけの「憲法」には、たった、三つの条文しかない。

第一条:「共通の趣味」を、無理に、持たない

僕たちは、互いの趣味に、干渉しない。そして、共通の趣味を、無理に作ろうともしない。 なぜなら、それは、新しい「争いの火種」に、なりかねないからだ。

それよりも、僕たちが、遥かに重要だと考えていること。 それは、それぞれが、自分一人で、完結できる「ストレス発散法」という名の“聖域”を、確実に、確保しておくことだ。

僕にとって、それは、サウナであり、筋トレであり、このブログを書く、孤独な時間だ。 妻には、妻だけの、聖域がある。 僕たちは、互いに、その聖域には、決して、踏み込まない。

そして、それぞれが、その場所で、自分の機嫌を、自分で取り、リフレッシュして、また、笑顔で、日常に戻ってくる。 この、互いに、依存しない、自己完結したサイクルを持つことこそが、長い関係性を、健やかに保つ、生命線なのだ。

第二条:財布は“別々”に。経済的に、自立する

僕たちの「独立国家共同体」を、根底から支えるのが、「経済的な自立」だ。 僕たちは、互いの収入や、支出に、一切、口出しをしない。「個人の財布」は、完全に、独立している。

そして、家賃や、食費といった「共同防衛費」のために、毎月、決まった額を、共通の「連邦予算」へと、入金する。 この、「独立採算制」が、お金という、最も、争いを生みやすい問題を、僕たちの生活から、完全に、消し去ってくれた。

一人でも、十分に生きていける。 だからこそ、二人でいれば、もっと、豊かになれる。 この、経済的な、そして、精神的な“余裕”こそが、対等で、尊敬に満ちた関係性の、土台となる。

第三条:相手の“機嫌”の、責任を、取らない

そして、これが、最も、重要な条文かもしれない。 それは、「自分の機嫌は、自分で取る」ということだ。

パートナーは、あなたのセラピストでは、ない。 あなたが、仕事で、理不尽な目に遭った時。あなたが、人間関係で、深く傷ついた時。 その、負の感情を、癒し、解決する、第一義的な責任は、あなた自身にこそ、ある。

もちろん、話を聞き、寄り添うことは、大切だ。 しかし、相手に「私のこの問題を、解決してくれ」と、その責任を、丸投げしてはならない。 それは、愛ではなく、ただの“依存”であり、“搾取”だ。

結論:最高のパートナーシップとは、「最高の他人」で、あり続けること

僕たちが、結婚して10年経っても、なお、互いへの興味を、失わないでいられるのは、なぜか。 それは、僕たちが、互いのことを「全部は、知らない」からだ。

僕の知らない世界で、妻は、新しい本と出会い、新しい友人と語り、新しい人間として、日々、変化し続けている。 妻の知らない世界で、僕もまた、新しい知識を学び、新しい思索を深め、新しい人間として、生まれ変わり続けている。

僕たちは、一つの、読み終えた本を、共有しているのではない。 僕たちは、二冊の、それぞれが、今もなお、新しいページを書き続けている、未完の物語なのだ。 そして、時折、互いの、最も面白いページを、見せ合う。

最高のパートナーシップとは、一心同体になることではない。 それは、互いが、互いにとって、最も、興味深く、そして、最も、尊敬できる「最高の他人」で、あり続けることなのかもしれない。

その、心地よく、そして、刺激的な「距離感」を、愛すること。 それこそが、僕たちが、この、長く、そして、豊かな旅路を、最後まで、笑顔で、共に歩むための、唯一の方法なのだと、僕は、信じている。

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