
その“痛み”、もはや“職業病”だと、諦めていないか?
僕たち、デスクワーカーの、右手。 それは、現代における、最も、酷使される“器官”の一つかもしれない。
一日、8時間以上。マウスを握りしめ、クリックし、ドラッグし、スクロールし続ける。 その、不自然な、ねじれを、伴う、反復動作が、僕たちの手首、腕、そして、肩に、どれほどの、負荷を、与えているか。
気づけば、慢性的な、鈍い痛み。「腱鞘炎(けんしょうえん)」。 もはや、僕たちの、“職業病”として、半ば、諦めと共に、受け入れてしまっては、いないだろうか。
僕も、長年、その、鈍い痛みに、悩まされ続けてきた、一人だ。 そして、その、根源的な「痛み」を、解決してくれるかもしれない、一つの“救世主”として、僕が、大きな期待を込めて、購入したのが、ProtoArcの、縦型トラックボールマウス「EM05」だった。
結論から、言おう。 僕は、そのマウスを、わずか、2週間で、手放すことになった。 しかし、それは、このマウスが、ただの「ダメな製品」だった、という意味では、断じてない。
この記事は、この「EM05」という、“神がかった、コンセプト”と、“悪魔のような、細かな欠陥”が、同居する、あまりにも、惜しいデバイスの、天国と、地獄を、僕自身の、実体験として、正直に、語るものである。
“思想”は、完璧だった - 縦型マウスが、僕を“救う”はずだった
まず、断言しておきたい。 このマウスが、掲げる「思想(コンセプト)」は、100%、正しい。そして、美しい。
①「握手」という、最も、自然な“型”
思い出してみてほしい。君が、机の上に、だらりと、手を置いた時。その手は、どんな形をしているだろうか。 手のひらが、真下を向いているか? 違うはずだ。 親指が、軽く、上を向いた、自然な「握手」の、角度。それこそが、僕たちの、腕と、手首が、最も、リラックスできる、本来の“型”なのだ。
従来の、フラットなマウスは、この、自然な型を、強制的に、内側へと“ひねり潰す”。 僕たちは、無意識のうちに、一日中、重力と、戦い続けている。その、持続的な負荷こそが、痛みの、元凶だ。
しかし、この「EM05」のような、縦型(バーティカル)マウスは、違う。 僕たちは、ただ、最も、自然な「握手」の形のまま、その、マウスを、そっと、包み込むだけでいい。 僕が、このマウスを、使い始めた、最初の数日間。僕の手首から、確かに、余計な力が、すーっと、抜けていくのを、感じていた。
②「トラックボール」という、不動の“哲学”
そして、このマウスは、ただの、縦型マウスではない。 「トラックボール」を、搭載している。 つまり、マウス本体を、動かす必要が、一切、ない。 親指で、ボールを、転がすだけで、カーソルは、自由自在に、画面上を、駆け巡る。
この、「動かさない」という哲学が、僕たちを、
- 手首の、細かな動きから、解放し、
- マウスパッドという、物理的な“スペース”の制約から、解放する。
「縦型」という、思想と、「トラックボール」という、思想。 この、二つの、偉大な発明が、融合した「EM05」は、理論上、僕たちの、右手を、あらゆる苦痛から、解放してくれる“約束の地”であるはずだった。 そう、いくつかの、致命的な“欠陥”に、目をつぶることが、できれば。
“現実”は、甘くなかった - 僕が、このマウスを、手放した、3つの“理由”
僕が、この、理想的なはずの、マウスとの、共同生活に、なぜ、ピリオドを、打ったのか。 その理由は、日々の、業務の中で、僕の、集中力を、静かに、しかし、確実に、削り取っていく、三つの、許しがたい“裏切り行為”にあった。
①「カーソルの、失踪」- 信頼を、裏切る、Bluetoothの“悪癖”
それは、使い始めて、数日後のことだった。 企画書作成に、深く、集中していた、まさに、その瞬間。僕の、カーソルは、画面の、真ん中で、ぴたりと、動きを、止めた。
「たまたまだろう」 そう、思った。 しかし、その「突然の、接続切れ」は、その後も、数日に一度、僕を、襲った。 その度に、僕は、作業を中断し、マウスを、ひっくり返し、スイッチを、切り替え、再ペアリングするという、あまりにも、不毛な“儀式”を、強いられる。
それは、ほんの、数十秒のことかもしれない。 しかし、一度、断ち切られた、集中力の糸は、簡単には、元に戻らない。 僕が、道具に、最も求める**「絶対的な、信頼性」**。その、土台を、このマウスは、自ら、揺るがしてしまったのだ。
②“ザラつき”と“慣性” - 滑らかさを、欠いた、ボールの“挙動”
僕は、長年、Logicoolの、トラックボールを、愛用してきた。 だからこそ、分かってしまう。 良い、トラックボールとは、まるで、氷の上を、滑るかのような、どこまでも、滑らかで、抵抗のない“感触”を持つ。
しかし、このEM05のボールは、どうだ。 どこか、“ザラつき”を感じる。そして、細かい操作をした時に、僕が、止めたいと、思った、その一点で、ピタリと、止まってくれない。わずかな“慣性”が、働き、カーソルが、ぬるり、と、滑る。
この、コンマ数ミリの、ズレ。 ほとんどの、人にとっては、気にならない、レベルかもしれない。 しかし、僕のような、道具の「感触」に、こだわる人間にとっては、それは、思考の、リズムを、乱す、無視できない“ノイズ”となる。
③“軽さ”という名の“不安感” - 質感の、欠如
そして、最後に、僕が、どうしても、愛せなかったのが、この、マウスの「質感」だ。 手に、取った時に、感じる、その、驚くほどの“軽さ”。 それは、高級な道具が、持つべき、高密度な、「どっしり感」とは、対極にある。
おそらく、筐体を、構成する、プラスチックの、厚みが、足りないのだろう。 その、中身が、スカスカであるかのような、空虚な感触が、僕の、所有欲を、満たしてはくれず、むしろ、長期的な、耐久性への「不安感」を、掻き立てるのだ。
結論:“思想”は、一流。しかし、“肉体”は、二流だった
さて、僕の、最終的な、結論だ。 この、ProtoArc EM05は、「買い」か、「ナシ」か。
このマウスを、それでも、検討すべき人
- とにかく、今、この瞬間の「手首の痛み」から、逃れたいと、願う、すべての人。 その、人間工学的な、コンセプトは、本物だ。君の、手首の負担を、確実に、軽減してくれるだろう。
- 価格を、何よりも、重視する人。 6000円程度という、価格は、この、特殊な機能を持つ、マウスとしては、確かに、魅力的だ。
しかし、僕が、このマウスを、勧めない人
- 道具に、「絶対的な、信頼性」と「ストレスからの、完全な解放」を、求める人。
- カーソルの、完璧な「精度」と、ボールの、滑らかな「感触」を、愛する人。
- そして、モノの「質感」や「所有欲」を、大切にする人。
僕は、このマウスとの、短い付き合いの中で、一つの、重要な教訓を、学んだ。 どんなに、素晴らしい“思想”や“コンセプト”も、それを、体現する“肉体(プロダクト)”の、作り込みが、甘ければ、ユーザーに、最高の体験を、もたらすことは、できない、と。
僕の、完璧なマウスを、探す旅は、まだ、続く。 しかし、この、ProtoArc EM05との、出会いと、別れは、僕が、道具に、本当に、求めているものが、何なのかを、改めて、教えてくれた、価値ある「失敗」だったと、言えるのかもしれない。