学び

【MBAは一種の洗脳装置】知識よりも、遥かに価値ある「思考習慣」

2025年8月22日

僕は「武器」を手に入れるために、学びの門を叩いた

ビジネススクール(MBA)の門を叩く前の僕が、そこに何を期待していたか。 正直に言えば、それは、極めて分かりやすい「武器」だった。

  • どんな相手も論破できる、強力な「論理的思考力」という剣。
  • 会社の財務諸表を読み解き、未来を予測する「ファイナンス」という名の盾。
  • 人の心を動かし、市場を制する「マーケティング」という魔法。

これらの輝かしい武器を手にすれば、会社という戦場を、もっとうまく、もっと有利に戦い抜けるはずだ。僕の市場価値は上がり、キャリアの選択肢は広がり、より豊かな人生が待っているに違いない——。

しかし、2年近くに及ぶ学びの旅路の中盤を迎えようとしている今、僕が手にしたものは、当初期待していた「武器」そのものとは、少し違う種類のものだった。 もちろん、剣の振り方も、盾の構え方も学んだ。しかし、それ以上に僕にもたらされた変化は、もっと根源的で、僕という人間そのものを変えてしまうほどの、“思考OS”の、根本的な書き換えだったのである。

この記事は、そんな僕がMBAという名の「知のるつぼ」の中で、いかにして古いOSをアンインストールし、新しいOSをインストールしていったか。その、思考の変容の全記録である。


第一章:期待と現実 - 僕たちが最初に叩き込まれる「答えのないゲーム」

MBAの教室は、僕が想像していたような、静かな講義の場ではなかった。 そこは、優秀な教授が手取り足取り「正解」を教えてくれる場所ではない。むしろ、百戦錬磨のビジネスパーソンたちが、それぞれの経験とプライドをぶつけ合う「知の闘技場(アリーナ)」だった。

その中心にあるのが、「ケース・メソッド」という、独特の学習方法だ。 僕たちに与えられるのは、過去に実在した企業の、成功や失敗の事例が書かれた、数十ページに及ぶケース。そこには、限られた情報と、無数の登場人物の思惑が、複雑に絡み合っている。

そして、教授は僕たちに問うのだ。「君が、この時のCEOなら、どうする?」と。

そこには、教科書に載っているような、唯一の「正解」など存在しない。会計の知識だけでは、マーケティングの視点がなければ、そして、人の心を動かすリーダーシップがなければ、この問いに答えることはできない。

最初のうち、僕は戸惑い続けた。自分の経験則や、所属する業界の「常識」が、この闘技場では、いかに無力で、視野の狭いものであったかを、容赦なく突きつけられる。自分とは全く違うバックグラウンドを持つ同級生たちの、鋭い指摘に、何度も言葉を失った。

この「答えのないゲーム」に、必死で食らいついていく過程。それこそが、僕の古い思考OSを、強制的にアンインストールしていく、最初のプロセスだった。


第二章:僕の脳内で起きた、3つの“パラダイムシフト”

この「知の闘技場」での戦いを続ける中で、僕の思考習慣には、3つの大きな、そして不可逆的な変化が起きた。

①「正解を探す」から「問いを立てる」へ

かつての僕は、仕事とは「与えられた問題に対して、いかに早く、正確な“答え”を出すか」というゲームだと思っていた。 しかし、MBAでの学びは、その前提そのものを覆した。

「そもそも、僕たちが今、解こうとしている“問題設定”は、本当に正しいのか?」 「この戦略の裏にある、暗黙の“前提”は、何か?」 「もっと、本質的な“問い”が、他にあるのではないか?」

質の高い意思決定とは、優れた答えを出すことではない。それは、「質の高い問いを立てる」ことから始まる。この事実に気づいた時、僕の世界の解像度は、劇的に上がった。目の前のタスクをこなすだけの「作業者」から、物事の本質を見抜こうとする「探求者」へと、僕の役割は変わったのだ。

②「単眼レンズ」から「複眼レンズ」へ

経理のプロとしてキャリアを積んできた僕は、これまで、あらゆる物事を「数字」という、単一のレンズを通して見る癖がついていた。コスト、利益、ROI…。それが、僕の世界のすべてだった。

しかし、ケースディスカッションでは、同じ一つの事象を、マーケターは「顧客体験」のレンズで語り、人事の専門家は「組織文化」のレンズで分析し、戦略家は「競合とのポジショニング」というレンズで解き明かす。

この「複眼的な視点」を強制的にインストールされることで、僕は、物事がどれほど多くの要素の、複雑な相互作用(システム)の上に成り立っているかを学んだ。もはや、一つの専門性だけでは、この複雑な世界で、本質的な意思決定を下すことはできない。多様なレンズを使いこなし、全体像を俯瞰する能力こそが、これからのリーダーには不可欠なのだ。

③「他人の物差し」から「自分の物差し」へ

そして、これが最も大きな変化だった。 会社での仕事は、常に「他人の物差し」で評価される。売上、利益、上司からの評価…。 しかし、MBAの闘技場では、「なぜ、君はそう思うのか?」という問いが、執拗に繰り返される。その時、僕たちが拠り所にできるのは、もはや外部の評価基準ではない。自分自身の「価値観」や「哲学」だ。

「僕が、この戦略を美しいと感じるから」 「僕が、この選択を倫理的に正しいと信じるから」

自分の意見を、自分の言葉で、自分の価値観に基づいて語り、守り抜く。この「内省」と「対話」の連続が、僕の中に、他人の評価に揺らがない、強固な「自分だけの物差し(=納得感)」*を、築き上げてくれたのだ。


第三章:知識以上に、僕が得たもの -「自己理解」という名の、最高の資産

結局、僕がMBAで得た、最も価値のあるものは何だったのか。 それは、特定の経営理論や、ファイナンスの知識ではなかった。

それは、「僕とは、何者で、何を信じ、なぜ、そのように考えるのか」という、どこまでも深い「自己理解」だった。

他者という鏡に、自分を映し出し、自分の思考の癖、偏見、そして、譲れない価値観の輪郭を、これでもかというほど、くっきりとさせられる。自分の意見を他者に伝えるためには、まず、自分自身が、自分のことを、誰よりも深く理解していなければならない。

この、2年間にわたる、長く、そして濃密な自己との対話。 それこそが、どんな知識やスキルよりも、僕のこれからの人生を支えてくれる、最高の資産なのだと、僕は確信している。


あなたの“OS”は、アップデートされていますか?

この長い記事を読んで、MBAに興味を持った人もいるかもしれない。 しかし、僕が伝えたいのは、特定の学校や資格の価値ではない。

僕たちが、この変化の激しい時代を、自分らしく、そして力強く生き抜くために本当に必要なのは、自らの意思で、自分を「知の闘技場」に放り込み、思考のOSを、絶えずアップデートし続ける覚悟なのである。

それは、本を読むことかもしれない。 新しいコミュニティに、飛び込むことかもしれない。 あるいは、僕のように、学びの場に、再投資することかもしれない。

かつての僕と同じように、今の仕事や、自分自身の思考の限界に、漠然とした焦りを感じているあなたへ。 新しい武器を探す前に、まずは、自分自身のOSを、見つめ直してみてはどうだろうか。

本当の変革は、いつだって、その内側から始まるのだから。

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