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【20代の頃に無駄使いしろ!】なぜ、僕は20代の君に「高級車を買え」と、あえて言うのか

“やりすぎる”ことでしか、見えない本質がある。

君は、何のために「節約」しているのか?

「若いうちは、無駄遣いせず、コツコツ貯金しろ」 「車なんて、ただの負債だ。買うな」 「ブランド物で身を固めるなんて、愚の骨頂だ」

世の中には、若者である君に向けた、こうした「正論」が、溢れている。 そして、そのどれもが、論理的には、100%正しい。僕も、今の君の年齢なら、同じことを言うだろう。

しかし、38歳になった今の僕だからこそ、あえて、君に、別の道を、そっと提示したい。 それは、一見すると、愚かで、遠回りで、しかし、最終的には、より深い「人生の納得感」へと繋がるかもしれない、一つの可能性だ。

それは、「若いうちに、一度、派手に“やりすぎて”みろ」という、少しだけ危険な誘惑である。

この記事は、そんな僕が、自らの浪費という名の「失敗」から、いかにしてお金とモノの「本質」を学んだか。そして、君が、僕と同じ轍を踏まず、より賢く「やりすぎる」ための、具体的な戦略についての、僕なりの考察だ。

僕の「やりすぎ」の記録 - あるいは、愚かで、愛おしい“投資”の数々

まず、僕自身の、恥ずかしい過去を、正直に告白しなければならない。 30代前半までの僕は、典型的な「消費に取り憑かれた男」だった。

ケース①:メルセデス・ベンツ Cクラス(W205)

当時の僕にとって、ドイツの高級車は、成功の象徴だった。雑誌を眺め、試乗を繰り返し、少し無理をして手に入れた、純白のセダン。納車された日の、あの革の匂いと、エンジンをかけた瞬間の高揚感を、僕は、今も忘れない。 僕は、確かに、幸福だった。

ケース②:一足10万円の、英国紳-士靴

「お洒落は、足元から」。その言葉を、愚直に信じていた僕は、名門と呼ばれるブランドの、美しい革靴を、何足も買い揃えた。丁寧に磨き上げられた靴を履き、街を歩けば、自分自身が、少しだけ、格上げされたような気分になった。

ケース③:ブランドロゴという名の“戦闘服”

僕のクローゼットは、当時の僕が「イケてる」と信じていた、様々なブランドの服で、溢れかえっていた。それは、僕にとって、社会という戦場を戦い抜くための“戦闘服”であり、自信のなさを覆い隠すための“鎧”だった。

僕は、これらのモノに、あほみたいに金をかけた。 そして、そのすべてが、僕に、一瞬の、しかし、確かな「満足感」を与えてくれた。

飽きて、疲れて、そして“本質”に気づく

しかし、その熱狂は、永遠には続かなかった。 手に入れた瞬間の喜びは、時間と共に、驚くほどの速さで、色褪せていく。そして、その後に残ったのは、モノの「本質」という、冷徹な現実だった。

  • 車が教えてくれたこと: 僕が住む東京では、車は、驚くほど役に立たない、という事実。電車やバスは、時間通りに来て、駐車場を探す必要もない。そして、毎年かかる自動車税、保険料、2年に一度の車検という、高額で、ひどく面倒な**「維持コスト」**。かつて僕を熱狂させた鉄の塊は、いつしか、僕の資産と時間を奪う、重たい“負債”へと変わっていた。
  • 靴や服が教えてくれたこと: 靴箱の奥で眠る、高級紳士靴。クローゼットで出番を待つ、ブランド服。それらが、僕の人生を、劇的に変えることは、決してなかった。 結局、僕が毎日、足を通すのは、一番履き慣れたスニーカーであり、袖を通すのは、ユニクロの、機能的で、着心地の良い服だった。

この一連の「やりすぎ」の経験を通じて、僕は、一つの、極めて重要な結論にたどり着いた。 僕は、数百万、いや、一千万円近い「授業料」を払って、「自分にとって、モノの所有は、それほど重要ではない」という、たった一つの真実を、学んだのだ。

これは、どんな自己啓発書を読むよりも、どんな賢人の言葉を聞くよりも、確かな、僕だけの「実感」だった。 そして、この「やりすぎた経験」があったからこそ、今の僕は、モノへの執着から、完全に自由になれたのだ。

20代の君へ - 賢く「やりすぎる」ための、たった一つのルール

だから、僕は、20代の君が、何かに興味を持ち、それを「欲しい」と強く願う気持ちを、決して否定しない。 むしろ、その衝動には、ある程度、正直になった方がいい、とさえ思う。

ただし、一つだけ、絶対に守ってほしい、黄金のルールがある。 それは、「それを手放す時のこと(リセール)を、買う前に、必ず意識しろ」ということだ。

君の20代の「やりすぎ」は、**“自己理解のための、授業料”**だと考えろ。 だとしたら、その授業料は、安ければ安いほどいい。

授業料が“安い”趣味

  • 車やバイク: 人気のある車種を選べば、数年乗っても、驚くほど高い価格で売却できることがある。君が支払うのは、購入価格と売却価格の「差額」だけだ。これが、君の“授業料”となる。
  • 有名ブランドの時計やバッグ: モノによっては、購入時よりも、価値が上がることさえある。これは、もはや授業料ゼロの、最高の自己投資かもしれない。

授業料が“高い”趣味

  • 靴: 一度、人の足の形がついてしまった靴は、たとえ高級ブランドであっても、二束三文にしかならない。サイズが合わなければ、価値はゼロだ。これは、最も授業料の高い、危険な趣味の一つだ。
  • ニッチなファッションや、オーダースーツ: 君の身体と、君のセンスだけに、完璧にフィットするこれらのモノは、他人にとっては、何の価値も持たない。

君がこれから踏み込む趣味の世界が、「売れる」世界なのか、それとも「売れない」世界なのか。 その一点を意識するだけで、君は、僕よりも、遥かに賢く、そして安価に、「やりすぎ」の経験から、人生の真実を学ぶことができるはずだ。

結論:若さとは、失敗できる“権利”である

この「やりすぎ」のフェーズは、いつまでも続けていいものではない。 30代も中盤になっても、まだ、モノの所有だけで、自分の価値を証明しようとしているとしたら、その先にあるのは、「マジで金がない、痛々しい中年」という、悲惨な末路だけだ。

しかし、20代の君には、まだ時間がある。 そして、何より、「失敗することが許される」という、人生で最も貴重な権利を持っている。

だから、恐れずに、試してみろ。 欲しいものを、戦略的に、手に入れてみろ。 そして、その熱狂と、その後の虚しさを、君自身の身体で、味わい尽くせ。

その経験こそが、君を、他人や社会が押し付ける、借り物の価値観から解放し、「自分にとって、本当に大切なものは何か」という、人生で最も重要な問いの、答えへと導いてくれるのだから。

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