その“山頂”には、本当に、何もなかった

「資産形成」とは、一つの、長い、長い“登山”によく似ている。 僕たちは、20代、30代という、人生の麓から、ただひたすらに「経済的自由」という名の、遠い山頂を目指して、一歩、また一歩と、足を前に進めてきた。
雨の日も、風の日も、歯を食いしばり、節約と、規律ある投資を、ひたすらに、繰り返す。 証券口座に表示される、数字の列。それが、僕たちが、どれだけ、高く登ってきたかを示す、唯一の「標高」だった。
そして、僕もまた、その登山を続け、ついに「資産4000万円」という、一つの、景色が良い、高台にたどり着いた。 しかし、その場所に、立ち尽くした僕を、待っていたもの。 それは、想像していたような、圧倒的な達成感や、無限の幸福感ではなかった。
僕の心を、支配したのは、むしろ、その逆だ。 「資産が、4000万円から、5000万円に増えたとして。僕の、人生の“幸福度”は、もはや、1ミリも、変わらないのではないか?」 という、静かで、しかし、確信に近い“虚無感”だった。
この記事は、そんな僕が、資産形成という、長く、険しい登山の果てに、何を見出したのか。 そして、なぜ、僕が、これ以上「資産を増やすこと」を、人生の、主目的にすることを、やめたのか。 その、僕なりの「本当のゴール」についての、物語である。
“幸福”の、限界効用 - なぜ、金持ちは、より“不幸”に、なり得るのか

僕たちが、まず、直視しなければならないのは、「お金」と「幸福度」の、残酷な関係性だ。 経済学には「限界効用逓減の法則」という、有名な、法則がある。 難しく聞こえるかもしれないが、その意味は、極めてシンプルだ。
「カラカラに、喉が渇いている時の、最初の一杯の水は、天国のような味がする。しかし、二杯目、三杯目の、水の感動は、少しずつ、薄れていく」
僕たちの、幸福度も、これと、全く同じなのだ。
- 資産が、ゼロから、1000万円になった時。 僕たちの人生は、劇的に、変わる。日々の、お金の不安から、解放され、幸福度は、爆発的に、上昇する。
- 資産が、1000万円から、2000万円になった時。 幸福度は、まだ、上がるだろう。しかし、その、上がり幅は、最初の1000万円ほどでは、ない。
- そして、僕のように、資産が、4000万円から、5000万円になった時。 正直に言おう。 僕の、日常における、幸福度は、おそらく、ほとんど、変わらない。 僕たちは、ある、一定の資産額を超えた瞬間、資産の増加が、幸福度に、ほとんど、影響を与えない「幸福度の高原状態」へと、到達するのだ。
そして、この、高原状態で、なお、以前と、同じように「資産を、増やすこと」だけを、目指し続ければ、どうなるか。 僕たちの、投資は、もはや、幸福を、生み出すための、営みではなくなる。 それは、ただ、数字を、増やすためだけの、虚しい“作業”と化し、僕たちの、貴重な人生の時間を、浪費させていく。
“問い”を、変えろ - 君が、本当に、目指すべき場所

では、どうすればいいのか。 僕たちが、この、虚無感から、抜け出すための、唯一の方法。 それは、自らが、立てる“問い”そのものを、変えることだ。
「どうすれば、もっと、資産を、増やせるか?」 その、前半戦の、古い問いを、捨てる。 そして、人生の、後半戦に、ふさわしい、新しい、そして、より、本質的な問いを、自らに、投げかけるのだ。
「僕が、築き上げた、この資産を、いかにして、人生の“幸福”へと、変換していくか?」と。
資産形成とは、「経済的自由」を手に入れるための、手段だった。 しかし、その先に、僕たちが、本当に、目指すべきは、「精神的自由」という、もう一段、高次の、豊かさなのだ。
僕が、実践する“富”の、変換術 - 三つの、見えざる“資産”

僕が、今、実践しているのは、目に見える「金融資産」を、目には見えない、しかし、決して、市場の暴落では、失われない、三つの、究極の「無形資産」へと、変換していく、静かなる“錬金術”だ。
①「自律」という名の、“盾”
僕が、築き上げた資産は、僕の心を、あらゆる、外部の「評価」という名の、攻撃から、守ってくれる、最強の“盾”となる。
会社という、システムの中で、理不尽な命令や、納得のいかない仕事に対して、僕が、静かに「NO」と、言えるのは、なぜか。 それは、僕には「いざとなれば、いつでも、この場所から、去れる」という、経済的な、最終防衛ラインが、あるからだ。 この、誰にも、媚びず、自分自身の“納得感”だけを、羅針盤として、生きられる、という、精神的な自律。 これこそが、資産が、僕に、もたらしてくれた、第一の、そして、最高の「豊かさ」である。
②「挑戦」という名の、“翼”
次に、僕の資産は、僕が、新しい世界へと、飛び立つための、力強い“翼”となる。 多くの人が、新しい挑戦を、ためらう、最大の理由。それは、「失敗への、恐怖」だ。
しかし、僕には、資産という名の、“安全網”がある。 だから、僕は、勇気を持って、リスクを、取ることができる。 キャリアを、中断し、「MBA」という、新しい、学びの場へ、飛び込む。 リターンを、度外視し、「農業」という、純粋な、好奇心を、満たすための、挑戦を、計画する。 この、「失敗を、恐れずに、挑戦できる」という、権利。 これこそが、僕の人生を、停滞から、守り、常に、エキサイントなものへと、変えてくれる、第二の「豊かさ」なのだ。
③「貢献」という名の、“砦”
そして、最後に。 僕の資産は、僕自身のためだけではない。僕が、大切に思う、人々を、守るための、堅牢な“砦”となる。
家族が、本当に、困った時に、手を、差し伸べられる、経済的な、余裕。 友人が、新しい挑戦をする時に、その、背中を、押してやれる、精神的な、余白。 そして、このブログのように、僕が、これまでの人生で、得てきた知見を、まだ見ぬ、誰かのために、分かち合う、という、ささやかな「貢献」。 この、「誰かの、ために、力になれる」という、感覚。 自分という、ちっぽけな存在を、超えて、他者に、貢献できるという、喜び。 これこそが、僕の、人生の、後半戦を、最も、深く、そして、温かく、満たしてくれる、第三の「豊かさ」なのである。
結論:「足るを知る」とは、“諦め”ではない。“宣言”だ
「足るを知る」 この、古の、賢人の言葉を、僕たちは、しばしば「もう、これ以上は、望まない」という、“諦め”の、哲学だと、誤解している。
しかし、僕が、思うに、それは、違う。 本当の「足るを知る」とは、「僕の、人生の、ゲームクリア条件は、僕自身が、設定する」という、極めて、主体的で、そして、力強い“自律の、宣言”なのだ。
もう、社会や、他人が、決めた、終わりのない、競争から、降りる。 そして、自分だけの、豊かさの、物差しを、その手に、持つ。 その、覚悟を決めた時、僕たちは、初めて、資産額という名の、呪縛から、完全に、解放される。
君が、本当に、追い求めるべきは、証券口座の、数字ではない。 その、数字の、先に広がる、君だけの、豊かで、そして、納得感に、満ちた、人生の、風景そのものなのだから。