支出の最適化

【節約ばかりしすぎるな!】お金を“使える人”になるための投資哲学

2025年8月16日

僕は、自販機で120円の水が買えなかった

数年前までの僕は、典型的な「貯金マシーン」だった。 給料の大部分を天引きで投資に回し、残ったわずかなお金で、息を潜めるように暮らす。その規律正しさを、僕は「美徳」だと信じていた。

しかし、そのマインドセットは、僕を静かに、しかし確実に蝕んでいた。 真夏の炎天下、喉がカラカラに乾いていても、目の前の自動販売機で120円の水を買うことができない。カバンの中の水筒が空になっていないかを確認し、「まだ大丈夫だ」と自分に嘘をつき、その場をやり過ごす。たった百数十円の出費が、僕の心に、ナイフで抉られるような、確かな“痛み”を与えていたのだ。

資産は、着実に増えていった。しかし、それに反比例するように、僕の人生の彩りは、どんどん失われていった。 僕は、気づいてしまった。僕が必死でやっていたのは「資産形成」ではなく、人生という名の貴重な時間を、ただ安売りする「人生の切り詰め」だったのだ、と。

この記事は、そんな僕が、いかにして「お金を使えない」という呪縛から自らを解き放ち、人生を豊かにするための「経験価値」へ、戦略的に投資できるようになったか。その、思考の変遷の全記録である。


第一章:なぜ、僕はあれほど「使えなかった」のか - “節約教”という名の、信仰告白

若い頃の僕にとって、お金を使わないことは、絶対的な「正義」だった。 その背景には、いくつかの合理的な理由があった。

  • 未来への、漠然とした不安: 給料が安く、将来の見通しも立たない。そんな中で、唯一、未来の自分を守ってくれるのは、今、手元にある現金だけだと信じていた。節約は、未来の不確実性に対する、僕なりの必死の抵抗だった。
  • 「貯まる」こと自体の、快感: 証券口座の残高が増えていくのを見ることは、RPGでレベルアップするのに似た、分かりやすい快感をもたらした。それは、僕の自己肯定感を支える、重要な柱の一つだった。
  • 価値観の不在: そして、これが最も大きい。当時の僕には、「お金を払ってでも手に入れたい、心から価値を感じるもの」が、ほとんどなかったのだ。価値観が不在であれば、判断基準は、必然的に「価格の安さ」だけになる。

僕は、知らず知らずのうちに、「節約こそが至高」という名の、狂信的な宗教の信者になっていた。


第二章:ある“旅”の記憶 - モノより「思い出」の、金利は高い

そんな僕の価値観が、大きく揺らぐきっかけとなったのは、ある一つの「旅」だった。 当時、僕は、友人に誘われた海外旅行に、心底乗り気ではなかった。「何十万円も使うなんて、馬鹿げている」と。しかし、渋々参加したその旅で、僕は、人生で初めて、魂が震えるような感動を味わった。

見たことのない景色、初めて食べる料理の味、現地の人々との、たどたどしい会話。 そのすべてが、僕の中に、鮮烈な記憶として刻み込まれた。

そして、帰国して数年が経った今。 当時、見栄を張って買った高価な服のことは、もうほとんど覚えていない。しかし、あの旅の記憶は、色褪せるどころか、時と共に、むしろ輝きを増していることに気づいた。

僕は、ここで一つの重要な真理を発見した。 モノの価値は、買った瞬間をピークに、時間と共に“減価償却”されていく。しかし、心揺さぶる経験の価値は、時間と共に、美しい“記憶の配当”を生み出し続けるのだ。

この、あまりにも高い「金利」に気づいた瞬間から、僕のお金の使い方は、180度変わった。


第三章:「安く済ませる」が、人生を“薄っぺらく”する

価値観が変わると、これまで「賢い選択」だと思っていた行為が、いかに「愚かな選択」であったかに気づかされる。

かつての僕は、常に「安さ」を最優先していた。

  • 旅行: 宿泊費をケチって、中心部から遠く、安眠できない宿に泊まる。
  • 食事: 本当に食べたいものではなく、メニューの中で一番安いものを選ぶ。
  • 学び: 無料の情報だけで済ませようとし、体系的な知識への投資をためらう。

これらの選択は、確かに、目先の数千円、数万円を節約してくれた。しかし、その代償として、僕が失っていたものは、あまりにも大きかった。

安宿までの移動で時間を浪費し、寝不足で翌日の観光を楽しめない。妥協で選んだ食事は、何の感動も残さない。断片的な無料情報は、僕の血肉にはならない。

「安く済ませる」という行為は、僕の人生のあらゆる体験から、「感動」や「深み」という名の、最も美味しい部分を、根こそぎ奪い去っていたのだ。 それは、人生という、一度きりのフルコース料理を、すべて一番安い定食で済ませようとするような、あまりにも悲しい行為だった。


第四章:経験への“課金”は、自分だけの物語を“編集”する行為だ

では、僕が今、意識している「お金の使い方」とは何か。 それは、単なる「消費」ではない。自分の人生という、唯一無二の“物語”を、より面白く、より豊かにするための「編集費用」だと考えている。

僕たちは、人生の最後の瞬間に、何を「持っているか」を誇るのだろうか。銀行口座の残高か? 高級車のコレクションか? 違う。僕たちが最後に抱きしめるのは、「どれだけ、心震える物語を、生きてきたか」という、記憶の数々のはずだ。

その視点に立てば、お金の使い方は、自ずと決まってくる。 その支出は、僕の物語に、新しい、心躍る一行を、書き加えてくれるだろうか?と。

  • 習い事(MBA): 僕の物語に、「知的好奇心」と「新しい視角」という、刺激的なチャプターを加えてくれる。
  • 旅行(歴史散策): 僕の物語に、「未知との遭遇」と「過去との対話」という、深みのあるページを加えてくれる。
  • 人間関係(大切な人との食事): 僕の物語に、「共感」と「愛情」という、温かいシーンを加えてくれる。

経験への課金は、決して消えてなくなるものではない。それは、あなただけの人生という名の本を、より面白く、より感動的なものにするための、最も確実な「投資」なのである。


「お金の使い方」は、「生き方」そのものである

節約が、僕の人生を殺していた。 その事実に気づいた僕は今、意識的に「お金を使う訓練」をしている。

それは、自分の心が、本当に「快い」と感じるもの、「納得」できるものに対して、勇気を持って、お金という名の“投票”をする訓練だ。

あなたの、先月の支出を、一度、振り返ってみてほしい。 その一行一行は、あなたの人生の物語を、豊かにしてくれているだろうか。

もし、そこに、ただ義務と惰性で支払われた、魂のない数字の羅列しか見つけられないのだとしたら。 今こそ、あなただけの物語を、編集し始める時なのかもしれない。

お金の使い方は、生き方そのものだ。 さあ、あなたは、これから、どんな物語を描いていきたいですか?

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