パスポートのいらない「渡航」

旅の始まりは、いつもと変わらないJR横須賀駅の改札前からのヴェルニー公園。しかし、この日の僕たちが目指すのは、地図には載っているが、普段は決して足を踏み入れることのできない「外国」だった。
行き先は、米海軍横須賀基地。年に数回だけ、高倍率の抽選を勝ち抜いた幸運な者だけが参加を許される「日米親善ベース歴史ツアー」。その案内に記された「当ツアーはアメリカ合衆国への『渡航』であることをご認識ください」という一文が、これから始まる体験の特殊性を物語っていた。
厳重な身分証明書の確認を終え、ゲートをくぐった瞬間、日本の空気が変わる。標識は英語になり、行き交う人々の姿も、建物の様式も、すべてが異国のそれだ。
しかし、この「アメリカ」は、ただのアメリカではなかった。それは、旧日本海軍の亡霊と、現代アメリカの日常が、奇妙に、そして驚くほど自然に共存する、世界で唯一の場所だったのだ。
第一章:歴史は上書きされるのではなく、積み重なる - 旧鎮守府の佇まい
ツアーバスが基地内をゆっくりと進む。僕の心を最も強く捉えたのは、最新鋭のイージス艦の向こうに見える、古風で威厳に満ちた建造物群だった。
ガイドの方の説明に、息を呑む。僕たちが見ているのは、かつての横須賀鎮守府庁舎や海軍工廠の建物であり、その多くが今もなお、米海軍の司令部や施設として現役で使われているというのだ 。
日本の多くの都市が「スクラップ&ビルド」を繰り返してきた中で、この場所では時間が異なる流れ方をしていた。明治や大正期に、当時の日本の粋を集めて建てられた煉瓦造りの庁舎や石造りのドック 。それらを、米軍は安易に建て替えることなく、適切に修繕しながら、敬意をもって使い続けている。その事実は、僕にとって静かな衝撃だった。
特に、幕末に建設が始まり、今も現役で艦船の修理を担うドライドック群を目の当たりにした時、僕は歴史の連続性というものを肌で感じていた 。この石の一つひとつが、幕府の終焉、明治維新、二つの世界大戦、そして戦後の冷戦から現代まで、すべてを見てきたのだ。

歴史とは、過去のものを壊して新しいものを作る「上書き保存」ではなく、古い地層の上に新しい地層が積み重なっていく「地層」そのものなのかもしれない。そして、その地層を大切に保存し、活用し続ける文化が、ここには息づいている。それは、僕たちが学ぶべき、一つの成熟した姿のように思えた。
第二章:アメリカの味、そして我が身を知る - フードコートでの悲喜劇
歴史の重みに心を揺さぶられた後、僕たちを待っていたのは、極めて現代的で、俗っぽい「アメリカ」だった。基地内のフードコートでの昼食の時間だ。
そこは、日本の日常からは切り離された空間。サブウェイ、タコベル、そして僕の心を捉えて離さなかった、あの赤い看板——Popeyes(ポパイ)。日本にはまだ数えるほどしか店舗がない、ルイジアナ・スタイルのフライドチキンチェーンだ 。

迷わず列に並び、スパイシーチキンサンドのバーガーとケイジャンフライのセットを注文する。店員さんは普通に日本語が通じるし、支払いはクレジットカードが推奨されている(現金だとお釣りがドルになる)という事前情報通り、スムーズに購入できた。
席に着き、揚げたてのチキンにかぶりつく。ザクザクとした衣、ジューシーな鶏肉、そしてピリッとしたスパイス。紛れもなく、これは美味い。アメリカのソウルフードが持つ、抗いがたいジャンクな魅力が口の中に広がる。
しかし、悲劇は午後に起きた。 ツアーが後半に差し掛かる頃、僕の胃は、久しぶりに摂取した大量の油に、明確な反乱を起こし始めたのだ。重たい胃もたれ。それは、38歳という自分の年齢を、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。
「ああ、サブウェイにしておけばよかった…」

脳裏をよぎる、切実な後悔。たまにはこういう食事も良い。しかし、正直しんどかった。若き米兵たちが、同じものを笑顔で頬張る姿を横目に、僕は自分の身体の変化という、もう一つの「歴史」と向き合っていた。
第三章:束の間の交流と、さらに深まる歴史の旅路
昼食後には、米兵さんとのコミュニケーションタイムが設けられていた。今回、僕たちのグループを担当してくれたのは、屈強な兵士ではなく、物腰の柔らかい料理人の青年だった。
片言の英語と、通訳の方の助けを借りながら、他愛もない会話を交わす。彼は、どんな思いで、この遠い異国の島国に赴任してきたのだろうか。歴史が幾重にも折り重なるこの場所で、日々何を思うのか。その複雑な胸の内を推し量りながら、束の間の国際交流は終わった。

ツアー本編はここで終了。しかし、僕の歴史散策はまだ終わらない。オプショナルツアーに申し込み、バスは次の目的地、防衛大学校へと向かった 。そして、日本の近代造船の歴史を語る上で欠かせない

浦賀ドックへ 。一日かけて、横須賀という土地が持つ、深く、そして複雑な歴史の地層を、さらに深く掘り下げていく。
写真には写らない、最高の体験
今回のツアーでは、基地内の写真撮影が厳しく制限されていた。それは少し残念ではあったが、今となっては、むしろ良かったとさえ思う。
カメラのファインダー越しではない、自分自身の目で見た光景。肌で感じた、過去と現在が共存する空気。そして、ポパイのチキンがもたらした、胃もたれという名の確かな身体的実感。これらは、どんな高画質な写真にも記録できない、僕だけの体験だ。
「日米親善ベース歴史ツアー」は、ただの施設見学ではない。それは、歴史と、文化と、そして自分自身と対話するための、一日がかりの壮大な旅だ。倍率は高いが、もしあなたが歴史に少しでも興味があるのなら、応募してみる価値は十二分にある。
最高の体験は、必ずしも写真映えするとは限らない。時には、自分の心と身体にだけ刻まれる、静かな記憶の中にこそ、本当の宝物は眠っているのだから。