働き方

【優れるな、異なれ】“立派な人”になることを今すぐやめろ!

本棚に並んだ“賢者”たちが、僕に絶望を教えてくれた

僕の本棚には、ビジネス書が、ずらりと並んでいる。 歴史に名を刻んだ、偉大な経営者たち。世界を変えた、革新的な思想家たち。僕は、彼らの言葉に、成功へのヒントと、人生の指針を求めてきた。

「彼らのようになりたい」 「少しでも、この立派な人々に、近づきたい」

そう願い、貪るように、ページをめくり続けてきた。 しかし、最近、僕は、本を読めば読むほど、ある種の、静かな「絶望」に、襲われるようになったのだ。

なぜなら、一つの、あまりにも当たり前で、しかし、残酷な真実に、気づいてしまったからだ。

僕は、決して、彼らにはなれない。 僕と、彼らは、全く“違う”人間なのだ、と。

この記事は、そんな僕が、成功者たちの模倣という、終わりのない、不毛なレースから降りることを決意し、「優れる」ことではなく、「異なる」ことにこそ、僕たちの唯一の価値と、希望があるのだと、確信するに至った、思考の軌跡である。

「優れる」ことを目指す、という“消耗戦”

僕たちは、なぜ、立派な人になろうとしてしまうのだろうか。 それは、社会が、そういうゲームのルールを、僕たちに提示しているからだ。 より高い学歴、より高い年収、より高い地位。誰もが、同じ一つの物差しの上で、他人より、ほんの少しでも「優れる」ことを目指し、熾烈な競争を繰り広げている。

しかし、このゲームには、構造的な欠陥がある。 僕たちが、スティーブ・ジョブズの本を読んだからといって、スティーブ・ジョブズにはなれない。なぜなら、僕たちには、彼が持っていた、ユニークな原体験も、才能も、そして、時代の幸運も、ないからだ。

他人の土俵で、他人のルールで、「優れる」ことを目指す戦い。 それは、永遠に満たされることのない、劣等感を、ただ、再生産し続ける、あまりにも過酷な“消耗戦”なのだ。

“違い”を知覚し、「自分だけの武器」を、見つけ出す

では、どうすればいいのか。 僕の、ビジネス書の読み方は、最近、大きく変わった。

かつての僕は、彼らの言葉から、何かを「吸収」し、模倣しようとしていた。 しかし、今の僕は、彼らと自分との間にある、埋めがたい「違い」を、むしろ、意識的に、そして、徹底的に、見つめるようにしている。

  • 「なぜ、この人は、こんな突飛な発想ができたのか?」
  • 「僕が、この人の立場だったら、絶対に、こんな決断はできない。その“違い”は、どこから来るのか?」
  • 「僕が持っていて、この人が持っていないものは、何か?」

この「違い」を知覚するプロセスを通じて、僕は、彼らの偉大さを、ただ崇めるのではなく、自分自身の「個性」や「ユニークさ」の輪郭を、逆説的に、浮かび上がらせることができるようになった。

彼らから学ぶべきは、その成功の“手法”ではない。 学ぶべきは、彼らが、いかにして、自分自身の「個性」を、誰にも真似のできない「武器」へと、昇華させていったか。その「生き様」そのものなのだ。

我々が、本当に目指すべき場所 - “変な人”という名の、頂

そして、この、自分だけの「個性」を、一切の妥協なく、突き詰めていった先に、一体、何があるのか。 それは、社会の「普通」や「常識」という名の、窮屈な箱からはみ出した、唯一無二の存在。 すなわち、“変な人”である。

僕は、この「自分だけの“変な人”になること」こそが、僕たちが、この世界で、本当に目指すべき、究極の目標なのではないか、とさえ考えている。

考えてみてほしい。 その他大勢と同じ、無個性で、代替可能な「優れた人」になることと、 誰にも理解されないかもしれないが、誰にも真似のできない、圧倒的に「異なる人」になること。

どちらが、より、面白く、価値のある人生だろうか。 答えは、明白だ。

環境が、僕たちを規定する。しかし、君は“選べる”

「そうは言っても、誰もが、そんな風に生きられるわけではない」 「起業するなんて、自分には、意欲も、知識も、才能もない」

その通りだ。 人間の行動は、その人が置かれた「環境」に、大きく左右される。

例えば、戦後の日本では、多くの人々が、半ば強制的に「起業家」になった。焼け野原の中、国や会社に頼ることなどできない。自分たちで、闇市でモノを仕入れ、売りさばき、生き抜くしかなかった。 生きるための「選択肢」が、それしかなかったのだ。

僕たちが、今、ビジネス書を読み、「起業」という選択肢に、憧れ、あるいは、自分には無理だと、絶望する。 その、豊かな悩みそのものが、僕たちが、いかに恵まれた、自由な環境にいるかの、何よりの証拠なのだ。

戦後の人々には、選ぶ自由がなかった。 しかし、僕たちには、選ぶ「自由」がある

偉大な経営者の生き様に、影響されるのは、いい。 しかし、彼らと「同じことをしなければならない」という法は、どこにもない。

会社員として、専門性を極める道を選ぶのも、一つの、尊い生き方だ。 組織の中で、静かに、しかし、確かな貢献をする生き方も、ある。 あるいは、全く別の、誰も思いつかないような、自分だけの生き方を、発明したっていい。

重要なのは、それが、君自身の「納得感」に基づいた、主体的な“選択”であるかどうか、ただ、それだけだ。

結論:模倣をやめ、君自身の“物語”を、始めよ

もう、誰かになろうと、もがくのは、やめにしよう。 立派な人の、出来の悪い“コピー”になるために、僕たちは、生まれてきたのではない。

本を読み、人と会い、世界を知る。 そのすべては、誰かを模倣するためではない。 それは、「自分は、何者ではないのか」を知り、「自分とは、何者であるのか」を、より深く、鮮明に、理解するための、壮大な旅なのだ。

他人という名の、巨大な鏡に、自分を映し出せ。 そして、そこに映る、歪で、不格好で、しかし、かけがえのない、君だけの「個性」を、愛せ。

そして、その個性を、武器として、磨き上げろ。

世界には、もう、十分に、「優れた人」はいる。 世界が、今、本当に待っているのは、 まだ誰も見たことのない、 あなたという名の、 たった一人の「変な人」なのだから。

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