僕の、少しだけ“不真面目”な労働観
僕のブログのキャッチコピーは、「仕事は壮大な暇つぶし、人生は自分だけのRPG」だ。
この言葉を聞いて、多くの人はこう思うかもしれない。 「なんて、やる気のない奴だ」 「仕事に対して、不真面目すぎる」と。
無理もない。僕たちは、「仕事とは、自己実現の場である」「仕事を通じて、社会に貢献すべきだ」という、美しく、そして重たい“物語”の中で育てられてきたのだから。
しかし、僕はあえて断言する。 僕にとって、この「仕事は壮大な暇つぶし」という一見不真面目な思想こそが、キャリアという名の、長く、そして時に理不尽なゲームを、最も自由に、最もしたたかに、そして最も自分らしく戦い抜くための、最強の“武器”なのだと。
この記事は、なぜ僕が、仕事に対して冷めた視線を持ちながら、同時に、誰よりも戦略的にキャリアと向き合っているのか。その、一見すると矛盾しているように見える、僕だけの“生存哲学”の、すべてのレイヤーを解き明かすものである。
第一章:第一階層 -「“意味”の呪い」からの解放
まず、僕が「仕事は暇つぶし」と考える、第一の理由。 それは、「仕事に、人生の“意味”そのものを求める」という、あまりにも重たい呪いから、自分を解放するためだ。
現代社会は、僕たちに執拗に問いかけてくる。「あなたの“天職”は何か?」「仕事を通じて、どう自己実現するのか?」と。まるで、仕事で人生の意味を見つけられない人間は、価値がないとでも言うかのように。
しかし、冷静に考えてみてほしい。 僕たちが所属する会社という組織は、本来、僕たちの自己実現のために存在しているのではない。それは、株主のために利益を最大化するという、極めてドライな目的のために設計されたシステムだ。
そのシステムの中で、運良く「天職」と呼べるものに出会えた人は、幸運だ。しかし、多くの人にとって、仕事とは、自らの「時間」と「労働力」を切り売りし、対価として「お金」を得るための、一つの“契約”に過ぎない。
この、当たり前の事実を直視すること。 仕事に、過剰な期待や、人生の意味そのものを背負わせることを、やめること。 「仕事は、人生という壮大な暇を潰すための、一つの手段である」と割り切ること。
この達観こそが、僕たちを「やりがい搾取」や「バーンアウト」から守り、会社というシステムとの間に、健全な精神的距離を保つための、最初の、そして最も重要な一歩なのだ。僕の自己肯定感は、会社の評価や、仕事の成否によって、揺らがない。なぜなら、それは僕の人生の“本質”ではないからだ。
第二章:第二階層 - どうせやるなら、この“ゲーム”を最高に楽しむ
仕事は、暇つぶしだ。しかし、僕はこうも考えている。 「どうせ暇を潰すのなら、そのゲームを、最高に面白く、そして有利に進めたい」と。
ここに、「戦略」が生まれる。 仕事というゲームには、明確なルールと、攻略法が存在する。
- どうすれば、高い評価を得られるのか。
- どうすれば、自分の市場価値を高められるのか。
- どうすれば、より多くの報酬(経験値とお金)を獲得できるのか。
「暇つぶし」という達観した視点を持つことで、僕は初めて、このゲームを感情的にではなく、極めて冷静な「プレイヤー」として、客観的に分析できるようになった。会社の評価に一喜一憂し、理不尽な人間関係に心をすり減らすのではなく、ただ、ゲームのルールを理解し、最も効率的な攻略法を探求する。
僕がMBAで学び、資格を取り、常に自分の市場価値を意識しているのは、会社に忠誠を誓っているからではない。それは、この「仕事というゲーム」における、僕自身のキャラクターの“ステータス”を上げ、より有利に、より快適にゲームを進めるための、極めて合理的な戦略なのだ。
このゲームで得られる報酬——お金、スキル、経験、人脈——は、僕にとっての目的ではない。それらは全て、次の、そして最も重要な階層へと進むための「リソース」に過ぎないのである。
第三章:最終階層 - いつでも“ゲームを降りる”という、究極の自由
では、僕がこのゲームを戦略的に攻略し、リソースを蓄積した、その先に目指すものは何か。 それは、「いつでも、自分の意思で、この仕事というゲームそのものから、降りられるようになること」だ。
これこそが、僕の哲学の、最終目的地である。 本当の自由とは、「好きな仕事をして、生きること」ではない。 本当の自由とは、「生活のために、働く必要がない状態」、すなわち、経済的自立を達成し、働くか働かないか、何を働くかを、100%自分自身の「納得感」だけで決められる状態になることだ。
仕事は、壮大な暇つぶしだ。 しかし、その暇つぶしに、人生の大部分の時間を、選択の余地なく捧げなければならないのだとしたら、それは「自由」とは呼べない。それは、見えざる「奴隷制」だ。
だから、僕は戦略的にキャリアに向き合う。 暇つぶしの対価として得た報酬を、未来の自由を買うための軍資金として、着実に投資に回す。 そして、来るべき日に備えるのだ。会社というゲームマスターから、「あなたは、もうこのゲームに参加しなくてもいいですよ」と言われるのを待つのではなく、自らの手で、コントローラーを置く、その日のために。
あなたは、ゲームの“駒”か、それとも“プレイヤー”か
「仕事は壮大な暇つぶし」
この言葉は、決してニヒリズムや、諦めの表明ではない。 それは、自分自身の人生の主導権を、会社というシステムから、自分という個人へと、完全に取り戻すための、静かなる「独立宣言」なのだ。
その3つの階層を、もう一度、整理しよう。
- 【解放】:「意味の呪い」から心を解放し、仕事と健全な距離を取る。
- 【戦略】:仕事というゲームのルールを冷静に分析し、自分の利益を最大化する。
- 【自由】:そこで得たリソースを、未来の「経済的自立」のために投資し、究極の自由を目指す。
あなたは、会社というゲーム盤の上で、ただ言われるがままに動く「駒」であり続けたいか。 それとも、ゲームのルールを逆手にとり、自分自身の人生という、より壮大なゲームを有利に進める、賢明な「プレイヤー」になりたいか。
その選択は、あなたの、今日の働き方、そして、明日の自分への投資の仕方に、かかっている。